3年ぶりの(これ多いな、、)京都薪能2022〜平安神宮 - 2022.06.12 Sun
平安神宮薪能が3年ぶりに帰ってきた!

18時開演だが17時開場の前にすでにたくさんの行列ができていたのには驚いた。みなさん、待ってました!の心境なのだろう。こんなに能楽がさかんな都市を他に知らない。(知らないだけかも〜(^_^;)
開場と同時にほぼ満員状態、けっこう密々だが、屋外だし。例年と違うのはクリアファイル付きのパンフレットがないこと、それを売り歩く、よくTVや舞台でお見かけする能楽師さん狂言師さんが見られないこと、かな。京都薪能は運営、切符のもぎり、アナウンス、案内などすべての雑用まで能楽師さんがこなされる。意外と大物さんがもぎりやってたりするから、さがすと面白いよ。
毎年始まるときには西日で暑く、日が落ちると寒くてこごえる年もあるから、防寒対策バッチリでいったが、今年は暑くも寒くもなく良い具合であった。
公演に先だって京都能楽会理事・京都薪能世話役の井上裕久師のご挨拶。感無量の面持ち、「この日を待っておりました!」と。客席からは大きな拍手、こちらも胸にせまるものがある。センテンス毎にはいる英語の翻訳アナウンスに「はい、どうぞ!」と合いの手をいれるこのユーモラスなかけあいも3年前のまま。
能楽師が舞台に立てないとは、収入問題もさることながら、陸にあがった魚の如く、どうしろというのか。うちのお能の師匠を見ていても、そのつらさはうかがい知ることができた。
このたびはれて久々の薪能、毎年の行事が毎年同じようにできることの貴重さを、このコロナの2年間でみんな思い知った。
私がいった2日目の演目は「養老」、「龍田」、狂言「福の神」、「小鍛治」である。いずれも内容はほぼ知っている演目。薪能は半能というかダイジェスト版なので、じっくり見るというより、この場の雰囲気、劇場ではみられない風に翻る衣装、かがり火にてらされた演者達を楽しむためにあるようなもの。
ポスターは「龍田」の秋を司る龍田姫である。
ストーリーというものはほぼなくて、秋の女神龍田姫の神楽を見て脳内に一面の紅葉を想像するのである。金剛流家元・金剛永謹師。
竜田川紅葉乱れて流るめり 渡らば錦 中や絶えなむ (詠みひとしらず)
竜田川紅葉を閉ずる薄氷 渡らばそれも中や絶えなむ (藤原家隆)
日も落ちて、空の色がかわる。火入れ式で平安神宮のご神火が薪に移される。
「養老」は養老の滝縁起、観世流吉浪師。小書に「水波之伝」とあって、本来後シテが山神さまだけなのに、楊柳観音がでてくるバリエーション。天女の舞と勇壮な神舞の二度美味しいパターン。これなにかに似てる、そうだ、「加茂」だわ。鴨御祖神社の優美な女神と、荒々しい加茂別雷神がでてくるやつ。
最後が大好きな「小鍛治」
三条小鍛治宗近(長刀鉾の長刀もこの人)が打つ勅剣の相槌を稲荷山の霊狐がつとめて、打った刀は「小狐丸」。ご近所に相槌稲荷(粟田神社の向かい側くらい)があるので、なにかと親近感。天冠に狐をいただく白髪(白頭の小書、普通は赤髪)のかっこよさ。そういえば宗近の子孫の包丁製造販売の店(その名も三条小鍛治宗近)は若草山の麓にあって先だって前を通ったばかり。
かがり火に照らされて見る舞は格別やな。しかも衣装は金糸がきらきらととてもよく映える。昔はみなこんな状況で演能されていたのだ。
お開きになるころにはあたりはすっかり夜である。
提灯のあかりもなにやら幻想的な宵。
観世、金剛に奈良なら金春もはいるだろうなとなどと思いつつ平安神宮をあとにする。
舞台の上に細い三日月
来年も必ず見に来られますように。
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