淡路島にて長月朔日の茶事 - 2020.09.06 Sun
海を越えて淡路島、師匠にお茶事をお願いした。季節はもう長月にはいるが、昼間の太陽は容赦なく、ひたすら暑い。茶人は9月からすっきり単衣を御召しになる。(私は無理)
待合の掛け物は、定家の歌を小堀宗慶(遠州流先代)が定家様で書いた藤川百首のうち「海上待月」。
「あはじしま 秋なき花をかざしもて いづるもおそし いさよひの月」
なんと淡路島のしかも月の月、の茶事にぴったりの歌ではないか。今回のテーマは月かな。(と思い込み、実は大失敗をのちにやらかす)

汲み出しは横井米禽の染付、この方は名古屋の古美術商だった方で初めて聞く名前であった。おぼえておこう。煙草盆が蒔絵に透かしの入った、どこか貴族的で優雅な冊屑箱(さくずばこ)、過去の記事をみたらこれ一度はみているはず、そういえば名前に記憶が、、、。書き損じた短冊を入れておく箱の意だが、炭斗として使われることもあるそうだ。
腰掛け待合いではお祖母様のお土産というビロウ団扇、沖縄ではクバとよばれる植物の葉っぱでできている団扇をご用意くださっていた。
つくつくぼうしの声に混じって秋の虫の声もあり、暑いながらも秋の気配が一筋まじっていると感じる9月の初日である。
座敷は葦戸を透かしてみる露地の光りが美しく、そこにご亭主の姿がシルエットになって、なんともいえぬ風情である。(しかもクーラー付き!うらやましい)
軸は「月在青天影在波」
菜根譚の一節で物欲がなくなった人間の境地をあらわすらしいが、なんとも先ほどの定家の歌に呼応しているようで心憎い。書いたのが仁和寺門跡・岡本慈航、近衞文麿のブレーンでもあった方。ここで「仁和寺」をスルーしたのが痛い。(のちほど)
懐石は師匠ご夫婦の合作で、汁のミニトマトが珍しい。ご飯のおかわりがトウモロコシ飯で、これ大好きなので山盛りいただいてしまった。石杯とともにだされたのが梅酒で、するすると何杯でもいけそう。李朝の白磁に脱力系鉄絵の酒器がよかったな。石杯は鈍阿の継ぎのあるやつを選んだが、これがまたよかった。
煮物椀のなかに満月、それに村雲
上のミジン粉がこぼれ萩みたいで技ありの一椀。そろそろ油ののってきた鱧の塩焼きも美味しかった。(懐石のハードルがあがるなあ)
コロナ下ということもあり、お皿もたくさん拝見したいので銘銘皿に懐石を盛っていただいたが、村田森さんの染付や三島写しやいっぱいでてきてとてもうれしい♪
(腰掛け待合いのチャボ)
炭点前
三典淨味(名越家四代)の色紙釜にかわいらしい江戸大西初代定林の杵釜(?)がマッチしている。鱗籠の炭斗は名人といわれた11代一閑の花押あり。蜻蛉の香合(近左)もすてきだったが印象的だったのが赤膚焼の木白の灰器。「赤膚山」の数種の印をぺたぺた押してあってなんとなくかわいい。
お菓子が名古屋の亀広良さんの「夏の霜」
この銘でピンとこないといけなかったのだが、いかんせん、力不足で謎かけが全然わからなかったのは悔しい限りである。しかも飾り床に琵琶のミニチュア(正倉院の螺鈿紫檀五絃琵琶)が飾ってあったのに、、、それもスルーしてました。敗北感ただよう、、、
(ここで謎かけがわかったかたはお能にくわしい方ですね)
後座
床には経筒籠に山からとってこられたという葛、垂れ下がる蔓に花までついている。葛の花みるの初めてかも知れない。
コロナ下ということでみんな苦労している回し飲み撤廃後の濃茶のあり方、やはり3人までの客なら替え茶碗を人数分用意して、替え茶碗にあらかじめ濃茶をいれておく、というのが一番スマートだと思う。
印象的なのは茶入。茶壺の底を思い切り裾つぼまりにした感じ、この安定感の悪さ(ルーシーリーの茶碗の底に似ている)が点前の空間に緊張感を生み出している。手に取ると思いのほか軽い。南方系かなと思ったらやはり島物であったが、師匠が初めて自分で買われた茶入れで、先達からもっとまともなのを買え、とずいぶんくさされた(^_^;という歴史あり。たくさんのお道具をお持ちの現在は、端整なお道具の中にこの茶入がいいフックになっていると思う。銘を「案山子」、なるほどな〜と胸におちる。
茶杓が「竹生島」、淡々斎が昭和16年に(巳年)に削った物とか。同じ年、京大心茶会が淡々斎の協力の下久松真一によって創設されたことを思えばなにやらゆかしい。
「月海上にうかんで 兎も波を走るか おもしろの島の景色や(謡曲「竹生島」)」であるが、もうひとつ謎かけが隠されていた。
御茶碗も各服点てなので、薄茶もあわせてたくさん見せてもらった。師匠の祖父母様ゆかりの茶碗など、今回は師匠の御家の歴史と蔵の深さを再認識した次第である。
ちなみに私が濃茶をいただいたのは京唐津、めちゃ渋い茶碗であった。
薄茶器は「夕顔」、今仕舞は「半蔀(源氏物語夕顔の話)」を習っているのでそれを思い出しつつ、茶杓は「十六夜」、待合の定家の歌にかえって大団円である。
さて、私がみぬけなかったテーマはなんでしょう?
謡曲「経正」でありました。
経正は清盛の甥にして敦盛の兄、幼くして仁和寺の守覚法親王に仕え、また琵琶の名手であった。平家の戦勝祈念に竹生島で琵琶を奏でると龍神が舞い下りたという。稀代の名器の琵琶「青山」を賜ったが、平家都落ちの際にそれを守覚法親王に預けておちてゆき、一ノ谷の合戦で討ち死。
風枯木を吹けば晴天の雨 月平沙を照らせば夏の夜の霜の起居も安からで 仮に見えつる草の蔭 露の身ながら消え残る 妄執の縁こそ。つたなけれ
この部分がお菓子「夏の霜」だったのですね〜。あとで調べるとこんなに色々お考え下さったというのに、私のレベルを完全に読み誤っておいででした〜(^_^;スミマセン〜〜
- 関連記事
-
- 播州焼物尽くしの茶事
- 淡路島にて長月朔日の茶事
- 甲斐の国で日本文学者の朝茶事
● COMMENT ●
トラックバック
http://cherubinpriel.blog.fc2.com/tb.php/1445-ac2f18f7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)