復曲能「篁(たかむら)」謡奉納〜六道珍皇寺 - 2020.10.18 Sun

お盆に毎年来ている六道巡りの六道の辻、お盆以外にはこんなに静かなんだな。
六道の辻にある六道珍皇寺、毎年お盆には大勢のお参りの人で賑わうが、今年はコロナで蓮の花や高野槙を売るお店もなくさびしかった。
なんと今季、秋の特別公開にあたっているらしい。
お盆の時の地下にある迎え鐘も、特別に鳴らしてもいいみたい。(ご先祖様、間違って帰ってこないやろうな(^_^;)
今日、ここへきたのは復曲能「篁」の謡奉納が閻魔・篁堂であるので、それを聞きに。
京都観世会館は上演が途絶えていた作品を復曲される取り組みをされており、今回は法政大学の西野名誉教授による監修校訂による「篁」、室町時代にすでに廃絶した演目らしい。
小野篁といえば、平安初期の有能な官吏であり、また白楽天にも匹敵すると言われた漢詩人・歌人でもあったが、有名なのは地獄通いであろう。夜な夜な井戸を通りぬけて地獄へ行き、閻魔庁の役人をしていたという。
これは本堂の中の庭にある地獄へ行くときの井戸だそうだ。黄泉がえりの井戸(帰るときの井戸)も奥の方にあって、特別公開中は拝見できる。
本公演は来年2月13日だが、本日は小野篁に敬意を表してシテを演ずる味方玄師はじめ4名の能楽師さんがクライマックスの部分のお謡を篁の像の前で奉納される。
お謡奉納中。
小野篁像は実物大というがかなり大きい。記録では身長六尺二寸(188cm)もあったというから、それが本当なら平安貴族としては破格の巨漢であったといえよう。
また反骨の人で当時の嵯峨天皇を揶揄するような漢詩を作って隠岐の島に流されたりしている。(百人一首の「わだのはら八十島かけて、、、」はこの時の歌だそうだ)2年後に呼び戻されているのはそれだけ有能の人であったからだろう。
時代は下って同じく隠岐の島に流され、ここで亡くなった後鳥羽上皇がツレである。後鳥羽上皇が篁を慕って(流された者同士)弔っていると鬼形の篁が地獄の官吏としてあらわれ、バッタバッタと逆臣を地獄に落とし、後鳥羽上皇は溜飲を下げる、、、というようなお話らしい。
特別公開でたまたま観光で来ていた人、これをねらってきた能好きの人、でけっこうたくさんの方が拝聴していらした。マスコミもね。
奉納が終わったあとは本堂で味方師による「篁」の解説を聞く。
後鳥羽上皇とのからみのストーリーや見所、復曲の苦労などを聞く。
片手に金札(生前の行いの評価が書いてあり、地獄行き極楽行きが決まる)片手に中啓でばっさばっさと判定を下す鬼形の篁にはこれがふさわしかろう、と天神の面を使うことにされた、というお話しも実際に使う面を見せていただきつつ。
本公演は来年2月13日、シテ・味方玄 ツレ(後鳥羽上皇)・片山九郎右衛門
12月23日にプレ公演、本来プレス向けだが今年は一般見学も可能。
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