六波羅蜜寺・空也踊躍念仏 - 2012.12.29 Sat
六波羅蜜寺では今月14日から31日まで毎日、空也踊躍(ゆやく)念仏がおこなわれます。(31日は非公開)

六波羅蜜寺は踊り念仏で有名な空也上人が天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とするお寺。
(この十一面観音は秘仏で、12年に一度、辰年だけ御開帳、今年がそうだったんですねえ。見損ねましたが、、)
念仏は夕刻4時から。
まずはお堂の外陣にすわってご住職からお寺の歴史、踊躍念仏の由来などの説明を拝聴。
空也上人は疫病の蔓延する当時の京都で、ご本尊の十一面観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に梅のはいった茶をふるまって多くの人を救ったといいます。
まあ、梅に解毒作用があるというわけではなく、気持ちのもちようですかね。
ちなみに波羅蜜というのは、悟りに至るという意味の言葉だそうです。
悟りに至る為の、六つの修行が六波羅蜜で、
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧。

多くの民衆にうけいれられた念仏は、当時の権力者にとっては脅威であったため、禁止された時期がありましたが、念仏の祖、空也上人の寺がそれをやめるわけにはいきません。
そこであみだされたのがこの踊躍念仏。
屏風を立ててその陰で鉦をたたきながら体を曲げたり伸ばしたりしながら内陣内をぐるぐるとまわります。
しかも「南無阿弥陀仏」を「も〜だ〜なんまいと〜」という隠語にかえて、意味をわからなくしたとか。
官憲がきたときにさっと退出できて、すぐにやめられるお経なんだそうです。(ふつうのお経は途中でやめられない、、、らしい。よくわからんが)
昭和50年代までこの踊躍念仏は非公開で、ひそかに800年もの間、続けられていたそうです。
半月もおこなわれるので、お堂からはみだすほどの参拝客はいなかったのですが、それでも外陣はぎゅうぎゅう。
しかも念仏のおこなわれる内陣は一段下がっているので、すきまからちょっとしか拝見できませんでした(>_<)ゞ
でもまあ、ありがたいお念仏の音楽的な響きをお堂の中で聞くことができたので、よしとしよう。
(今後行かれる方がありましたら早めにいって最前列をゲット、もしくは立ち見がbetterですわよ)
参考画像は朝日新聞デジタル版→こちらなどで、配信中。

(清盛塚、、、このあたり六波羅は平家の本拠地でしたからねえ)
参会した人たちとともに、最後に「も〜だ〜なんまいと〜」と7回となえて次の1年の安泰を願う。
そのあとは内陣にてひとりずつ焼香ののち御札をいただきます。
年の瀬に、(敬虔な仏教徒ではないものの)なんだか清らかな気持ちになるお念仏、いただきました。

六波羅蜜寺周辺は、六道の辻、あの世とこの世の境といわれ、お盆のお精霊迎えのころたいへんにぎわうあたりですが、この季節は閑散としています。
こちらは西福寺。
(壇林皇后九相図で有名)

幽霊子育て飴さんもお休み。

夕刻の轆轤町(かつては髑髏町だった。亡骸が野ざらしにされていた場所ゆえ)を、趣のある町家を見ながらそぞろ歩いて、、、
(京都では鬼門=東北に厄除けに南天を植えるお家が多いのだが、これがまた丈夫な木で、わさわさ大きくなる。コチラのお宅もそんな感じで大きくなりすぎたもよう^_^;)

京都の茶人さんに高評価の松原通りの上生菓子店、松壽軒さんで和菓子を買って帰路につきました。


六波羅蜜寺は踊り念仏で有名な空也上人が天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とするお寺。
(この十一面観音は秘仏で、12年に一度、辰年だけ御開帳、今年がそうだったんですねえ。見損ねましたが、、)
念仏は夕刻4時から。
まずはお堂の外陣にすわってご住職からお寺の歴史、踊躍念仏の由来などの説明を拝聴。
空也上人は疫病の蔓延する当時の京都で、ご本尊の十一面観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に梅のはいった茶をふるまって多くの人を救ったといいます。
まあ、梅に解毒作用があるというわけではなく、気持ちのもちようですかね。
ちなみに波羅蜜というのは、悟りに至るという意味の言葉だそうです。
悟りに至る為の、六つの修行が六波羅蜜で、
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧。

多くの民衆にうけいれられた念仏は、当時の権力者にとっては脅威であったため、禁止された時期がありましたが、念仏の祖、空也上人の寺がそれをやめるわけにはいきません。
そこであみだされたのがこの踊躍念仏。
屏風を立ててその陰で鉦をたたきながら体を曲げたり伸ばしたりしながら内陣内をぐるぐるとまわります。
しかも「南無阿弥陀仏」を「も〜だ〜なんまいと〜」という隠語にかえて、意味をわからなくしたとか。
官憲がきたときにさっと退出できて、すぐにやめられるお経なんだそうです。(ふつうのお経は途中でやめられない、、、らしい。よくわからんが)
昭和50年代までこの踊躍念仏は非公開で、ひそかに800年もの間、続けられていたそうです。
半月もおこなわれるので、お堂からはみだすほどの参拝客はいなかったのですが、それでも外陣はぎゅうぎゅう。
しかも念仏のおこなわれる内陣は一段下がっているので、すきまからちょっとしか拝見できませんでした(>_<)ゞ
でもまあ、ありがたいお念仏の音楽的な響きをお堂の中で聞くことができたので、よしとしよう。
(今後行かれる方がありましたら早めにいって最前列をゲット、もしくは立ち見がbetterですわよ)
参考画像は朝日新聞デジタル版→こちらなどで、配信中。

(清盛塚、、、このあたり六波羅は平家の本拠地でしたからねえ)
参会した人たちとともに、最後に「も〜だ〜なんまいと〜」と7回となえて次の1年の安泰を願う。
そのあとは内陣にてひとりずつ焼香ののち御札をいただきます。
年の瀬に、(敬虔な仏教徒ではないものの)なんだか清らかな気持ちになるお念仏、いただきました。

六波羅蜜寺周辺は、六道の辻、あの世とこの世の境といわれ、お盆のお精霊迎えのころたいへんにぎわうあたりですが、この季節は閑散としています。
こちらは西福寺。
(壇林皇后九相図で有名)

幽霊子育て飴さんもお休み。

夕刻の轆轤町(かつては髑髏町だった。亡骸が野ざらしにされていた場所ゆえ)を、趣のある町家を見ながらそぞろ歩いて、、、
(京都では鬼門=東北に厄除けに南天を植えるお家が多いのだが、これがまた丈夫な木で、わさわさ大きくなる。コチラのお宅もそんな感じで大きくなりすぎたもよう^_^;)

京都の茶人さんに高評価の松原通りの上生菓子店、松壽軒さんで和菓子を買って帰路につきました。

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