fc2ブログ
topimage

2023-10

「酒場の京都学」加藤政洋・著〜片手に裏寺町を歩く - 2020.05.20 Wed

487468.gif


自粛生活では日ごろ読めない本を読む時間ができる。
新刊「酒場の京都学」(ミネルヴァ書房・加藤政洋著)が、おもしろそうなので読んでみた。


IMG_0061.jpeg



ちょっと行儀は悪いが、蚊もまだでないし、坪庭の縁側がここちよいので座椅子をもちだし読書。ある意味極楽。


京都における一杯飲み屋の系譜を随筆、文学作品、ガイドブック、地図を手がかりにたどった本であるが、懐かしい場所や店名がたくさんでてきて、そういえば、京都に最初にであって半世紀ちかくたつのだから、私自身も歴史の証人であるよな、などと思いつつ楽しく読めたのだった。

特に三高生が戦前集った酒場の話(三高生だった織田作之助、梶井基次郎他、京都帝大卒業生や教官達の随筆や作品など)は、市電が走り回り、学生に鷹揚寛容な京都の町の当時の雰囲気や、学生達のバンカラ気風や、真剣に人生や学問にむきあったであろう青春時代が描かれていて、なぜか懐かしい。(さすがにまだ生まれていないけど(^_^;)

お茶屋お座敷といった京都文化があったせいか、江戸では一般的だった庶民的な一杯飲み屋が、京都にあらわれるのは実は明治末〜大正初めであったとはしらなかった。それ以前は料理屋や茶屋が酒をのませていたそうで、美濃吉、中村楼、東洋亭、菊水など、この時代から現代まで生き残っていて、自分も利用している店の名前がたくさんでてきて、そうか、そんなに昔から、、、と感慨深い。現在は東華菜館になっているが、かつては矢尾政というビアレストランだったと聞いたが、ちょうどこの時代だったのだなあ。
四条大橋の袂のレストラン菊水は、今でもスタッフがクラシックな制服でサービスしてくれるので、往時をしのばせる雰囲気があって好きだが、ここの二階も出来た当初の大正初め、三高生でうめつくされたのだそうだ。

木屋町という一大飲み屋街ができたいきさつも語られていて、学生時代木屋町にいきつけの安い店があった身としてはこれもまた懐かしく思う。もうウン十年も木屋町界隈で飲んでいないなあ。


IMG_9331.jpeg
(ゑり善と銀行のあいだの細い道が裏寺町の入り口)


一番興味をもって読めたのは、第5章の「<裏寺町>の空間文化誌」である。裏寺町は四条河原町からすぐ、というしょっちゅう行くエリアなので、ここの近代史をたどりながら歩くことができるのだ。
「裏寺町」という名前は以前はなかったのに最近言うようになったと言われる京都の方もおられるが、明治〜大正時代の随筆に「裏寺町通」という名前がでてくるので、正式名称ではなかったにしろ使われていたのは確かなようだ。



IMG_9315.jpeg



本書から地図をお借りしよう。

京都帝大教官ドイツ文学者・成瀬無極のエッセイ
<この京で一番明るい新京極の裏には暗い京でも一番位通がある。裏寺町通といふのがそれである。。。(中略)。。明るく賑やかな京極通からふとこの裏町へ紛れ込むとまるで晴れやかな眩しいやうな宴会の広間から俄に暗い湿っぽい地下室へ降りたやうな気がする。。(中略)。。寺町といふ名に背かず、東側には寺が多いが西側には不思議な家が軒を並べてゐる。>

そう、ここにはお寺も多いがなんだがよくわからない戦前からあるとおぼしき建物が多い、と以前から思っていたのだ。地図をみて初めてここ、大善寺を中心に枡形になっているんだと知った。周りの貸席というのがおそらくその不思議な建物で、<ぼんや>とよばれた。まあ、どういう意味なのかいろいろさしさわりもあるので、詳しくは本書を読んでね(^_^;



IMG_9347.jpeg



これが今も残る枡形の中心の大善寺。



IMG_9344.jpeg



この建物が以前から気になっていたのだが、上記地図で貸席花の家にあたる場所である。現在は普通の民家と思われるがなんとなく昔の雰囲気が残る。



IMG_9348.jpeg



枡形をぐるっと反時計回りに回ってみると、他にもいくつか名残の建物とおぼしき建築がいくつか。


IMG_9361.jpeg



現在は一品料理屋になっている建物も、おそらく貸席であったのじゃないかな。



IMG_9359.jpeg



そしてぐるっと回って大善寺の南側の通の正面にボーリング場。


IMG_9346.jpeg



ここは地図上では西念寺というお寺になっているが、平成の初め沓掛の方へ移転されたというから、比較的最近までちゃんとお寺あったんだなあ。このエリア、昔ながらのたたずまいのお寺もあるが、ビルの上に引っ越したお寺もあって、新京極、河原町という賑わいの中、まあしょうがない選択かなと思う。


もひとつ、とても興味深かったのが柳小路。
四条からはいってほぼすぐの処にある細い小路だが、最近おしゃれな店がたくさんはいってプチ観光地となっているが、私が学生の時は場末感漂う妖しげな飲み屋街であった。



IMG_9316.jpg


ふたたび地図をお借りする。これは昭和9年の地図。
ここに伝説の?三高生御用達の飲み屋<正宗ホール>があったのだ。京都の草分け的な酒場で三高生の寮歌(「紅もゆる」)がガンガン鳴り響いていたという。

大正4年に三高を卒業し同校教授となった英文学者・山本修二のエッセイ「三高生の酒場」
<正宗ホールの経営者は、さる画家を夫としたおしんちゃんを頭として、お仲ちゃんお高ちゃんのチェホフではないが「三人姉妹」であった。江戸から流れてきたという触れ出しで。。(中略)。。素人だけに清潔な感じがあり、三高生がワンサワンサと押しかけたのでたちまち店が繁盛して、次第に酒場を拡張し、東京に支店が出るやうになったのも、みなこれ三高生のおかげであった。>

酒場で寮歌を高歌放吟しつつ酒を飲み、人生を学問を熱く語り、少々ハメをはずしても「(三高生はのちほとんど京都帝大へ)将来出世して日本をささえる人になる学生さんたちやさかいなあ。」と許してもらえた時代、、、(あくまでも想像の域をでないが)そんな学生時代にとても憧れる。



IMG_9314.jpg



その正宗ホールも昭和29年の戦後の地図では名前が消えている。



IMG_9332.jpeg



その正宗ホールの時代の雰囲気が残っていないかと、柳小路へ行ってみる。



IMG_9335.jpeg



右手のnanaco+のあたりが西館だったところだろうか、こちらは面影はない。



IMG_9337.jpeg



東側のこの建物、これこれ、この雰囲気、そうちゃうか?


IMG_9339.jpeg



上記の地図にもあった「静」という正宗ホールの隣にあったお店がまだ残っている!


IMG_9340.jpeg


調べるとこの静というお店のオーナーが正宗ホールを買い取って店を拡張したとのこと、まさにここだったのだ。そして静の店の中に若かりし頃の有名人たちの落書きが壁にたくさん残っているという記事を読んで、あれ、行ったことあるわ!と、もうかなりぼやけている学生時代の記憶がかすかに蘇ってきたのだ。当時、このあたりもっとうさんくさい雰囲気だったなあ。



IMG_9342.jpeg



柳小路をでるとお寺とビルの見慣れた風景。

本書で初めてしった「柳小路」の名前の由来。柳が入り口に植えてあるからではなく、柳本氏という方が所有した土地を開発してできた路地だったので、柳本小路だったのが、いつのまにか「本」の字が欠落した結果なんだそうである。こういう歴史を知って歩くとみなれた小路もとても面白いものだ。


(付記)
終章の「会館」
京都には四富会館とか折鶴会館とか、立ち飲み屋がぎゅうぎゅうにつまった建築がある。これもあやしげな雰囲気でなかなか一人で足をふみれられないのだが、お友達のぽんさんなどはホームグランドにしてはる。これは一軒の町家を細分化して利用した物で、ある意味町家の再利用。ぶっ潰して味家のないペンシルビルに建て替えるよりはるかに京都の町並み保存の役にたっているよし、なるほどと納得したのであった。こんど行ってみよう。





関連記事

● COMMENT ●

しぇるさん、こんにちは

なるほど、なるほど~

勉強になりまする~^^

食文化や、飲み文化から京都を観るは

奥深い視点でございますね

私が裏寺デビューしたのは、木屋町デビューと同時期だったかな?

10代後半から、20歳ぐらい

そして、20代前半から木屋町夜回り隊

そして、木屋町、裏河原町、朝まで隊

そして、20代後半から、先斗町夜回り隊

祇園夜回り隊、朝まで隊、西陣夜回り隊・・・と

やっぱ、私も若かった、元気一杯でございました^^;

高兄様

高兄様もけっこうやんちゃしてたんですね(^.^)
でも祗園、先斗町は敷居が高くて到達できませんでした。
さすが〜。
むかしは完徹で飲むこともあったけれど、ほんま若かったんやね〜(遠い目)今じゃ想像もできんわ。
大学卒業してからは仕事と子育てで酒場に行くこともなくなりました。今はちびちび美味しい物を食べながら少人数で軽く飲む、、がよろしいね。
しかし会館系はなかなか一人ではよう行かんので、また先達としておつきあいください。

しぇる姐御、再び、こんにちは

>高兄様もけっこうやんちゃしてたんですね(^.^)

いえいえ、悪い友達が沢山居ました(人のせい)

>しかし会館系はなかなか一人ではよう行かんので、また先達としておつきあいください

いまや、四条大宮エリアは立ち飲みのメッカ、クライストチャーチ、エルサレムですから^^

京都市も昨日、緊急事態宣言が解除され

少し、肩が軽くなった気分ですが・・・

しかし、こういう御酒呑み系の飲酒形態も変わらざるえないのかな・・・・う~ん・・

高兄様

ビニールの仕切りで横並び、、ですかね。
角打系はもともと横並びやけど、そーしゃるでぃすたんす云々がなあ、、、


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://cherubinpriel.blog.fc2.com/tb.php/1386-e42d7ab6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

大文字山三角点〜ワイルドな霊鑑寺ルート «  | BLOG TOP |  » タライ・ラマ師のZoom講座〜奥高麗茶碗

最新コメント

プロフィール

しぇる

Author:しぇる
京都へ移住する前から書いているブログなので、京都移住後もタイトルに愛着がありこんなタイトルです。でも「もう・住んでる・京都」です。旧ブログから引っ越ししてきました。

最新記事

カテゴリ

未分類 (14)
茶の湯 (385)
茶事(亭主) (82)
茶事(客) (172)
茶会(亭主) (17)
煎茶 (9)
京のグルメ&カフェ (94)
町家ウォッチング (10)
弘道館 (7)
岡崎暮らし (108)
MUSIC (4)
能・歌舞伎 (65)
京都めぐり2023 (29)
京都めぐり2022 (29)
京都めぐり2021 (30)
京都めぐり2020 (19)
コロナ緊急事態宣言下の京都2020 (12)
京都めぐり2019 (28)
京都めぐり2018 (20)
京都めぐり2017 (30)
京都めぐり2016 (34)
京都めぐり2015 (34)
京都めぐり2014 (39)
京都めぐり2013 (36)
京都めぐり2012 (6)
本・映画 (14)
美術館・博物館 (138)
奈良散歩 (129)
大阪散歩 (1)
着物 (8)
京の祭礼・伝統行事 (60)
祇園祭2023 (9)
祇園祭2022 (11)
祗園祭2021コロナ下 (5)
コロナ下の祇園会2020 (1)
祗園祭2019 (18)
祗園祭2018 (11)
祗園祭2017 (17)
祗園祭2016 (18)
祗園祭2015 (16)
祇園祭2014 (13)
祇園祭2013 (14)
修二会2023 (10)
修二会2022 (8)
コロナ下の修二会2021 (6)
修二会2020 (5)
修二会2019 (3)
修二会2018 (4)
修二会2017 (4)
修二会2016 (3)
修二会2015 (3)
修二会2014 (3)
修二会2013 (3)
その他の町散歩 (10)
京都和菓子の会 (4)
ソウル紀行2023 (3)
イスタンブール・カッパドキア紀行2013 (8)
英国田舎紀行2015・湖水地方とコーンウォール (7)
パリ紀行2014 (7)
ノルウェー紀行2016 (4)
古筆 (1)
ポルトガル中部〜北部紀行2017 (7)
京都でお遊び (13)
ギャラリー (4)
暮らし (13)
中国茶 (48)
京都の歴史・文化について勉強 (3)
過去ブログ終了について (0)
猫 (1)
滋賀さんぽ (21)
オランダ・ベルギー紀行2018 (9)
ニュージーランド紀行2019 (9)
台北旅行2018 (3)
高野山 (2)
骨董・工芸品 (1)
東京散歩 (2)
諏訪紀行2021 (4)
金沢さんぽ (1)
御所朝茶 (4)
有田2022 (1)
熊野三山巡り (2)
兵庫さんぽ (1)
太宰府 (2)
丹後旅行 (3)
仕覆制作 (3)
信州旅行2023 (2)

月別アーカイブ

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR