弘道館月釜〜重陽2013 - 2013.09.10 Tue
今年の初釜以来なので9ヶ月ぶりの弘道館、月釜です。(会員になるとかなりお得な値段で楽しめます(^_^)b )

本来ならば、旧暦でしたほうが重陽の節句(9月9日:9と9で陽の数字の最大のものが重なるので重陽:菊の節句とも)はいいのですがね。だってまだ菊も早いし。着せ綿をしても露もおりないし。つくづく新暦って季節感とずれててあかんなあ。

弘道館の入り口でいつもお出迎えしてくれるとぼけた妖魚?は、先日わたしが水指をもとめたところの作者、脇山さとみさんのもの。なんでも格の高い茶会などの時にはひっこめられるそうで、、(^_^;

ちなみに先月までブログトップを飾っていたこの「おっさん」(正しくは「その後のダーシ」)も脇山さんの作品。一家にひとつ、とぼけたかわいいとはいえない人形はいかがでしょう?(^o^)b

さて、今回の月釜の趣向はもりだくさん!
「菊」の節句にかけて、、、
香を聞く・・・
音色を聴く
酒を利く
松風を聴く

香を聞く、、は文字通り持ち合いにて、源氏香蒔絵阿古陀型香炉で聞香。香道の志野流若宗匠の蜂家さんが調香して山田松香木堂調整のお香を聞く。伽羅の佳い香り*:・。,☆゚:’・:*:・。(=_=)*:・。,☆゚:’・:*:・。
そして待合の軸が弘道館で何回かおめにかかった細川三斎の消息。文中一木四銘の名香「白菊」の文字が。(細川家と伊達家が入手をあらそった伽羅の名前。森鴎外『興津弥五右衛門の遺書』参照)床飾りに蜂家さん所持の香木。(きっとこの一塊でウン百万するにちがいない)
いつもは3〜4の座敷を全部襖をとっぱらってひとつの広間にしているところを、この日は細かく仕切って襖をたてていたので、なんだかしらない茶席に来たような錯覚をおぼえました。日本の座敷って襖一つで融通無碍に空間をアレンジできる優れた建築だとあらためて認識。
普段、四君子(菊、竹、梅、蘭)を描いた屏風がたててあるのですが、この日は菊だけをぬいておくこだわり様。
茶席では松風(釜の音)を聴く。お点前の前に玲月流篠笛の家元・森田 玲さんの篠笛を聴く。ああ、みやび。またまたいにしえの殿上人になった妄想が、、、、
お若い家元だなあと思ったらご自分で流派をたちあげられた初代なんですって。しかも京大卒とは!(HP)
この日はご出身の岸和田だんじり祭りの会合を蹴ってまで(!)ご参加くださったそうです。

菓子器もいろいろ出てきましたが、私があたったのはまたまた脇山さとみさんの!お菓子がとられていくのを悲しそうにうらやましそうに見ている、、、あるいはとられないように見張っているおっさんの一閑人っぽい菓子器。お菓子はもちろん光琳菊ですよね。(着せ綿もありだけど)

中の餡が薄紅色。(もちろん老松製)

この時期にふさわしく釜が仙叟好み、寒雉の焼飯釜写し。三角形のおにぎりを模してキノコの鐶付の有名なエピソードのある釜。
風炉先が北野天満宮古木、天正15年10月1日の文字入り。この日は、、、そう、秀吉さんの北野大茶会の日。
茶席ではなにより太田さんの蘊蓄を聴くのが楽しみで。
お茶をいただいたあとは二階にあがって利き酒会。茶事にはお酒はつきものです。各自盃をもって三種のお酒をいただき、大吟醸を当てるというもの。大吟醸のほかは吟醸、純米酒。大吟醸はやはり香りが痛烈。人によってはフルーティーといいますが、私はウイスキーを思い出す。お米を磨いて磨いて作る物だから貴重ではあるのでしょうが、私はやはりお米のコクの残る純米酒が一番好きだわ。
たくさんの菊、聞く、聴く、利く、、、をいただいてかるく酩酊しつつ家路に。
この日もたくさん楽しませていただきました!
次回は弘道館主催の「茶の湯一会集」の勉強会、観世流シテ方林宗一郎さんの「謡いをうたってみよう」に是非行きたい。時間がゆるせば、、、、、しょぼん。

本来ならば、旧暦でしたほうが重陽の節句(9月9日:9と9で陽の数字の最大のものが重なるので重陽:菊の節句とも)はいいのですがね。だってまだ菊も早いし。着せ綿をしても露もおりないし。つくづく新暦って季節感とずれててあかんなあ。

弘道館の入り口でいつもお出迎えしてくれるとぼけた妖魚?は、先日わたしが水指をもとめたところの作者、脇山さとみさんのもの。なんでも格の高い茶会などの時にはひっこめられるそうで、、(^_^;

ちなみに先月までブログトップを飾っていたこの「おっさん」(正しくは「その後のダーシ」)も脇山さんの作品。一家にひとつ、とぼけたかわいいとはいえない人形はいかがでしょう?(^o^)b

さて、今回の月釜の趣向はもりだくさん!
「菊」の節句にかけて、、、
香を聞く・・・
音色を聴く
酒を利く
松風を聴く

香を聞く、、は文字通り持ち合いにて、源氏香蒔絵阿古陀型香炉で聞香。香道の志野流若宗匠の蜂家さんが調香して山田松香木堂調整のお香を聞く。伽羅の佳い香り*:・。,☆゚:’・:*:・。(=_=)*:・。,☆゚:’・:*:・。
そして待合の軸が弘道館で何回かおめにかかった細川三斎の消息。文中一木四銘の名香「白菊」の文字が。(細川家と伊達家が入手をあらそった伽羅の名前。森鴎外『興津弥五右衛門の遺書』参照)床飾りに蜂家さん所持の香木。(きっとこの一塊でウン百万するにちがいない)
いつもは3〜4の座敷を全部襖をとっぱらってひとつの広間にしているところを、この日は細かく仕切って襖をたてていたので、なんだかしらない茶席に来たような錯覚をおぼえました。日本の座敷って襖一つで融通無碍に空間をアレンジできる優れた建築だとあらためて認識。
普段、四君子(菊、竹、梅、蘭)を描いた屏風がたててあるのですが、この日は菊だけをぬいておくこだわり様。
茶席では松風(釜の音)を聴く。お点前の前に玲月流篠笛の家元・森田 玲さんの篠笛を聴く。ああ、みやび。またまたいにしえの殿上人になった妄想が、、、、
お若い家元だなあと思ったらご自分で流派をたちあげられた初代なんですって。しかも京大卒とは!(HP)
この日はご出身の岸和田だんじり祭りの会合を蹴ってまで(!)ご参加くださったそうです。

菓子器もいろいろ出てきましたが、私があたったのはまたまた脇山さとみさんの!お菓子がとられていくのを悲しそうにうらやましそうに見ている、、、あるいはとられないように見張っているおっさんの一閑人っぽい菓子器。お菓子はもちろん光琳菊ですよね。(着せ綿もありだけど)

中の餡が薄紅色。(もちろん老松製)

この時期にふさわしく釜が仙叟好み、寒雉の焼飯釜写し。三角形のおにぎりを模してキノコの鐶付の有名なエピソードのある釜。
風炉先が北野天満宮古木、天正15年10月1日の文字入り。この日は、、、そう、秀吉さんの北野大茶会の日。
茶席ではなにより太田さんの蘊蓄を聴くのが楽しみで。
お茶をいただいたあとは二階にあがって利き酒会。茶事にはお酒はつきものです。各自盃をもって三種のお酒をいただき、大吟醸を当てるというもの。大吟醸のほかは吟醸、純米酒。大吟醸はやはり香りが痛烈。人によってはフルーティーといいますが、私はウイスキーを思い出す。お米を磨いて磨いて作る物だから貴重ではあるのでしょうが、私はやはりお米のコクの残る純米酒が一番好きだわ。
たくさんの菊、聞く、聴く、利く、、、をいただいてかるく酩酊しつつ家路に。
この日もたくさん楽しませていただきました!
次回は弘道館主催の「茶の湯一会集」の勉強会、観世流シテ方林宗一郎さんの「謡いをうたってみよう」に是非行きたい。時間がゆるせば、、、、、しょぼん。
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- 弘道館月釜〜重陽2013
- 弘道館月釜〜有斐斎初点式2013
● COMMENT ●
ひいらぎ様
志野流はそういえば名古屋でしたね。
蜂谷さんご自身はおいでではなかったです。調香協賛ってことで。
今伝統芸能では若手〜中堅が危機感をもってがんばってますね。
香道も最近よくメディアで目に付くようになりました。
私は伽羅と白檀の違いくらいはわかりますが、源氏香などはとても無理、、、、、
蜂谷さんご自身はおいでではなかったです。調香協賛ってことで。
今伝統芸能では若手〜中堅が危機感をもってがんばってますね。
香道も最近よくメディアで目に付くようになりました。
私は伽羅と白檀の違いくらいはわかりますが、源氏香などはとても無理、、、、、
盛沢山で楽しそうなお茶会だったのですね。私も会員なのですが、中々行けません。しぇるさまのブログから伽羅の香や笛の音、お菓子とお酒の味も想像して楽しんでいます。いいですねえ、秋ですねえ。
次回こそはと思ったら、11月10日。これもダメだわ。
次回こそはと思ったら、11月10日。これもダメだわ。
そらいろつばめ様
私も何回か欠席しているので今回は久しぶり〜という感じでした。
月釜、だんだん中味がグレードアップしてきている感じです。
弘道館の公益法人化めざして太田さんも奔走されているようで「昔、菓子屋をやっておりまして、、、」なんておっしゃってました(^_^;
月釜、だんだん中味がグレードアップしてきている感じです。
弘道館の公益法人化めざして太田さんも奔走されているようで「昔、菓子屋をやっておりまして、、、」なんておっしゃってました(^_^;
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ぐったりです。毎度のことですが。
特に蜂谷宗匠の息子さんには一度お目にかかりたかった。
宗匠には何度もご一緒したし お母様も何度かご一緒して そんなえらいかたとは露知らず 私の軽の車に乗っていただき 手作りの焼き菓子まで差し上げた。
その頃息子さんは多分中学生ぐらいだったのではないかしら?