三五夜月釜〜弥生2022〜肥後古流のお茶」 - 2022.04.01 Fri
奈良三五夜さん月釜、弥生ははるばる肥後国からお越しのお茶人さんの席。

熊本で肥後古流のお茶をたしなむお若い茶道男子、SNSでお知り合いになられた三五夜さんのお招きで、はるばるお道具をもって大和国にいらしたそうだ。
肥後古流は熊本藩初代藩主・細川忠利(三斎の三男)が召し抱えた茶頭古市宗庵(利休の孫婿)を祖とするそうである。細川三斎も利休の弟子であり茶をよくしたが、ご本人は茶人ではなくあくまで武人であったため、流祖にはなっていないのだそうだ。山陰の細川三斎流も同じく、三斎を慕う人たちが起こした流派だという。
よって武家文化としての茶道なので、江戸時代までは武士にしか伝えられなったという。いずれにしても珍しく、めったに拝見できる機会のないお点前だ。
待合には源氏物語の「若菜」の大和絵、ちょうど柏木が蹴鞠の時に女三の宮を御簾ごしに垣間見てしまう場面、そして前に置かれた香合が蹴鞠の蒔絵(截金?)だったのがすてき。(ちょっと見る人の古典教養が試されるけど(^_^;)
(熊本からお持ちくださった見事な牡丹)
本席では歌切、サインが「宗関」、ご一緒した大先輩のO先生は「片桐石州やな」とこともなげに。ああ、そうなのか〜。歌のお題は「嵐盗花」。嵐が花を散らしてまるで盗んでいくようだ、、、くらいか。ご亭主は書の研究もされているとお聞きする。そのご縁でかどうか、有馬頼底猊下がこの歌に関する考察を書かれた歌仙紙が添えてあり、これがまた見事な筆致で、これも軸装したらいいなあ、という感じ。
主菓子に太宰府・藤丸さんの「春雪?(だったかな)」、薄紅の麩の焼で餡を包んだものだが、中に球磨川の川海苔が仕込まれている誂え菓子、川の香りがまた珍しい。
(脇床に江戸時代の野遊びセット)
古道弥の釣釜にて、お点前拝見。柄杓の扱いなどは藪内や遠州、石州に似ているが、帛紗のたたみ方が千家に通じる感じで、面白かった。とはいえやはり武張ったお作法である。
主茶碗は、ご当地八代焼(高田焼こうだやき・とも)の雲鶴のお茶碗、高麗青磁的な象嵌を得意とする窯らしい。はじめ豊前に細川家があったときに始まった上野焼があり、肥前に移封されたときについてきた陶工達が江戸時代を通じて焼いたのが八代焼である。
というわけで茶入は上野焼、遠州の長男・大膳宗慶の箱(銘「遠山」)である。肥後古流の茶人が持つにふさわしい。仕覆がまた貴重な「納戸地華籠立花紋風通金襴」、すごくいい。ちょっと古色がでているところも。茶杓が船越伊予、これも掛け物の石州と同じく幕府のお茶頭つながりか。
薄茶では見事な寿司桶の水指がでてきた。
お菓子が細川家のお留め菓子だった「加勢以多(かせいた)」。本来はマルメロ羹を薄焼きにはさむのだが、日本でのマルメロの栽培がなくなって、最近の復刻菓子ではカリンが使われていたそうだが、これはほんとのマルメロを使った藤丸さんのもの。甘酸っぱくこれは美味しい。貴重なものいただいた。
(ちなみにカセイタはポルトガル語のcaixia=箱からきているそうだ。)
薄茶は二服ずついただいたので、干菓子も二種とはうれしい。これは磯菜(海藻に砂糖をからめたもの)と桜の花びらの和三盆、同じく藤丸製。
主茶碗が武人であった三斎にちなみ赤楽に左馬の絵。三斎は馬具などもお好きだったそうだ。
たくさんのお茶碗をだしていただいたが、私的に一番ええなと思ったのは古清水の小碗。古清水独特の青みを帯びた地に青と緑で雷文が大きく描かれているもの。京焼はちょっと苦手だが、古清水の渋さは好きやわ。二碗目に虫明焼の12ヶ月絵がずらりとでたのも楽しい。
ご亭主のお茶へのご造詣の深さも感じつつ、貴重な一会であった。
またO先生、ほんまにいつも勉強させてもろてます。ありがとうございました。
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