夜能〜五夜連続源平盛衰記〜最終夜「碇潜」 - 2021.12.23 Thu
連続五夜(一月に1回)の源平盛衰記も今月でおしまい、最終演目は「碇潜(いかりかづき)」、うちの師匠がシテ方をつとめまする。

最終だし、人気の味方玄師だからか、今までのうちで一番人が一杯、ほぼ満席だったのではなかろうか。
碇潜の主人公は壇ノ浦で敗れ入水した平知盛で、今、京都新聞の連載小説「茜唄」の主人公なので、すごく感情移入してしまうわ。同じ知盛でも「船弁慶」は義経側から描かれているが、碇潜は平家の終焉を平家側から描くという悲しい物語である。
当時平家の総大将は宗盛(三男)であったが、ほんとうの総大将は相国(清盛)最愛の息子といわれた四男知盛であった。
鞆の浦に平家ゆかりの僧が回向におとずれ、法華経誦経を船賃のかわりにと舟人(前シテ)に交渉し、向こう岸に渡る。回向をしていると大船が目の前に現れ、壇ノ浦での平家の滅亡の修羅の様を見せるのである。
最初舟には幕が引かれているので、舞台に出てきたときに何人乗っているのかわからないのであるが、幕が取り払われると、なんとあの狭い作り物の舟に4人も乗っている状況なのだ。
安徳天皇(5歳という設定なので子方)、二位の尼、大納言の局(重衡の妻か)そして知盛である。
平家物語での人気者、平家一の武勇を誇った能登守教経(「屋島」にも名前が出てくる)の最後、源氏の兵士を両脇に抱え込んで入水する様を見せる。
そしてついに平家滅亡を覚悟した二位の尼は幼い孫でもある安徳天皇に、
「見えたる波の底に龍宮と申してめでたき都の候 行幸をなし申さん」とその玉体を抱き波の底に沈む。
(このとき抱いて入水した神璽、神鏡はのちに源氏が拾い上げ、天叢雲剣のみ失われたという)
すべてを見届けた知盛は「見るべきものはすべて見つ」と鎧兜を二つ身につけ、さらにその上に舟の碇を引き寄せて兜の上に戴いて入水するのである。
これは浮き上がって源氏にとらわれないためであり(実際兄の宗盛はなまじ泳げただけに捕らえたれている。)、この碇をかずく様が碇潜の意味するところ。歌舞伎でも碇を頭上にもちあげ見栄を切るらしい。錦絵ではこの様を絵に描くにひげ面の強面おじさんの顔で描かれるが、知盛は武士とは言え公達でもあり、35歳の若さなのでもっとしゅっとしたように描いてほしいなあ。
その前の戦で知盛は嫡男知章を16歳の若さで失っている。(仕舞「知章」最近習った)教経は親友でもあった。二位の尼は母、そして安徳帝は平家の旗印、すべてを失って波に沈む知盛に、感情表現がおさえめの能なのに涙せずにはいられないわ。
船弁慶の印象が強くて、知盛は敵役的なイメージをもっていたが、実は人望、知略、武勇に優れた悲劇の名将だったんだなあ、としみじみ。それを並々ならぬ力量で見せてくれた味方師匠にも感動でした。五夜最後を飾るにふさわしい源平合戦であった。
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