桜井を行く〜聖林寺・国宝十一面観音 - 2021.05.10 Mon
山辺の道近く、大和盆地古墳群のある桜井市の古い町並みを歩く。
このあたりもさすがに宅地化の波がおしよせているが、古い町並みもいくぶんのこっている。
造り酒屋の看板に「談山正宗醸造所」とあるのがご当地らしい。談山神社もすぐ近くだ。
あのこんもりした緑もきっと古墳であろうと思う。箸墓古墳や、高松塚古墳も近い。

桜井の駅から、歩くとちょっと距離がある(2.6km)し、バスは1時間に1本?だし、、、、の鄙びた場所に聖林寺はある。
中大兄皇子と藤原鎌足出会いの場と言われる談山神社のお膝元、その鎌足の長子・定慧が建てたとされる古い古いお寺である。
ここに安置されている国宝・十一面観音は秘仏であったが、フェノロサと岡倉天心によって開扉され、彼らによって絶賛された仏さまである。
安置されているお堂の免震工事のため、まもなく東京博物館へ1年ほど出張なさるのだそうだ。だからその前に、お堂の中でその仏様を見ようと、あわててやってきたのである。
山門をはいったところに談山神社の十三重塔を思わせる石塔が。
雨であったせいもあるかもしれないが、ほぼ独り占めである。
ご本尊は子安延命地蔵である。すごく大きいお地蔵様。(顔デカイ、、、)
本堂から山を登る形で観音堂へ。
この新しいお堂は昭和34年に造られたちょっと残念なコンクリート製。国宝を守るためにはいたしかたないと思いつつ。
それまではこの本堂のご本尊の隣、この景色が見える場所に、フェノロサが寄進したという御厨子の中においでだったそうだ。
もとはといえば、大神神社の神宮寺であった大御輪寺にあったものを、廃仏毀釈の折、当時の住職が譲り受けた客仏である。それが後に国宝指定第1号の一つとなろうとは。
半開きの扉から見上げるようにして見る十一面観音様。
天平時代の木心乾漆像である。立ち姿が優美な曲線を描き、左手に水瓶、右手は美しくバレリーナの手のようである。頭上の十一面はいくつかは失われているようだ。
異国からきて、長い間、だれも開けなかった扉の向こうに、この秘仏を見たフェノロサの記録を読んだ記憶があるのだが。それは感動的な事であっただろう。
御目の下に寝不足でできたようなシワが気になったが、よく見ると眼窩の形に目の周りがくぼんでいるのだ。木心で頭蓋骨を作り、そこにスーパーインポーズしたので、時の経過とともにへこんできたのであろうか。
この数日後に東京へおでましになるため(奈良からお出になるのは初めてとか)、連弁がすべて取り外されていて、なかったのが残念だが、かわりに普通は見られない連弁の芯の雄蕊の配列を見ることができた。
はてさて、東博で周りをぐるっとまわれる展示方法になるのだろうか。また東京でもお目にかかりたい。
小高い本堂から見下ろした眺め。こんな里にこの寺はある。
僅かの民家と季節柄花菖蒲があちこちに見られた。
本堂を辞して、次は歩くこと約半時間、長年行きたかった安倍文殊院へ、、、
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