山辺の道三社巡り・その1 談山神社 - 2019.01.17 Thu
初詣の喧噪もすぎたころ、山辺の道(桜井〜天理)沿いの三社を訪ねた。桜も紅葉もないけど、人混みもないのが真冬の旅の特典やね。
談山神社は正確には山辺の道沿いとはいえないが、飛鳥時代の重要なモニュメントであるからして。
なにしろこんな山の中(多武峰)なので、、、、しかもこの時期、駐車場に車止まってません(^_^;
参道にならぶ灯籠。後醍醐天皇が寄進したというものもあり。
神社の前には観光ホテルがあるのだが、こんなシーズンオフに泊まる客はいるのだろうかと心配してしまう。

ここはもともと明治になるまで多武峰妙楽寺というお寺だったが、廃仏毀釈以降、神社部分(神仏混淆だからね)だけが残って談山神社になったという。
談山=談い山(かたらいやま)の名が示すとおり、ここは大化の改新前に中大兄皇子と中臣の鎌足が談合したという場所。後に鎌足没後、長男の定慧和尚が父の墓所をここに移し十三重塔を建てたのを起源とする。(ちなみに有名な不比等は次男)
なにしろ重要文化財の建築物が16もあるというからすごい。
これはその一つ、末社惣社本殿。17世紀の再建だそうだが、建物の造りがやはりクラシックだ。
蹴鞠の庭。
鎌足が中大兄皇子と面識を得たのが蹴鞠会というのは有名な話で、蹴鞠で飛ばした皇子の沓を鎌足が拾ってさしだしたとかなんとか。しかし実際に蹴鞠会があったのは近くの飛鳥寺であった。
この庭ではいまでも蹴鞠祭りなど行われているらしい。
そして右手奥に見えるのが、、、
談山神社のシンボル、十三重塔。
建立は701年だが、後に焼き討ちにあったりして再建、現存の物は1532年再建の物、それでも室町時代だから十分古い。
飛鳥の匂いの意匠、じ〜んとするわ。
これも重要文化財の楼門、本殿への入り口。
この灯籠が春日灯籠を思い出させる。
思えば春日大社は藤原家の氏神、その藤原姓を賜ったゆかりの地だからね、ここは。
これまた重文の、拝殿からの眺めもなかなかいい。桜や紅葉の季節はたしかに美しいだろうな、と思わせる。
ここから拝む鎌足公を祀る本殿、もちろん重要文化財。
三間社(柱と柱の間が三間)隅木入春日造り、、、、ってそれを示す屋根の写真がなかった、、ゴメン。柵の上の彫り物が美しい。日光東照宮のお手本になった、らしい。
拝殿の中には江戸時代に描かれた多武峰延喜の絵巻物などの展示。(よく教科書にある時代考証を無視した入鹿の首がとんでいるやつ)
こちらは神廟拝所(重文)、ここには鎌足公ご神像がお祀りされている。(御簾の中)
秘仏の如意輪観音は当然ながら厨子のなかでお目にかかれず。(6〜7月のみ公開)
そして、もうひとつ忘れてはならないのが、ここが大和猿楽発祥の地であること。(これまた、大切な権殿の写真がない、、、)
そういえば、昨年MIHO museumの「猿楽と面」展にいったときも、談山神社ゆかりの能面がたくさんあった。「延年の舞」は平安時代、帰属者会で長寿を願う余興であったのが室町にいたって流行したもので、猿楽のもとになったものだ、とその時学習した。
後日、古美術の雑誌「目の眼」で、談山神社の拝殿で見た無垢人(人形)と嘉吉祭の写真が展示が掲載されているのを発見!もっとよく見ておくべきであった。
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鍵コメ様
こちらこそ楽しいひとときをありがとうございました。
兵庫県ネタが京都でしゃべれるのはうれしいものです。(兵庫県在住期間と通算京都在住期間が今のところタイですから)
今後ともよろしくおつきあいくださいませ。
談山神社は若い頃山辺の道を歩いたときにスルーしたところだったので、一度行かねば、と思っていました。確かに紅葉、桜のころの美しさが想像できるようで、また春に行ってみようかな。混まなければいいのだけれど。
兵庫県ネタが京都でしゃべれるのはうれしいものです。(兵庫県在住期間と通算京都在住期間が今のところタイですから)
今後ともよろしくおつきあいくださいませ。
談山神社は若い頃山辺の道を歩いたときにスルーしたところだったので、一度行かねば、と思っていました。確かに紅葉、桜のころの美しさが想像できるようで、また春に行ってみようかな。混まなければいいのだけれど。
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