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2023-10

奈良時代を生きた女性に思いを馳せつつめぐるならまち〜璉城寺・女人裸形阿弥陀像 - 2021.05.26 Wed

どしゃぶりに近い日であったが、奈良へ。

コロナ以前には、奈良に纏わるおもしろい歴史的おはなしが聞ける京終サロンが毎月有り、何度かおじゃまさせてもらった会場の璉城寺。ならまちの南西のはじっこの方になる。(バス停:紀寺町)


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璉城寺は非公開だが毎年5月の間だけ、秘仏の阿弥陀様の御開帳があると聞いていて、今年こそ行こうと思っていたところへ、うるわし奈良さんにぴったりのイベントが。どうせなら奈良に詳しい方のガイドで行ってみようと申し込み。


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今回のうるわし奈良さんのツアーは女人にまつわるならまちのあちこちを巡り、最後に璉城寺へという計画。雨にも負けずGo!

まずはご存知、猿沢の池、写真左手に朱色の鳥居が見えるだろうか。あれだけそばをしょっちゅう通っていたのに、なぜ気づかなかった?とりあえず猿沢の池との位置関係を見て神社に行くと、、、



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お社はあれど、あれれ、これは後ろ向きではないか?つまり猿沢の池に背中を向けている。

この神社は春日さんの摂社末社になるところの采女神社。
「大和物語」によると奈良時代、天皇に仕え寵愛をうけた采女が、その寵を失ったことに絶望して猿沢池に投身自殺をしたという伝説から、この采女を祀っている。こんな浅い池で自殺できたのか??という疑問はさておいて、やっぱり自分の最後の地を見たくないので一晩で後向になったという伝説。

毎年9月中秋の名月の宵に、まだ行ったことはないが采女祭がこの猿沢池で行われ、竜頭鷁首の舟がでる。その舟に乗るのは、采女に扮したミス奈良と、毎年福島から姫役の方を招くのだそうだ。なぜならその采女といわれる春姫は福島の出身だったからとは!これが現代まで続いているのが驚き。

やっぱり先達はあらまほしけれ(徒然草)、奈良に通いだして数十年、しらなかった。


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猿沢の池を背に、これもいつも渡りながら初めて名前を知ったの率川(いさがわ)をこえる(近鉄奈良の西に百合祭の率川神社あり)


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いよいよならまちに入るが、ここも歩き倒した町、知っているつもりで目がスルーしている場所がいくつもあるのに気づかされる。
ここは道祖神社(猿田彦神社)、平城天皇(嵯峨天皇の兄ちゃん)の御代に元興寺(ならまちはほとんどがもともと元興寺の境内)に作られた神社だそうだが、火難をくりかえし、こんな小さなお社に。伝説では同じならまちの御霊神社と氏子を取り合って敗れこんなに小さくなったとか。そんなに勝負に弱いのになぜか賽の神、勝負事の神様にもなっている不思議。



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ここもなにげに通っている道祖神社の前の道。
なんと6世紀に整備されたれっきとした官道、上ツ道(上街道)という。かつて奈良盆地の東を南北に貫き桜井までを結んでいたが、江戸時代になると伊勢参りや長谷寺参りの道にもなったということだ。いや、そんな道をなにげに通ってゴメンナサイ。


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さていよいよディープなならまちへ。

この虫籠窓のある古いお家のバラはいつも楽しみで、最近町家が消えつつあるならまちで、今日も無事だったと確認している。



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最近は住人も新しい人にいれかわりつつあり、ならまちは景観保全の運動があるのかないのかわからないが、将来どれくらいこの雰囲気が残るのか心配(スミマセン、よそさんなのに)。


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ならまちのランドマーク的漢方のお店。この周辺に奈良市がなんとか買い上げた大きな町家(奈良町にぎわいの家)や蚊帳を商う歴史的建物が並ぶ。(どうか、どうか残って〜!)




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ここも、いつもスルーしていた御霊神社。これだけ大きな神社なのになんで気づかなかったのかなあ。人は興味のある物しか見ないというが、その通りだ。
御霊神社は京都にもあるが、その御祭神はさらに古い。主祭神は井上内親王(皇后・いがみ)とその息子・他戸皇子(おさべ)。
井上は悲劇の内親王であった。


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漫画の「阿吽」で学習したのだが、井上は聖武天皇の娘であった。光明皇后ひいては藤原氏にとって邪魔者であった(血筋が完璧なので息子ができれば立太子する可能性があった)。
よって幼いころは伊勢の斎宮に、都に帰ってからは天皇になることのないであろう白壁王(天智天皇の息子・当時天皇は天武系が牛耳っていた)に嫁ぐが、巡り巡って、白壁王に天皇の地位が転がり込んでしまった(権力闘争であとを継ぐ物が天武系にいなくなった)。光仁天皇である。
皇后にはからずもなってしまった彼女への邪魔者扱いはついに天皇呪詛の濡れ衣を着せて、息子の他戸とともに追放ということにまでなる。後日配所の五條市で同じ日になくなっているのは絶対毒殺よね〜。

悲劇の内親王にそっと手を合わす。


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さらに南下するとここは木辻というエリアになる。実は先だって奈良の方々を茶事にお招きした際に、昔遊郭のあった場所、と初めて聞いた名前であった。そうと知っていなければもう往時の面影は全然ないが、唯一建物として残っているのが、現在旅館の静観荘である。



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大正時代の建築で、庭園も素晴らしく、現在も建物目当てで泊まる方も多いとか。


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このファサードに当時の面影が残っている。京都の五条楽園にも似たようなファサードを見る。一度宿泊して中を拝見したいもの。



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この木辻遊郭、歴史的には江戸の吉原よりも古いので、吉原を作るときに参考にされたとか。
遊郭の入り口にあった大門(ここより遊女は生涯でることが出来なかった)のあった場所が赤い看板「ビッグナラ」(スーパー)のところである。


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そのかつての木辻遊郭の中にある称念寺は、戦禍で焼けた東大寺復興に尽力した重源上人が開基である。目を惹くのが境内の無縁塔。かつて亡くなっても引き取り手のない遊女達の引導寺であった名残である。


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死してなお、蔓草にからめとられた様が、それでなければ生きられなかった女性達の悲しみを表しているようで、思わず手を合わす。


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さて、ようやくたどりついた璉城寺。
コロナ以降だから1年以上ぶりであり、昼間明るいうちに来るのは初めてである。もとは紀氏の氏寺とされる。(紀寺)


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境内ではマツリカという白〜紫の花がいっぱい咲いて、香気を放っていた。


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いつもは雨戸を立てた室内だったので、そこからの眺めがこんなだとは知らなかった。
初めて入るお堂の中は薄暗く、そこにすっと立たれる阿弥陀様は、たしかに女性にしか見えない。昔は50年に一度のご開扉だったそうで、今では5月のみとはいえ毎年拝めるのは有り難い。


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(パンフレットより)

実はこの阿弥陀様、すっぽんぽんなのである。なので女性とはっきりわかるらしいが、このように金襴の袴を御召しで、この袴は50年に一度、未婚の女性の手によって新しいものと交換されるそうで、男性は入室禁止なのだそうだ。

本来白色(胡粉か?)の肌が、お堂の中では煤にもさらされ、人肌のようにも見え、かえって艶めかしいのである。鎌倉時代の作といわれるが、その前に中宮彰子発願のその元となった像があったのではないかと言われている。彰子は紫式部が使え、女性として位人臣を極めた方だが、息子も孫も先立ってしまうという悲運にみまわれ、仏にすがるお気持ちがより強かったのかもしれない。(お父さんの道長も「往生要集」の源信にすがったように)

もらさず救う、ために阿弥陀様の手には水かきのような曼網があるのだが、この阿弥陀様は特に左手の曼網が顕著でみとれてしまう。
しかも右手が釈迦如来の施無畏印、左手が阿弥陀如来の摂取不捨印というめずらしい仏様なのだ。

50年毎に更新される前回20数年前までお着けになっていた袴の展示もあって、西陣織りとのこと(織元不明)紋様は鶴と亀甲(亀)でふんだんに金糸が使われ、暗いお堂内でもきらっとひかるのであった。

ありがたくも美しい仏様を拝んで、はやくまたここで京終サロンに参加したいものだな〜と願う。



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ガイドさんと別れて駅方面へもどる。
環境破壊か町の活性化か、と二分するウワサになっていた某ビルジングも見てみた。個人的には環境破壊だ〜!と思うが、奈良の人からすれば良いのか悪いのか10年たたないとわからないということであった。人の流れは変わるだろうが、どうか奈良のことをよく知って奈良が好きな人が訪れる場所になりますように。


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最後に雨が降る寒い中、負けずにかき氷!
ことのまあかりさんにて、覆盆子x覆盆子(ふくふくぼんぼん)
覆盆子はイチゴのこと(名物裂にも覆盆子文ってあるよね)、奈良名産イチゴのあすかルビーと奈乃華の2種のジャムでいただきます。宇麻之〜!



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