筥崎茶会を勉強〜利休に添う茶事 - 2022.09.19 Mon
波を乗り越えて茶事におよばれ。で、波の帯にしてみた。明治33年(西暦1900年)生まれの祖母の綴帯である。柔らかくて締めよい。
この茶室には何度も寄せてもらっているのだが、亭主が代わればまた茶事の色も雰囲気もかわるものだな〜と思う。何度もお目にかかっていても亭主と客としては(逆はあったけど)初めての新鮮経験。

待合の画賛「靭猿」は「猿にはじまり狐に終わる」の狂言師の一生にちなみ「猿から始めてますよ」のご謙遜でしょうか。お互い狐まではまだまだ遠うございますね〜(^_^;
利休に寄せての思いを茶事に、懐石も利休茶会記の懐石をなぞって、とのこと、もちろんお手製である。全体にお精進であるが椀物だけ鶏であった。これがめっぽう美味しかったのと、付け合わせの茗荷と椎茸の下味がしっかりついていて、ええ仕事してはるわ〜と、日頃の雑な自分の懐石を反省。ちなみにこれは利休の時代には鶴か白鳥の肉であったろうと。
連客はおなじみのお酒好き4人組であったので、酒器がおもしろいほど空いていく。ご当地のお酒がほんまにどっしりしていて好き。対して同時にいただいた獺祭はすっきり爽やか系で、これも美味い。でてきた石杯が全部好みの粉青沙器シリーズで(もちろん三島に手をだす)、これもご馳走。
主菓子の着せ綿もお手製である。(ほとんどプロ)
初座の床にはなにやら無骨な花入れに葒?の花がさりげなく投げ入れ、後座にはルソンの壺、、、と少々型破り、、、席中は酔っ払いと化していたため、ん?ん?と思っていたことが、家にかえってラインナップを並べてみると、、、ああ、そうだったかとじわじわ。
<上座ノ柱ニ高麗筒ニシノ花生テ ヤクモノ花モ、御茶入備前肩衝ヲ白地ノ金ランノ袋ニ入、緒ツカリ紅也、利休被仰ニハ、此茶入ハホテイ(布袋)ト申候、、、(中略) ヤキ茶碗ニ、、(中略)此茶ハ ハシタテ(橋立)ノ壺ヲヒカセ候ト、、、、>
天正15年、島津を降伏させた秀吉が博多の筥崎に茶室をいくつか作らせ豪商神屋宗湛を招き、利休が点前をした時の「宗湛日記」。(筥崎の茶会といえば利休が野点をしたと言われるふすべの茶会が有名だが)
キーワードと今回の茶事にちりばめられた道具を並べるとなるほど!と合点がいった。高麗筒花入、茶入「布袋」、ヤキ茶碗(多分長次郎)、茶壺「橋立」、、、、うーん、深いわ。利休の茶会記は自流の祖でありながら知らないことも多いことに愕然とするわ。今回筥崎茶会について勉強する機会を得て感謝である。
(花の名前だけはよくわからないが)
ちなみに備前茶入「布袋」は袋だけが立派だからと利休が名付けたという由来。
お干菓子は伊勢神宮の神饌である菊の落雁にお手製黒糖琥珀あられまぶし。そういえば煙草盆の引き出しには菊の御紋の恩賜の煙草がはいっていたっけ。これで菊が3つそろう重陽の節句。
色々のお心づくしお一人でやりくりされるご亭主、お見事でございました。ありがとうございました。
<おまけ>
四畳半の茶室は以前は普通の座敷だったのだが、可動式躙り口とクーラーをかくせる落とし天井を持った立派な侘びの小間になっていた!びっくり!ちなみに設計はうちを設計してくれた建築士のIさん(*^_^*)
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