悠紀斎田ゆかりの野洲・御田植祭 - 2019.06.01 Sat
5月というのに猛暑が関西をおそった日、こんな道を往復約5km歩いた。(ほとんど熱中症寸前、、(^_^;)
「飛び出し坊や」の設置濃度が極端に多いここは、、、
さすがは飛び出し坊や発祥の地とされる滋賀県である。東京の人に聞いたら東京ではほとんど見ないとか。それにしてもいろんなバージョンがあるのね。

ここは野洲市(私が学生の頃は野洲郡野洲町だった)
駅前こそ賑やかだが、少し歩くとのどかな田園風景がひろがる。田植えを終えた水田もだが、麦が収穫間近で黄金色の波が美しかった。
水田に映る近江富士こと端整な姿の三上山。琵琶湖東のランドマークである。
懐かしいなあ。学生の頃はこの近くの施設によく通ったものだ(障害者施設のボランティア)。
わざわざここまで出かけたのは野洲が昭和天皇即位後の大嘗祭(昭和3年)のために献上される新稲の悠紀斎田に選ばれた歴史があるからだ。以後それを記念して、中断した年もあるだろうが、ずっと地元の人による御田植え祭が行われている。
今年は令和の大嘗祭が秋にあるので、それについてある勉強会に参加している。そのお仲間と記念すべき年だし、一度いってみようということになったのだ。
最近ニュースでも発表されたが、今年の大嘗祭の悠紀田(ゆきでん)は悠紀の国(東日本)から栃木県、主基田(すきでん)は主基の国(西日本)から京都が選ばれたことは記憶に新しい。
(詳しい田んぼの位置は個人情報とか、情報がすぐ拡散するネット時代なので明らかにされていない)
その斎田を決めるのに亀の甲羅を使う亀卜がおこなわれたのもニュースになったし、さらにその亀の甲羅を採るのに、ウミガメ(天然記念物なので)が特別に許可を得て小笠原で捕獲されたとかもニュースになった。
平成の時は昭和天皇の喪中でもあったから大々的には報道されず、あまり興味もなかったので全然記憶にないが(秋田と大分だった)、今回は上皇様ご健在なのでめでたいことだし、興味をもっている。
野洲駅から歩くこと約40分(疲れた〜)
三上山(みかみやま)の麓、かつ御上神社(みかみじんじゃ)のすぐ隣にその斎田跡はあった。周りの水田はもう田植えが終わっていて、すでに青々。
昭和3年当時、悠紀田に選ばれたのは大田主・粂川春治の田んぼという名前まで記録に残っている。
ご一緒した方が当時の記録写真を調べはって、見せてもらったが、この鳥居みたいなのと、三上山の稜線、景色は90年たった今もかわらないのに感動した。
水田は竹矢来みたいなので囲まれていたようだ。
白衣姿の人がプロ=ほんまの農家さん、みたい。昭和3年の写真にもこの白衣集団は写っていて、これも当時を踏襲したスタイルだと言うことがわかった。
まずは悠紀斎田記念碑の前で祝詞(最長という話も、、、(^_^;)があげられ玉串奉納などの神事。
宮司さんは御上神社の宮司さん。
これから御田植え祭で田植えをされるみなさんもせいぞろい。これも当時のスタイルを踏襲した手甲脚絆に菅笠の色があざやか。
おみ足の悪い早乙女さんは単独で先にポジションにつかれる。のちにこの方にお土産までもらうことになった。
苗が水田のあちこちに作業しやすいようにばらまかれ、、、
いよいよ御田植えのはじまり。
苗は大嘗祭の日にちにあわせてぴったり稲が収穫できるように、生育の遅い物が選ばれているとも聞いた。
早乙女さんは農家の方もおられるだろうが、シロウトさんもおられるので(応募できるが事前に予行演習の日がある)、最初泥田に足をつっこむことにためらっている人もいた(^_^;
この時、巌谷小波(滋賀県出身の児童文学者)作詞の「悠紀斎田御田植歌」がライブで歌われなんだかさらに長閑になるのである。
あぜ道で踊って?いる人にも注目。
一生懸命田植えしている人を励ます踊り???
あまり役に立っているとは思えないが、田楽のはじまりってこんな感じだったのかしら。
♪ 一つ日の本瑞穂の国は、、、
二つ再び得がたい譽、、、、
三つ三上の御影の神は、、、
、、、、(中略)、、、、
九つ九重雲居の空も、、、
十でとうとう御田植え終わりや、、、、
これを延々とリピートするのである。
こんな雰囲気で。いやがうえにも長閑。
こうして御田植えは進むのだが、意外と時間がかかるものだった。この中腰の姿勢はけっこうキツイと思う。
あぜみちに残された早乙女たちの草履。
植える水田に映る三上山。
そうこうするうちにやっと植え終わり引き上げる早乙女たち。お疲れ様でした。
あぜ道の脇を流れる用水路で手足の泥をおとす。
かつてこんな風景が日本のあちこちにある田園風景だったのだろうなと想像する。
半日炎天下ではあったが、のんびりと田植えを久々に間近で見られて楽しかった。
さて、今年の斎田では秘密裏にお田植えがおこなわれたのだろうか。また収穫がどのようにされるのかも興味がある。
帰りも延々と駅までの道を歩いたのだが、掲示板に御田植え参加者募集の張り紙を見つけた。
最後に、先ほどのおみ足の悪い早乙女さんと田植えが終わった後お話しを少しさせてもらったら、あとで車で追いかけてきてくださって、頂戴した人数分の手作りポーチ!
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