石山寺で梅見 - 2019.03.01 Fri
今年の梅見はどこへ行こう。
京都の梅もやや行き尽くした感があって、今年は近江路へ。

西国十三番石山寺
20代の頃、両親を連れて行ったっきりなので、40年ぶりか〜w( ̄o ̄)w
時がたつのは早い。
琵琶湖の豊かな水をたたえる瀬田川のほとりなので、たどり着くまでの瀬田川沿いのドライブは楽しかった。
40年前のこととて、ほとんど記憶がないが、なんか巨石があったことと、紫式部の人形があったな〜くらいなのだが、ここは聖武天皇発願、東大寺の開基でもある良弁上人が開いたという、由緒ある古い歴史を持つ寺なのだ。
ほのかな梅の香り、、と思ったら本堂前の境内には盆梅が見頃を迎えていた。
梅は満開より七分咲きのころが一番美しい。
石山寺の御本尊は如意輪観音、しかも勅封なので33年に一度しかご開扉がない。しかし!新しい天皇が御即位されるとその翌年には開かれるので、来年はご尊顔を拝することができそうだ。
背景がこの寺の名前の由来ともなった天然記念物・珪灰石の巨石。
良弁上人が夢のお告げで、聖徳太子念持のこの秘仏、如意輪観音を岩の上に安置して庵をたてたところ、のちに移動しようと試みても仏像が岩からはなれなくなったため、これを覆うようにお堂をたてたのが石山寺縁起。
古くは「枕草子」、「更科日記(孝標の娘はここに参籠)」、「蜻蛉日記」にも記述が見られ、都人にも格別の寺であったのだなと、思いをはせる。
しかし一番石山寺を有名にしたのはこの方ではなかろうか。
本堂の一画に源氏の間、というのがあって、ここで「源氏物語」を執筆した(かどうかわからんが)紫式部。40年前の人形と同じかどうかは不明だが、有職御人形司最高峰の伊東久重氏の作。
この写真ではわからないが、引いて撮ると花頭窓の中に鎮座されている。この意匠で友人の大津の和菓子屋さんが「源氏窓」という和三盆と葛のお菓子を作ってはるので、なるほどな〜とうれしくなった。
本堂は密教的荘厳(真言宗)でキラキラと渋さがほどよくミックスされて、おちついていい雰囲気だったが、写真NGゆえ。
さきほどの珪灰石の背景になる源頼朝寄進の多宝塔は国宝。
これは美しいなあ。
経蔵の下になんだか座布団???
と思ったら、これは安産の腰掛石といって、ここに妊婦さんが座ると安産になるとか。昔は出産は文字通り命がけだったもの。
おっと本来の目的の梅見もお忘れなく。境内は広く、アップダウンもかなりあるので第1〜第3梅園まであるのを全部見ようと思うとかなりのエクササイズになる。
光堂(某繊維メーカーの平成になってからの寄進)近くの枝垂れ梅は見事であった。
一番広い第一梅園〜薫の苑〜では梅は五分咲きくらい。歩くだけで梅の芳香がただよい、すがすがしい気持になる。あと鶯の声でもあればな〜。
この日は2月なのに春本番のような陽気で、青空に梅の枝がよく似合う。
境内にはヤブツバキの大木もあって、世は春を謳歌している。(まだ2月だったけど、、、)
石山寺をあとにして、次にこれも40年ぶりの寿長生の郷へ梅見に。これは後日また。
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