イスタンブール・カッパドキア紀行2013〜2)アヤソフィア+ブルーモスク - 2013.08.15 Thu
イスタンブール。
イスラム圏でもっとも早くもっとも良い形で政教分離が成功した町。
近代的な町ながら、日に数回あるお祈りの時間には町中に礼拝の呼びかけの放送が流れ、イスラムという宗教が色濃く残る町。
アッラーは偉大なり アッラーは偉大なり
アッラーの他に神はなし アッラーの他に神はなし
ムハンマドはアッラーの使徒なり ムハンマドはアッラーの使徒なり
礼拝のために来たれ! 礼拝のために来たれ!

町行く女性の多くはいまも髪をかくすヒジャブをつけ、なかには目しかのぞかないニカーブをつけている人も。
頭からすっぽり黒いチャドルを着ている女性も多くいたが、30度をこすこの暑さの中、いったいどういう体温調整システムになっているのだろう。
とにもかくにもイスタンブールの目玉、向かい合って建つ、アヤソフィアとブルーモスクことスルタン・アフメットジャミイ(以下ブルーモスク)へ。
<アヤソフィア>

京都は38度を記録したらしいが、ここも負けていない。日なたはけっこうじりじりする。

ご存じ、ここは4世紀にローマ帝国の首都がビザンティウム(現イスタンブール)におかれたときのギリシャ正教総本山として建てられた。

何度かの建て増し、焼失の歴史をへながら、ビザンチン芸術の最高峰たるきらびやかなモザイク画で当時は壁一面が埋め尽くされていたという。
しかし、1453年オスマントルコによりコンスタンティンノープル(これも現イスタンブール、ほんま世界史でもやったけど、何回名前変えるねん)は制圧され、キリスト教は排除、偶像崇拝を否定するイスラムのスルタンは壁をすべて漆喰で塗り固めてしまった。そして永いオスマントルコの時代、このモザイク画は日の目を見ることなく、存在すら忘れられていった。

1931年、アメリカの調査隊によって発見されたモザイク画はその後漆喰を剥がしながら修復がすすみ(今なおあちこち修復中)そののち博物館として公開され、今にいたる。

数奇な運命をたどったゆえか、真ん中に聖母と幼いキリストのモザイク画、そのわきにイスラムの大メダリオン(右がアッラーで左がムハンマド)という奇っ怪さ。

ちなみに二階から見たメダリオンの裏側はこんなになってるのよ。

キリスト教なら礼拝所になるべき中央から、メッカの方向に少しずれておかれたイスラムの礼拝所。

まだまだ修復は継続中。

二階にあるデーシスというモザイク画。アヤソフィアのなかで一番美しい最高傑作とされている。
デーシスとはビザンティン美術の伝統的なイコンで、玉座に座るキリスト、傍らに聖母マリヤと洗礼者ヨハネが立った姿で描かれる。
人間を救ってくれるよう、キリストに向かって嘆願するポーズだそうだ。

下半分は残念ながら災害や盗難などにあって消失したらしい。あまりの美しさにイスラム教徒ですら漆喰で上塗りせずカーテンで隠した、という説も。
ちなみにこの天井もかつてはすべてモザイクでうめつくされていたそうだ。どんなにきらめいて美しかったことだろう。想像するしかないが。

かすかにアーチの内側にのこるモザイク。きらきら。

願いの柱。
アヤソフィア一階の隅にある柱でなぜかいつもしっとり濡れている。言い伝えではこの柱には天使が住んで町を守っていたが、オスマントルコが攻めてくる数日前に去ってしまったので、制圧されてしまったとか。その際、イスラムの天使(天使というのか?)が、教会がメッカの方向に向いていないので、この柱の穴に指をいれてずらした、という伝説も。
穴の中に指を入れて手を360度まわせば願いが叶うとか。で、すごいすり減ってます。
私ももちろんやりました〜。

壁だけでなく、地面にもご注目を。様々な色の大理石で荘厳されています。これはビザンティン帝国の王様が戴冠した場所の床。
宗教への篤き情熱とはかくもすざまじくありなん。

夕暮れのアヤソフィア。興奮した熱を少しさまそう。
<ブルーモスク>
さてお向かいのブルーモスクへ。

17世紀初頭のスルタンアフメット1世によって作られた、今も現役のモスク。

両サイドに建つ尖塔はイスラム建築ではミナレットと呼ばれるが、ここのように6本なのはめずらしいのだそうだ。(アングルによっては全部は見えない)
一説ではアフメット1世が「黄金(アルトゥン)のミナレットを」と言ったのに、建築家が「6(アルトゥ)本のミナレット」と聞き違えた怪我の功名とも。

ちょうど1日5回あるお祈りの時間にあたったため、非ムスリムはしばらく終わるまで待たないといけなかった。しかも入り口も分けられている!
モスクの外でもお祈りしている敬虔な信者達。

ドレスコードもあり。要するに肌を露出してはいけない、女性は髪を隠さなくてはいけない。

露出過多の人は入り口でスカーフや腰巻き貸してくれる。

私はそれ用に持参したスカーフでニセヒジャブ。
イスラムでは、女性の髪は男を誘惑する物と考えられているので、夫以外の男性と接する家の外ではかくすのだそうだが、コチラの女性は髪がみえなくてもすごく美しく魅力的過ぎ!
目だけだしているニカーブ姿はかえってなまめかしく、むしろ蠱惑的なんだが。

それにしても世界各国からやってきたムスリム、非ムスリム、、、うじゃうじゃと多すぎないか?!
きけば前の日までラマザン(断食月・ムスリムのたいせつな行事)だったので、それが開けた楽しさに週末というのも加わって、現地の人も大勢きているそうな。もう人に酔いそうなくらいすごかった。大阪も真っ青なくらい。
ちなみにラマザン明けの3日間はシュケル・バイラム(砂糖祭)といって官公庁も、バザールもお休み。

こちらはすかすか?というなかれ。
ここは礼拝者用のスペースで観光客は入れないのだ。しかし、美しい絨毯。さすがトルコ。

内部に使われるイズニックタイルはブルーを基調にしたものが多いので、ブルーモスクと呼ばれるようになったが、

ブルーは淡く、全体的にみると「ブルー」という印象は薄い。

大ドームを支える4本の象の柱とよばれる巨大な柱。
近くで見るとチューリップのデザインが多い。スルタンが愛した花でもあり、実はトルコ原産の花。国の花にもなっている。町の土産物屋さんでうっているタイルもチューリップ模様が多いのに気づくはず。

とにかく天井のタイルが美しいので上ばかり見ているから首が痛くなる。

こちらは区切られている女性用礼拝所の天井。

もちろん、扉のアラベスクもお忘れ無く。

モスクの外には礼拝の時間表示が。太陽の位置などで計算するので毎日少しずつちがうらしい。

出口で寄付を募っていたので、無料で何回も入らせてもらったから、20TL(1000円くらい)寄付すると証明書のようなものをいただいた。(確定申告に使える?^_^;)

夕刻にはアヤソフィアとブルーモスクの間の公園は様々な屋台も出て、おそくまで家族連れや観光客で賑わっていた。

暮れの空のミナレットのわきに、トルコの国旗のような(正確には向き逆だが)三日月を発見。
そぞろ歩きに気持ちのよい宵であった。(屋台でいろいろ買い食いもしながら)
* 旅行記まだまだ続きます。しばらくおつきあい下さいマセ。
イスラム圏でもっとも早くもっとも良い形で政教分離が成功した町。
近代的な町ながら、日に数回あるお祈りの時間には町中に礼拝の呼びかけの放送が流れ、イスラムという宗教が色濃く残る町。
アッラーは偉大なり アッラーは偉大なり
アッラーの他に神はなし アッラーの他に神はなし
ムハンマドはアッラーの使徒なり ムハンマドはアッラーの使徒なり
礼拝のために来たれ! 礼拝のために来たれ!

町行く女性の多くはいまも髪をかくすヒジャブをつけ、なかには目しかのぞかないニカーブをつけている人も。
頭からすっぽり黒いチャドルを着ている女性も多くいたが、30度をこすこの暑さの中、いったいどういう体温調整システムになっているのだろう。
とにもかくにもイスタンブールの目玉、向かい合って建つ、アヤソフィアとブルーモスクことスルタン・アフメットジャミイ(以下ブルーモスク)へ。
<アヤソフィア>

京都は38度を記録したらしいが、ここも負けていない。日なたはけっこうじりじりする。

ご存じ、ここは4世紀にローマ帝国の首都がビザンティウム(現イスタンブール)におかれたときのギリシャ正教総本山として建てられた。

何度かの建て増し、焼失の歴史をへながら、ビザンチン芸術の最高峰たるきらびやかなモザイク画で当時は壁一面が埋め尽くされていたという。
しかし、1453年オスマントルコによりコンスタンティンノープル(これも現イスタンブール、ほんま世界史でもやったけど、何回名前変えるねん)は制圧され、キリスト教は排除、偶像崇拝を否定するイスラムのスルタンは壁をすべて漆喰で塗り固めてしまった。そして永いオスマントルコの時代、このモザイク画は日の目を見ることなく、存在すら忘れられていった。

1931年、アメリカの調査隊によって発見されたモザイク画はその後漆喰を剥がしながら修復がすすみ(今なおあちこち修復中)そののち博物館として公開され、今にいたる。

数奇な運命をたどったゆえか、真ん中に聖母と幼いキリストのモザイク画、そのわきにイスラムの大メダリオン(右がアッラーで左がムハンマド)という奇っ怪さ。

ちなみに二階から見たメダリオンの裏側はこんなになってるのよ。

キリスト教なら礼拝所になるべき中央から、メッカの方向に少しずれておかれたイスラムの礼拝所。

まだまだ修復は継続中。

二階にあるデーシスというモザイク画。アヤソフィアのなかで一番美しい最高傑作とされている。
デーシスとはビザンティン美術の伝統的なイコンで、玉座に座るキリスト、傍らに聖母マリヤと洗礼者ヨハネが立った姿で描かれる。
人間を救ってくれるよう、キリストに向かって嘆願するポーズだそうだ。

下半分は残念ながら災害や盗難などにあって消失したらしい。あまりの美しさにイスラム教徒ですら漆喰で上塗りせずカーテンで隠した、という説も。
ちなみにこの天井もかつてはすべてモザイクでうめつくされていたそうだ。どんなにきらめいて美しかったことだろう。想像するしかないが。

かすかにアーチの内側にのこるモザイク。きらきら。

願いの柱。
アヤソフィア一階の隅にある柱でなぜかいつもしっとり濡れている。言い伝えではこの柱には天使が住んで町を守っていたが、オスマントルコが攻めてくる数日前に去ってしまったので、制圧されてしまったとか。その際、イスラムの天使(天使というのか?)が、教会がメッカの方向に向いていないので、この柱の穴に指をいれてずらした、という伝説も。
穴の中に指を入れて手を360度まわせば願いが叶うとか。で、すごいすり減ってます。
私ももちろんやりました〜。

壁だけでなく、地面にもご注目を。様々な色の大理石で荘厳されています。これはビザンティン帝国の王様が戴冠した場所の床。
宗教への篤き情熱とはかくもすざまじくありなん。

夕暮れのアヤソフィア。興奮した熱を少しさまそう。
<ブルーモスク>
さてお向かいのブルーモスクへ。

17世紀初頭のスルタンアフメット1世によって作られた、今も現役のモスク。

両サイドに建つ尖塔はイスラム建築ではミナレットと呼ばれるが、ここのように6本なのはめずらしいのだそうだ。(アングルによっては全部は見えない)
一説ではアフメット1世が「黄金(アルトゥン)のミナレットを」と言ったのに、建築家が「6(アルトゥ)本のミナレット」と聞き違えた怪我の功名とも。

ちょうど1日5回あるお祈りの時間にあたったため、非ムスリムはしばらく終わるまで待たないといけなかった。しかも入り口も分けられている!
モスクの外でもお祈りしている敬虔な信者達。

ドレスコードもあり。要するに肌を露出してはいけない、女性は髪を隠さなくてはいけない。

露出過多の人は入り口でスカーフや腰巻き貸してくれる。

私はそれ用に持参したスカーフでニセヒジャブ。
イスラムでは、女性の髪は男を誘惑する物と考えられているので、夫以外の男性と接する家の外ではかくすのだそうだが、コチラの女性は髪がみえなくてもすごく美しく魅力的過ぎ!
目だけだしているニカーブ姿はかえってなまめかしく、むしろ蠱惑的なんだが。

それにしても世界各国からやってきたムスリム、非ムスリム、、、うじゃうじゃと多すぎないか?!
きけば前の日までラマザン(断食月・ムスリムのたいせつな行事)だったので、それが開けた楽しさに週末というのも加わって、現地の人も大勢きているそうな。もう人に酔いそうなくらいすごかった。大阪も真っ青なくらい。
ちなみにラマザン明けの3日間はシュケル・バイラム(砂糖祭)といって官公庁も、バザールもお休み。

こちらはすかすか?というなかれ。
ここは礼拝者用のスペースで観光客は入れないのだ。しかし、美しい絨毯。さすがトルコ。

内部に使われるイズニックタイルはブルーを基調にしたものが多いので、ブルーモスクと呼ばれるようになったが、

ブルーは淡く、全体的にみると「ブルー」という印象は薄い。

大ドームを支える4本の象の柱とよばれる巨大な柱。
近くで見るとチューリップのデザインが多い。スルタンが愛した花でもあり、実はトルコ原産の花。国の花にもなっている。町の土産物屋さんでうっているタイルもチューリップ模様が多いのに気づくはず。

とにかく天井のタイルが美しいので上ばかり見ているから首が痛くなる。

こちらは区切られている女性用礼拝所の天井。

もちろん、扉のアラベスクもお忘れ無く。

モスクの外には礼拝の時間表示が。太陽の位置などで計算するので毎日少しずつちがうらしい。

出口で寄付を募っていたので、無料で何回も入らせてもらったから、20TL(1000円くらい)寄付すると証明書のようなものをいただいた。(確定申告に使える?^_^;)

夕刻にはアヤソフィアとブルーモスクの間の公園は様々な屋台も出て、おそくまで家族連れや観光客で賑わっていた。

暮れの空のミナレットのわきに、トルコの国旗のような(正確には向き逆だが)三日月を発見。
そぞろ歩きに気持ちのよい宵であった。(屋台でいろいろ買い食いもしながら)
* 旅行記まだまだ続きます。しばらくおつきあい下さいマセ。
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