香雪美術館・玄庵茶会2018 - 2018.11.29 Thu
神戸御影と言えば、閑静な超高級住宅街である。
そこにむしろひっそりたたずむ香雪美術館、朝日新聞創始者の一人で数寄者、美術収集家、実業家であった村山龍平翁(号・香雪)の茶道具、美術品コレクションをおさめる。
(今年大阪にも中之島香雪美術館ができ、話題になった)

左手が旧・村山家邸
御影の市中に突如あらわれる広大な森は数千坪という。近づくだけで、もうかしましい野鳥の声がするバードサンクチュアリでもある。
ちなみに右手はフィギュアの羽生弓弦君ですっかり有名になった弓弦羽神社。
毎年龍平翁の命日、11月24日あたりに追福茶会である玄庵茶会がおこなわれる。
玄庵とは、藪内の家元に師事した彼が邸内に建てた国宝「燕庵」の忠実な写しの茶席である。
私が、この玄庵茶会に行きだしてから早6年がたつ。行けない年もあったので、数えてみると4回目。
なにしろ広大な庭園、和館、露地を使っての茶会であり、お宝の館蔵品を実際に使ってお茶を飲ませていただけるので、美術館系の茶会としては一番好きかもしれない。
まずは藪内燕庵にあるのと同じ編笠門をくぐって、いざ、バードサンクチュアリ、いや、市中の森の中へ。
ドウダンツツジの真っ赤な紅葉や、まだ少し緑を残す楓、燃えるような楓、白い花を開く椿の大木、、、などなどを眺めつつ、寄付へ。
ここの寄付・待合は大きな火鉢に美しい菊炭をこれでもか、というくらい惜しげもなくいれてくださるのが楽しみでもある。寄付の煤竹の船底天井も鑑賞ポイント。
待合の掛け物は利休の藪内剣中宛の消息。茶事の御礼云々
主菓子は末富のきんとん、一瞬クリスマス?と思った色合いは「今朝の庭」、苔の上に散った紅葉らしい。説明されたのが、夏に天球院や、秋の赤穂茶会でお目にかかった藪内のI先生であった。(なんだかだんだん藪内に知り合いが増えて、、、裏千家なのに、、、(^_^;)
織部考案の割腰掛け待合い(主と従者を分ける)も燕庵と同じ。いよいよ中門(しつこいけど、これも延段の踏み石も忠実な燕庵写し)を通って、玄庵にはいる。
今回は一席9名で、玄庵の三畳台目でも相伴席を使うことなく、ゆったりとできて、これは贅沢なことであった。(最初の年は相伴席のはしっこでえらく窮屈だった記憶が)
お点前は藪内のお家元、先日碧雲荘茶会でもお点前してくださった。そう、最初の年(2012年)はまだ若宗匠だったんだよね。当時私は、今よりさらに未熟で、道具のことほんまにしらんかったなあ。今もたいしたことはないが、当時よりは勉強したかな。
さて、玄庵
掛け物は宗峰妙超(大徳寺開山・大燈国師)の法語、32行もあって法語としてはおそらく最長のものとか。書かれたのが1337年、亡くなる直前のものだという。
伊賀の花入「慶雲」には椿、照り葉、小菊
水指が南蛮玉簾、と、ここらはまさに王道をいくコンビネーション。
主茶碗が、なんとあの志野の「朝日影」。
以前記念品でもらった美術館のカレンダーに載っていたあのすてきに面白いわけのわからない絵の描かれた志野ではないか。(参考写真→☆)一見魚の頭のように見える紋様が魅力的。
村山龍平は朝日新聞だから朝日影、、、と思っていたらちがった、古歌からとったのね。
(「千早ふる 神路の山の朝日かけ なほ君が代にくもりあらすな」)
ちなみに私がいただいた茶碗は替えの御本立鶴「住之江」
立鶴の写しは数々あれど、その本歌でお茶をいただけるなんて、、、、 o(≧▽≦)o
さらにステキだったのが、伊達家伝来瀬戸肩衝「堪忍」
肩衝とは一瞬みえない風船がぷーっとふくらんだような形で、まさに破裂寸前の堪忍袋か。
伊達政宗は天下をねらいつつもはたせなかったし、いろいろ堪忍せねばならぬことも多かったのだろうな、と推察する。政宗公はじめ代々の伊達家藩主がそれそれ牙蓋をあつらえているところ、とても大事にされていた茶入だと思われる。
釜は天明、責紐釜
茶杓は織田有楽作「初霜」細かい斑入りの竹
濃茶のあとに点心
雨でない限り、この庭園の一角に焚き火をして、幔幕を張り、紅葉の楓のむこうに玄庵の藁葺きの屋根を見上げながら、食事をいただくのもまた楽しみの一つ。
席には焚き火の灰よけのうわっぱりも用意されている。
点心は高麗橋吉兆
燗鍋を置いていってくれて、しかもおかわりまで持ってきてくれてなんてうれしいんだ♪
そう、デザートもいつもこれ。
柿+葡萄にソーダ味のゼリー。これも楽しみで。
炭道具が飾りおきされている大広間は50畳
ここに飾られていた松平不昧公の「富貴長命金玉満堂〜大明宣徳年製(後半はちょっと記憶がアヤシイ)」 中国の焼物に良く書かれている吉祥句を書いた物だが、これ、なんだか一度見た記憶がある、、、と思って調べたら、やはり6年前に待合にかかっていたものだった。再会を果たす。
再会はそれだけではなかった。
点心のあと、紅葉の海を眼下に見る二階の座敷で薄茶席。
ここの床にかかっていたのが春屋宗園の「臨済四照用語」
内容はむつかしくて覚えられなかったが、なんか調べたことがある、と思ったらこれもやはり6年ぶりの再会であった。これは藪内剣中が春屋に頼み込んで書いてもらったもので、藪内歴代の箱がたくさん付随しており、かなり大切にされてきたもののようだ。残念ながら手放されて、今はこうしてこの美術館にある。
花入が古織の一重切り、花は山茱萸+α(失念!)、東本願寺伝来
祥瑞の蜜柑香合はかなり初期のものか?古染の雰囲気もあり、蓋裏にお約束の「五良太甫」
西本願寺伝来は時代の薄器、松梅蒔絵で上に竹の茶杓をのせて松竹梅か?
水指は七官青磁の酒会壺、共蓋のつまみが獅子?
茶杓は藪内7代竹翁 「鳳珠」
蓋置の古染の丸三宝がかわいくて、印象深かった。
そして、もう一つの6年ぶりの再会(6年ごとにサイクルしているのかな??)は替え茶碗の、初代大樋・飴釉茶碗「包柿」
その名の通り、どう見ても熟れた柿に見える色合いが抜群。これ好きやわ〜。なんで覚えているかというと釘彫りで、ぐるぐる渦巻と雨みたいな縦線が描かれているのが印象に残っているのだ。形は光悦っぽいし。
主茶碗は、砂の多い陶土で作られたため砂御本とよばれる大ぶりの茶碗。外側が一見雲華焼のようにみえる。陶工の手を感じさせる口のとびでたところ、その真下の指の跡が見所かな。
替茶碗、乾山の黒楽松文 松の葉がブルーなのが乾山のセンス。
お点前は藪内のF宗匠のお孫さん。この方はいつも見ている藪内をさらに武張らせたようなお点前をされる。切れ味鋭い武士、、って感じであった。
茶会でお腹一杯、胸一杯になったので、それ以上つめこめず、美術館の展示の川喜田半泥子ゆかりの石水美術館のお宝の展示はさらりと流してしまった。近ければいまいちど、日にちをあらためて来るのだが。
さて、今日も美しい紅葉と、萌え萌えの茶道具を心にしっかと、とどめておこう。
(いや、最近物忘れがはげしくて、、、、(^_^;)
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