藪内家〜燕庵と三重露地 - 2019.03.21 Thu
私の茶友は、世間一般とちがって藪内率が異様に高い。(理由は不明、、、)それが理由という訳ではないが、藪内家にある茶室、燕庵には是非行ってみたいと思っていた。
燕庵保存会(他流派の人なら年会費5千円とお得です!)に入会すると燕庵および藪内の各茶室、露地が拝見できるのだが、昨年は仕事で行けず。よって今年は早くから休みをゲットしてスタンバイしておった。

西洞院正面の藪内家の表門
古田織部の堀川屋敷の門の移築と聞く。(初代藪内剣中は利休の媒酌で織部の妹を妻とした)
なんの掲示もなく、どこから入るのかもわからなくてちょっと最初とまどったが、右の小さい潜り戸から中へ。この戸は、鎖の重みで自動的に閉まるクラシックな扉で、ここからすでに萌える。
皮付きの柱にすごい木目の板張り、これもすごいな。
中へはいって、まず待合の学市軒は六畳、床なし。藪内の茶室には案外六畳が多いと思うのだが、どうだろう。裏千家では六畳は大炉のときくらいだしなあ。こちらは普段の稽古場だそうだ。
ここを出て広間の緝凞堂へ行く道すがら、縁側から眺める露地(燕庵からいうと外露地)のまた美しいこと。みなさんといっしょにしばしみとれる。朝方降った雨で苔の緑がすばらしく美しい。びっしりと地面を覆った苔(おそらく這苔がメインか?)のお手入れがきっちり行き届いている(うちは苔でいろいろ苦労しているからわかるのよ)。
燕庵の内露地へ通じる道にはちょっと変わった竹の垣根があった。丸い棒?に細い竹をぐるっと貼り付けて一本の棒にして、それを無双に並べている。松明垣という藪内独特の垣根なんだそうだ。
薄茶席の広間・緝凞堂は十一畳半という造り。
藪内家は蛤御門の変で一度丸焼けになっているのだが、庇護をうけていた西本願寺の援助ですばやく復興したという。この広間も西本願寺からの移築なので、竹の襖絵などは重要文化財、さわるとヤバイ。
まず目に付くのが、なぜ床柱に釘隠しがはりついているのか???一見非常に奇妙だが、実は丸太の長押がぐるっと床柱までまわっているのだった。
床に御当代(竹中)の軸、格式の高いという栖楼棚(だったか?)を使った藪内のお点前、もうすっかりお馴染み。瀬戸唐津の御茶碗でいただいたが、これがまた超好みで。梅花皮の見事さ、釉薬をこすってついた陶工の指の後、貫入、手どり、どれも最高レベル。(あと軽い手取りの茂三とか、仁清の呉器写しとか)
一服いただいたあとはいよいよ燕庵をめざす露地へ。
話に聞く、織部によって作られた三重露地(外・中・内)である。(茶道検定で勉強だけはした)
外露地〜中露地へ
中門は屋根付きの門で梅見門
そして織部の考案した割腰掛待合(貴人席と相伴席に分かれている)、ここで藪内の人もめったに見られないという砂雪隠もみせていただいた。きれいな白砂で覆われた雪隠である。(貴人用)
中露地〜内露地へ
中門は猿戸、有名な「利休戸下石」という二段になった亭主迎え付けの石。貴人を迎えるときは段の下からそれ以外は上の段で迎え付けしたといわれるが、目立つほどの段差ではない。
この先に、これも有名な織部の延段。14尺(4m余)の長い切石。
蹲居は「文覚の手水鉢」、文覚上人の五輪塔の水輪を使ったものといわれ、向かいに織部灯籠。織部灯籠の定義は竿が直接地面に埋まっていることだそうで、阪神淡路大震災の時、他の灯籠がたおれても、これだけはびくともしなかったらしい。
すっかり苔むした織部井戸は阪急が地下を掘った時に水脈が途絶えて涸れているそうだ。
露地は香雪美術館の玄庵のよりも、コンパクトで凝縮されて美しいのはさすがだ。いままで茶道検定テキストで想像するしかなかった燕庵の三重露地の実物が目の前に、、、いやはや感激。
燕庵
中でおなじみの(^_^;藪内の某先生が待っておられて、軸も釜も掛けて、花もいれて、細川三斎の茶杓まで。家元しか点前してはいけない燕庵である。中へ入って、あ、玄庵(神戸・香雪美術館)そっくり!と思ったが、、、こっちの方が本歌だった(^_^;
これはもう有名すぎて、詳しく書くまでもないので省略。
ちなみに織部が剣中に贈った燕庵はやはり蛤御門で焼失、現在のものは摂津有馬にあった写しを移築した物。藪内では相伝を受けた者に限り、燕庵を絶対忠実に写すことが許される。万一現在のが焼失でもしたら、次は玄庵を移築、、ですかね?(^_^;
雲脚
紹鷗の兄弟弟子であった利休から相伝の祝に送られたという茶室。これがまた利休?と思うほどおしゃれな茶室で、二畳台目向切、点前座の向こうに三角の鱗板、ここの斜めの壁が客側にむいて、軸を掛ける床になっているのだ。点前座の上に落掛けもあり、瓢箪型の「雲脚」と利休が書いた板額もかかる。
かつて西洞院通りに市電を通すとき、地面をかさ上げしたために貴人口が高くなり、ここからの席入りが不可能になった、というのも当時の時代を感じさせる。
他にも明治まで稽古に使われていたという西洞院通りに面した六畳船底天井の談古堂(雲脚と襖をへだてて隣接、いざというときの相伴席にもなる)、ベンガラ色の壁がつやっぽい平三畳向切の須彌蔵(中興の祖・竹心作)なども拝見して、最後に亡指という茶室で瓢樹さんの点心をいただく。そういえば、瓢樹さんとこにも六畳の藪内好みの茶室があったわ。
自分の流派の今日庵すら見たことないのに、他流派の代表的茶室をおしげもなく見せて下さるのはほんとうにありがたく、うれしい体験であった。これは来年も会費を納めて休みを早めにとらねばなるまい。
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