「ちはやふる」〜近江神宮〜大津市歴史博物館 - 2021.09.15 Wed
「ちはやふる」の漫画や映画で一躍有名になった近江神宮へお参り。

実は「ちはやふる」の漫画を読んでいない。百人一首競技カルタのクィーンを目指す女子高生の話とは聞いているが、ほんとは全然くわしくない(^_^;
ずいぶん昔からあるのかなと思っていたら、なんと昭和15年創建と聞いてびっくりした。そんなに新しかったのか!
境内には市井の歌人の歌碑もあって、「軍靴」というのに戦前を感じる。
ロケーションは、かつて中大兄皇子が遷都し、667年皇位をついで天智天皇になった近江大津京の跡といわれる。そう、この神社の御祭神は天智天皇なのだ。
社紋は「山桜に楽浪」
楽浪とはさざなみ、すなわち、、さざなみの志賀の都である。
ざざなみの志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな
これは後世、平忠度が都落ちの時に藤原俊成に預けた歌で、源氏の世をはばかって「詠み人知らず」として千載集に収録された歌である。
戦前、近江大津京をいとなんだ天智天皇への滋賀県民のやむことのない畏敬の念が、この神社の創設へと動かし、皇紀2600年記念をもって創建されたとか。
そういえば天智天皇陵は山科(京都と滋賀の間)にある。地下鉄の駅名「御陵(みささぎ)」はそこからきている。なんでこんなところに、とかつて不思議に思っていたが、天皇にとって思い深い志賀の都=近江大津京ちかくに埋葬されたんだね。大津京は彼の死をもって5年で遷都になってしまったが。
本殿の前では神社の方が玉砂利のすきまの落ち葉をきれいに掃除してはった。
ここは社務所の中庭であるが、そんなに新しい神社とは思えないくらいのたたずまいである。
回廊も、、、なんだか法隆寺の回廊を思い出してしまった。
時期もあり、参拝客はまばらで静かである。
拝殿の向こうに本殿の屋根も見え、有形文化財となっている。
近江造り・昭和造りとよばれるそうで、建築専門ではない素人にはどこがそうなのかわからんが、近代神社建築の代表なのだそう。新しく作るにしても手を抜かずこれだけの建築を作ったことに当時の滋賀県民の熱い思いを感じる。
そして「ちはやふる」、競技カルタの殿堂としての近江神宮。
百人一首の名人位クイーン位など決める競技会場は神社のそばにある近江勧学館。
TVなどでしか見たことがないが、競技カルタともなると、ちんたら読み上げて取るわれわれの百人一首と全く様相が違って体育会系の競技だ。読み手の最初の1〜2文字で瞬殺、パシッと畳をたたくようにして札を飛ばす、これはハードだわ。
漫画の主人公らしい。
そもそもなんで近江神宮で競技カルタの最高峰大会がおこなわれるようになったのか?
百人一首の第一首目が天智天皇のご製であることによる。(秋の田のかりほのいおの苫をあらみ、、)
こちらの二階、名人位・クイーン位の決勝戦が行われる広間。
この畳の手擦れの跡が激戦を物語っているようだ。
近江神宮から足をのばして、車でほど近い大津市歴史博物館へ。
三井寺も近いここの眺めはすばらしい。琵琶湖に、向かいに見えるのは近江富士ことランドマークの三上山。
さて、目的は真盛豆で有名な?室町時代の天台宗僧侶・真盛上人の展示を見ようと、、、、
あら?!10月からだった!またやってしまった、、、。
というわけで来月また来るかも〜、、の志賀散歩であった。
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● COMMENT ●
高兄様
映画は見ていないのですが、ポスター見るとたしかにここですね。
山桜に楽浪の社紋見えてました。
山桜に楽浪の社紋見えてました。
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映画、「ちはやふる」は、ちらりと観ましたが
確かに、こんなロケ地だった様な
でも、てっきり京都の神社さんでロケ地だと思ってました^^;