イスタンブール・カッパドキア紀行2013〜3)2つの王宮:トプカピとドルマバフチェ - 2013.08.17 Sat
<トプカピ宮殿>
実は私の旅行用カバンのメーカーの名前が「TOPKAPI」で。(なんの関係もないけど)どこか遠くの国〜と思っていたが、ここへくることになるなんて。

トプカピというのは「大砲門」という意味なのだそう。もっとも見晴らしのよい丘に建てたも建てたり、超豪華宮殿。15世紀から19世紀まで、ここに歴代スルタンとその家族が住み、国政の中心であった。

なんといってもイスタンブールで超人気観光スポットなので、(最近は特に中国人観光客すごく多い)混み合わない朝イチをねらう。おかげで人気のハレム(後宮)も独り占め状態

入り口には黒人宦官:主にエジプトからつれてこられたヌビア人の部屋があり、ハレムの警備・外交をとりしきっていたらしい。

ハレムには各国から奴隷としてつれてこられた美女が、スルタンの后の座をめざすべくあらゆる教育を受け、美貌と教養を磨いた場所。第一王子を生んだ女が第一后となり、その子が王になった暁には絶大な権力を握っていたとか。

語学から、楽器、舞踊、あらゆる教育をうけてこのような豪華な場所で、衣食の心配なくくらせるなら、王妃にならなくても良いような気がするが、

その実内部の権力闘争はかなり激しかったらしく、毒殺事件も多々あったとか。しかも当代のスルタンが亡くなった後はハレムからおいだされ、その時、前スルタンの子を身ごもっている女性は殺されたと言うから、それほど安楽な生活でもなかったらしい。

ああ、それにしても美しいイズミックタイルの数々!

顔料として、サフラン、コバルト、珊瑚が使われているそう。当時高価な顔料だっただろうな。

しばらくイズミックタイルの数々を眺めてみてね。



(あ、消火栓が邪魔、、、)


おお〜、、、美しい、、、

ハレムのテラスからはイスタンブールの町が見下ろせましたが、庭園の四阿からは、、、

金角湾〜アジアとの境・ボスフォラス海峡が望めます。

ここはぎりぎりヨーロッパ。果たしてEU加盟なるか?あるいは加盟しない方がトルコには幸せか?

このあたりアルハンブラ宮殿を思い出させる。夏は暑いだけに涼をとる工夫もされているが、建物の中は実は涼しい。京都のようなあのじめっとした湿度がないせいかな。

スルタンのくつろぎの座。
あなたはいかが?
<ドルマバフチェ宮殿>

こちらは金角湾の海沿いに建てられたドルマバフチェ宮殿。トプカピが中世の宮殿だとするとこれは近代の宮殿。

19世紀中頃、トルコの近代化、ヨーロッパ形式導入につとめたアブドゥル・メジト1世が建て、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮となった宮殿。
ちなみにメジト1世はロシアとのクリミア戦争に勝利したスルタン。

ヨーロッパのバロック様式と伝統のオスマン様式を折衷した宮殿で、外観や公的部分は全く他のヨーロッパの宮殿とかわらないが、ハレムエリアがあるのがさすがオスマン。

ちなみに中は写真NGなので画像はありません。オリジナルの絨毯が敷き詰められているので、見学者はこのように土足にカバーをかけないといけない。

中のインテリアはガラス製品がバカラだったり、イギリス製クリスタルだったり、イタリア製の調度だったり、完全なヨーロッパ趣味。それにしても燦然と輝くバカラの超デカイシャンデリア、すごかったなあ。あの火屋1つでもいいからほしい〜!!(>_<)

ボスフォラス海峡は目の前。
オスマン帝国の皇帝がいなくなった後も、政府の迎賓館として使われ、トルコ共和国樹立後にはイスタンブールにおける大統領の執務所として用いられたそう。
1938年、トルコ近代化を牽引した初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクはこの宮殿で亡くなり、その亡くなったベッドにはトルコの大きな国旗がかけられていました。
実は私の旅行用カバンのメーカーの名前が「TOPKAPI」で。(なんの関係もないけど)どこか遠くの国〜と思っていたが、ここへくることになるなんて。

トプカピというのは「大砲門」という意味なのだそう。もっとも見晴らしのよい丘に建てたも建てたり、超豪華宮殿。15世紀から19世紀まで、ここに歴代スルタンとその家族が住み、国政の中心であった。

なんといってもイスタンブールで超人気観光スポットなので、(最近は特に中国人観光客すごく多い)混み合わない朝イチをねらう。おかげで人気のハレム(後宮)も独り占め状態


入り口には黒人宦官:主にエジプトからつれてこられたヌビア人の部屋があり、ハレムの警備・外交をとりしきっていたらしい。

ハレムには各国から奴隷としてつれてこられた美女が、スルタンの后の座をめざすべくあらゆる教育を受け、美貌と教養を磨いた場所。第一王子を生んだ女が第一后となり、その子が王になった暁には絶大な権力を握っていたとか。

語学から、楽器、舞踊、あらゆる教育をうけてこのような豪華な場所で、衣食の心配なくくらせるなら、王妃にならなくても良いような気がするが、

その実内部の権力闘争はかなり激しかったらしく、毒殺事件も多々あったとか。しかも当代のスルタンが亡くなった後はハレムからおいだされ、その時、前スルタンの子を身ごもっている女性は殺されたと言うから、それほど安楽な生活でもなかったらしい。

ああ、それにしても美しいイズミックタイルの数々!

顔料として、サフラン、コバルト、珊瑚が使われているそう。当時高価な顔料だっただろうな。

しばらくイズミックタイルの数々を眺めてみてね。



(あ、消火栓が邪魔、、、)


おお〜、、、美しい、、、

ハレムのテラスからはイスタンブールの町が見下ろせましたが、庭園の四阿からは、、、

金角湾〜アジアとの境・ボスフォラス海峡が望めます。

ここはぎりぎりヨーロッパ。果たしてEU加盟なるか?あるいは加盟しない方がトルコには幸せか?

このあたりアルハンブラ宮殿を思い出させる。夏は暑いだけに涼をとる工夫もされているが、建物の中は実は涼しい。京都のようなあのじめっとした湿度がないせいかな。

スルタンのくつろぎの座。
あなたはいかが?
<ドルマバフチェ宮殿>

こちらは金角湾の海沿いに建てられたドルマバフチェ宮殿。トプカピが中世の宮殿だとするとこれは近代の宮殿。

19世紀中頃、トルコの近代化、ヨーロッパ形式導入につとめたアブドゥル・メジト1世が建て、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮となった宮殿。
ちなみにメジト1世はロシアとのクリミア戦争に勝利したスルタン。

ヨーロッパのバロック様式と伝統のオスマン様式を折衷した宮殿で、外観や公的部分は全く他のヨーロッパの宮殿とかわらないが、ハレムエリアがあるのがさすがオスマン。

ちなみに中は写真NGなので画像はありません。オリジナルの絨毯が敷き詰められているので、見学者はこのように土足にカバーをかけないといけない。

中のインテリアはガラス製品がバカラだったり、イギリス製クリスタルだったり、イタリア製の調度だったり、完全なヨーロッパ趣味。それにしても燦然と輝くバカラの超デカイシャンデリア、すごかったなあ。あの火屋1つでもいいからほしい〜!!(>_<)

ボスフォラス海峡は目の前。
オスマン帝国の皇帝がいなくなった後も、政府の迎賓館として使われ、トルコ共和国樹立後にはイスタンブールにおける大統領の執務所として用いられたそう。
1938年、トルコ近代化を牽引した初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクはこの宮殿で亡くなり、その亡くなったベッドにはトルコの大きな国旗がかけられていました。
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● COMMENT ●
しぇる様
にゃんちゃん様
すぐアップしないと短時間で記憶が消えていくんですもの、最近。(>_<)
自分のメモ代わりにちょっと長々書いてしまいました。
おつきあいくださって、ありがとう!
自分のメモ代わりにちょっと長々書いてしまいました。
おつきあいくださって、ありがとう!
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トプカピ宮殿の美しさ。眩暈がしそうです。
ボスフォラス海峡にカッパドキア、いつか行ってみたいなぁ。
食べ物もおいしそうですし、お土産も魅力的です。
それにしても帰国してからすぐにこんなにきちんとアップをされるしぇる様ってすごいです!!