歌川広重展〜佐川美術館 - 2020.09.08 Tue
コロナ後の初めての佐川美術館

湖国の空は少し秋の色
気温は40度近いのだけれど。
入館に際しては一人一人検温、館内は「距離をとってください」のプラカードをもったスタッフが巡回、しかしこの日歌川広重展最終日だったので(車以外はアクセスがかなり困難な場所でありながら)たくさんの人がおこしで、けっこう混み混み。まあしゃべることはないので大丈夫だろう。
今日は「東海道五十三次」に従って江戸から京三条大橋へ旅するよ!
あまりにも有名な広重の五十三次で、いずれの絵も一度は見たことがあるが、東海道に沿って宿場毎においかけて見るってことはなかったなあ。
宿場の名前も現在の地名と違うところも多いので、頭の中で地図を描きながら見ていく。
全体的な構図や構成、遠近法のあまい感じもかえって雰囲気があり、描かれた江戸時代の人々の人間くささが好きだ。知らない時代でありながらおそらく生活のなかの喜怒哀楽は現代人とかわるまいと思う。もっとも今の東京ー京都は2時間ちょっとであるが。
東海道五十三次の各宿場の絵と同じ宿場を描いた「五十三次名所図絵」、同じ広重でありながらそこに20年の時間の開きがある。前者は1833年、後者は1855年である。え?明治維新のほんの10数年の前なの?と驚く。意外と最近の人なんや広重さん。意外と最近の生活を描いてはるんや。よけいに描かれたひとたちに親近感を感じるわ。
後者の方が構図が大胆で、近代絵画のように斬新なのだが、しみじみとしてみるとやっぱり五十三次の方が響くものがある様な気がする。
途中、富士山がかなりの宿場で描かれていて、東海道は富士山を見ながら歩く道だったのだなあと思う。新幹線なら一瞬だけれど、、、(^_^;
あと版元がいろいろあって、その判子を見るのも興味深いよ。多くは有名な蔦屋(ツタヤの前身だったりして(^_^;)と武内孫八である。
ところで広重は62歳で無くなっているのだが、死因が当時猖獗を極めたコロリ(コレラ)だったとは!コロナ禍の今なんだか他人事でなかったり。(当時活躍した緒方洪庵と同時代の人やったんやなあ)
やっと京までたどりついて、なんだか一緒に長旅が終わってほっとした気持ちになったよ。
帰りに楽吉左衛門館にも久々に寄ってみる。
ここでの楽さんのお茶会やらお茶事やら、ひところよく行ったものだ。今はもう直入さんになってしまわれた。
この水の下のスペースはいつみても光りと水紋の動きが美しいと思う。
テーブルの数を減らして営業中のカフェでランチもして、、
そういえば大津宿では今も残る(八幡に移転したけど)走井餅の店が描かれていたなあ、、などと考えつつ湖国をあとにしよう。
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