しばしお別れ東大寺・戒壇堂〜国宝四天王像 - 2020.06.20 Sat
梅雨の晴れ間に奈良。
今月いっぱいで改修のため3年間の長いお休みをとる東大寺戒壇院戒壇堂へ。
県庁東からの道を北上する。趣のある土塀の小道は好きな道である。
たいていの観光客はここをす通りするから静かなのだ。
戒壇堂の石段前にでる。
ここの右手には若草山、そして大仏殿の屋根が見えるのだ。
戒壇院はご存知、はるばる唐から苦難の道を乗り越えて来朝された鑑真和上が、日本で初の正式な授戒をされるために建立された寺院であった。
二度の兵役(平重衡南都焼き討ち、「麒麟がくる」で話題の松永弾正の東大寺攻め)と一度の火災で本来の堂宇は失われ、現在残るのは江戸時代に(1732)に再建されたこの戒壇堂のみ。
戒壇院四天王(国宝)、、、その名前を心に刻み込んだのは仏像フェチであった中学時代であった。TVではあったがその四天王像の静寂の佇まいに衝撃をうけ、いつかこれを見に行こう!と心に誓う。(京都の大学に行ったのはその奈良が近いというのも大きかったのよ)
多聞天、北方の守り 眉をひそめ宝塔を捧げ持ち仏法を侵すものに睨みをきかせ
広目天、広くものを見てつぶさに願いを書き取り
持国天、顔は憤怒となるも、仏にあだなすものにまだ怒りを抑えている様子が剣の先を押さえた左手である。この緊張感で私はこの方が一番好きなのだ。
増長天、ついに怒りは爆発、振り上げた戟で仏敵を討たんとする。
それぞれに1300年の間踏みつけられているかわいそうな邪鬼もお見逃しなく。
創建時、鋳造仏であったが焼失ののち、中門堂(現在はない、現在の指図堂あたりらしい)の塑像を移動したものとされる。天平勝宝年間、奈良時代の最高傑作の一つだと思う。
改修にはいった後は四天王像は東大寺ミュージアムにお移りになるが、完成した暁にはここへお戻りになると聞いて安心した。
仏像を美術品としてみるならば、空調湿度調整照明の整えられたミュージアムもありだが、信仰の対象としてみるならば、やはりこのお堂の中で拝みたいもの。
法華堂(三月堂)のこれまた大好きな日光月光両菩薩が、ミュージアムに拉致られてかえってこられないのが今でも悔しいのでことさらそう思う。(日光月光は痛みがかなり激しかったと聞く)あれは静謐なお堂の中で不空羂索観音さまの脇侍として拝むのがやはり一番美しいのだ。
そういえば、あの日光月光と時代も同じだが、四天王像は面差しがとてもよく似ていると思う。(一説にはいずれも国中公麻呂の作とも)
もう一つの見所は、江戸時代の大工さんがやたらと残した天井の梁などの手足形。皮脂が残って足などはくっきり(現代人では稀に見る)土踏まずが見えて興味深い。まさか自分の足型が300年後に見られているとは思わなんだだろうな。
戒壇堂の端からは大仏殿の屋根も見え、若草山も望める。
すぐ隣に東大寺幼稚園があって、ちょうど下園の時間で、お母さんといっしょに賑やかだ。ええなあ、幼稚園の頃から東大寺ですか(うらやまし)
戒壇堂から西に出て県庁東から近鉄駅に向う途中、旧京街道沿いに東大寺の西門跡がある。現在の南大門よりも壮麗な門だったという。
この周辺みとりゐ(見鳥居・ちょうど春日大社の一の鳥居が見える)池遊園になっていて、観光客もまず訪れない(通りと段差があって一見入れなさそうなので)けれど、ゆっくりくつろげる緑多い場所だ。秋には銀杏の落ち葉絨毯が美しいらしい。

ついでにやっと昨年出来たばかりの県庁横、奈良公園バスターミナルにも行ってみた。
多くのテナントがコロナの影響でまだ閉まったままだ。
しかし、ここからの若草山、みとりゐ池遊園の眺めはなかなか良い。
せっかくだからここのスタバでコーヒー買って、テラス席で眺めを楽しみつつひとときすごした。
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