五年ぶりの八瀬・瑠璃光院〜翠の洪水 - 2023.05.02 Tue
壬申の乱で矢で傷ついた背中(矢背)を釜風呂で癒した大海人皇子(後の天武天皇)の伝承がある地、八瀬は以来貴族や武士たちの保養地となった。(八瀬童子の里でもある)
ここにある紅葉の名勝瑠璃光院、紅葉の美しい場所は青紅葉もうつくしいので久々にでかけてみた。
ここで、細見美術館でお茶をされている先生が釜をかけた時に来たのだが、もう5年前にもなるのだな。あの時も青紅葉の季節だった。
ここはもともと寺院ではなく、亀岡楽々荘が旧邸であるところの山陰本線を引いた田中源太郎翁の所有地であり、交流のあった三条実美卿がその庵に「喜鶴亭」という命名したという。
その後所有者は次々かわって、現在の叡電・京福電鉄が所有したりしたが、今は岐阜の光明寺というお寺の子院となっているらしい。
なにしろ秋の紅葉の季節はそりゃ美しいだろうが、待ち時間が3時間とも4時間とも聞いたので、おそれをなして秋の嵐山とともに行くことがないだろう場所であるが、青紅葉の頃はまだ待たずに入れる。それでも早くから外国人観光客がけっこうたくさん来ていた。
この入り口も5年前とかわらない。
現在の瑠璃光院の建築は大正から昭和初期のもので、数寄屋の名匠・中村外二作、作庭は桜守で有名な佐野藤右衛門一統と伝わる。
まずは二階に上がる。すると目の前の額縁窓に広がるのは八瀬の山々の眺め。市中から車で30分もかからないのに、この圧倒的な翠はどうだ。八瀬は八瀬童子(天皇の葬儀の車を引く古来よりの役目)もそうであるように、そういう隠れ里的な場所なのだ。
そしてお待ちかね、美しい床みどり、ならぬ卓みどり!
この写真を撮りたいがためにみんなここへ来る。よってカメラやスマホを構えてこう撮って、ああ撮って、、、でなかなか人の映りこまない写真を撮るのは至難の業なのだ(^_^;
どうだろう、このしたたるような翠の洪水。
卓のみならず磨き込まれた廊下にも翠は映りこむ。
夏は涼風がふきこむに違いない、ここで昼寝したい、、、
見下ろす庭の苔の緑もなんと美しい。苔の手入れに手を焼いている私としては垂涎の緑。
この庭は八瀬の山につながっているらしく、5年前、山からこの庭に迷い込んだハイカーさんがいてたなあ(^_^;
二階の一画は写経用のコーナーになっていて、この翠を見ながらの写経はさぞ身も心も洗い清められるに違いない。(できればボールペンでなくて、せめて筆ペンにしてくれ、、、)
一階におりると、違う高さから見る翠。木の幹が入ると翠にもリズムが生まれる。
邸内にあった、今ならメタルかプラで作られるであろう配電盤?かなにかの蓋も漆塗りで萌える。
今回はじめて邸内にある釜風呂を拝見。
かつて料亭だった時代に作って使われていたそうだ。八瀬だけに釜風呂(^_^;
(大海人皇子の逸話参照)
翠は伝統的日本建築とほんとうに相性がいい。
それは外から見てもそう思う。
最後に一階の茶室前の廊下の床みどり
この奥まったところに、、、
小間の茶室があるのがなんとも奥ゆかしくて、いつか使って見たいなあ、、と思うのであった。
<おまけ>
帰りに出町柳駅に降り立つと「ベトナム料理!」の幟を発見、ランチに行ってみることにした。
狭くて暗いろうじの奥に入ると、、、
おお!
駅すぐでこんな本格的なベトナム料理が食べられるなんて!これはリピートだな。
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