桜桜から人生を考える〜茶事へ - 2022.04.11 Mon
若い頃、職住ともに暮らした懐かしい町の茶事にお招きうける。
町並みは変わってなかったり、激変していたり、、、、懐かしい通りや場所はあれこれ、まだ思い出せる。

自分の人生で一番しんどく、一番がんばった時代だから、今になって思えば人生の黄金時代、そんな懐かしい町の一画で茶事を楽しむ余裕の年代になったことをしみじみ思う。
ご亭主は親子三代のお茶のおうちで、今年学園を卒業された娘さんがこれから茶道教室をされるとのこと、筋金入りである。
待合に人生は清濁併せて流れていく、、、という人生の先達の言葉をしるした掛け物。この年になって初めてしみじみとわかる言葉だと、ご亭主。私もそうだ。
本席のお軸は芭蕉の「さまざまなこと思い出す桜かな」の句である。これもまた人生ある程度いかないとわからない句だろうなあ。とくにこの年になると、あと何回桜が見られるだろうか、とか、あの方は今年の桜を見ないで逝ってしまわれたなあ、とか桜にこと寄せて思うことは多いのだ。
四月はやはり透木釜。桜川の文様が先日の桜川茶事を思い出させる。さいわいお天気にも恵まれ、明るい日差しがうれしく、座敷に入る日の光に釜の湯気を見ていると眠くなるほど心がくつろぐ。ええ春日やなあ、、、
炭手前の香合が富士山、桜に富士はこれぞTHE NIPPON!、、、というのもご連客の、今年お国へ帰られる中国の方へのはなむけ。日本で3年間茶道を学ばれた。これからお国でどのように茶の湯を生かされていかれるだろうか。
お手製の懐石は、このところワンパターンになっていた自分の懐石を見直さなくては、と思うほど、美しくおいしかった。中でもこの道明寺の鶏肉団子、絶品!(帰り道さっそく道明寺粉を買った!)
主菓子にコロン、、っと蛤?、、と思いきや、
中に季節の餡のはいった葛餅が(甘春堂)。うまいこと詰めてあるけどどうやっているのか技術的なことがしりたい。貝の片身の殻ですくっていただく。
後座は旅箪笥にて。
濃茶のお茶碗は主茶碗以外はすべて娘さんが手作りされた楽茶碗。削りが効いていたり、塩笥みたいだったり、光悦ばりのもあってこういうのもいいなあ。(三次元造形はわたしはすっぱりあきらめた)
茶入の蓋の素材がお点前中気になってしょうがない。鈍い銀色で、牙蓋に着色?陶器?あれこれ想像し拝見が待ち遠しい。手に取ってみるとなんと表面だけつや消しにしたスチール、蓋裏はぴかぴか光っている。ワシントン条約以降、異素材の蓋は需要が増えると思われるが、プラだけはちょっと味気ないけど、スチールはありかも。斬新、その本体も若い作家さんのモダンな茶入で蓋によく合っていた。
さてさて、事前にご指示あったのだが、後炭所望を初めてさせていただく。亭主は娘さんにバトンタッチ。炭半田は廻り炭でなじみがあるものの、後炭で使うのを拝見するのは初めて。
学園仕込みの炭上げ、灰上げを見せてもらう。種火を再度いれなおして、、、、さすが、するするとあっという間に終わってしまう。
考えたら、後炭所望された方は炭つぐだけだから(亭主に比べたら)簡単よね(^_^; なんとか管炭、割管、枝炭、3本を一度にグリップできてお役目果たした。
薄茶のお茶碗はすべて桜のモチーフ、よくこれだけこの季節にしか使えない贅沢なお茶碗を集めはったなあ、、、と感心する。茶室の外でも桜、中でも桜桜、、、たっぷり花見をさせていただいた。
よく見ると干菓子の雲平がもう杜若!季節が早足で動いていく。そこに茶杓の銘が「光陰」なんて、ぴったりすぎる。世の中の季節も時間も動き、自分の人生の季節も過ぎていく、、、ほぼ同世代のご亭主と同じ思いであることを感じたのである。
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