やっと会えた善財君と獅子〜阿倍文殊院 - 2021.05.12 Wed
雨もあるだろうが、桜井市の安倍文殊院の駐車場はガラガラであった。
まあ、コロナやし仕方ないけれど、かえって密を避けられる穴場ではないだろうか。
聖林寺が山里の中にあるのに対してこちらは市街地にある。

もうずっとここの文殊渡海群像が好きで好きで、特にかわいいかわいい善財童子、ここの善財君は日本一ではないかと、おそらく私だけでなく皆そう思っていると思うわ。
開山はまさに大化の改新(乙巳の変と最近は言うらしい)の年、飛鳥の豪族安倍氏の氏寺として建てられた。後に阿倍仲麻呂や安倍晴明を生み出した一族である。
華厳宗であるから東大寺の末寺になる。鎌倉時代、東大寺復興に尽力した重源のご縁にて快慶が作った最高傑作がこちらの騎獅子文殊菩薩様なのである。
剣を携え、まさに雲海を越えて説法にお出ましになる姿といわれる。
りりしくも美しい!騎乗されており、見上げる形になるのでよけいにかっこいいのだ。
この困り顔の獅子も大好き(後の世の補填だそうだが)。本来文殊様の行く道の魔を祓う威嚇の表情なのだろうが、どうみても困っている、、、(^_^;
右のお菓子はこちらでいただける紋菓子。(獅子がねらっているような構図になってしまった(^_^;)
そして走りながら、文殊様を振り返って見上げるかわいいかわいい善財童子。
いわゆる「かわいい」ではないのだが、一度見たら忘れられない印象的な姿なのだ。
文殊様に言われて53人の善知識(名もなき民衆から有名な人まで)を訪ね、最後に普賢菩薩の元で悟りをひらいたといわれるが、その文殊様を限りない尊敬と敬愛を込めて見上げている姿がいとおしい。
あとの3人は獅子の手綱をとる優填王(西域の王様、華厳経との関わり有り)ははっきりしているものの、あとのお二人は維摩といわれたり最勝老人といわれたり、須菩提といわれたり色々説があるらしい。(善財君の前ではちょっと影薄い)
境内は奥が深く、周りは静かな緑に包まれる。
これは文殊様をお堂の外からお参りするところ。
平成になってから再建されたという金閣浮御堂。
おりからの安倍晴明ブームもあってか、魔除けの金札を一周する毎におさめて七周して七難をとりのぞく、というのがあったので、ちょっとやってみた。七まいりというらしい。
お堂の中には晴明の流れをくむ土御門家から寄贈の資料もおさめてあってなかなか興味深い。
奥の院まで登ると、大和三山と二上山、葛城まで見える、、、、はずが雨で耳成しかみえへんなあ。
こちらもブームにあやかってか、平成の世に再建された晴明堂。
場所柄、境内には二ヶ所古墳があって、こちらの東古墳は水が湧きでたといわれる閼伽井古墳、これも大化の改新の頃のものらしい。
もう一つ西古墳とよばれるのは、創建した阿部一族の墳墓であることはほぼ確定的とのこと、なんだか古墳時代のロマンにひたれる。
文殊院から桜井駅までは十分歩いて行ける距離なので、またいずれ文殊様と善財君と獅子に会いにまた来ようと思う。
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● COMMENT ●
高兄様
ここらへんになると、京都から来るのはかなり奈良オタクとか仏像オタクしかいかないかも。
桜井市は古墳時代の遺跡も多く、風景がまほろば感あって好きなのですが、このあたりにも宅地化の波が、、、
桜井市は古墳時代の遺跡も多く、風景がまほろば感あって好きなのですが、このあたりにも宅地化の波が、、、
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この辺りの御寺さんとなると
全く、伺った事がないので
御記事を、「ほう、ほう、なるほど」と頷くばかりでございます^^;
獅子と仏、仏教との繋がりって
たくさん有りますよね^^
説法に纏わる
声明を聞いて、滝を登る獅子とかね^^