旧成徳中学校 - 2023.05.19 Fri
烏丸高辻を少し西にはいると特徴のある建物が見えてくる。
旧成徳中学校
一頃びっしり蔦に覆われていたが、現在はそうでもない。
ここは道路沿いの早咲きの桜の名所でもある。

前身は明治初頭に建てられた番組小学校(京都の町衆が資金を募って作った番組組織単位の64校)の一つで、下京第九番組小学校。
現在の建物は昭和6年竣工、設計施工はどこか不明。
(エントランスホール)
戦後の学制改革の一環として中学校を併設、のちに小学校はなくなり2007年の閉校まで中学校であった建物である。現在はNPO法人などが使用しているとか。
ちょっと用事があって中へ入る機会を得た。日曜日とあって、中は全く無人。人気の無い小学校ってちょっとどきどきする。
京都市内には今なおいくつかの番組小学校の建物が残っているが、本当の学校として機能しているところは絶滅危惧種ではなかろうか。人口減少にともなう小学校・中学校の統廃合が最近まですごかったものなあ。
皮肉なことに春日小学校のように閉校になって建物も壊したのに、その後小学生人口が増えて、同じ場所に新たな御所東小学校を建てるというような事例もある。
明倫小学校の建物は、カフェなどもはいってイベントもさかん、有効利用されている。少し前までは木屋町のど真ん中にある立誠小学校もシネマ上映などあってにぎやかだったが、今はホテルになってしまった。それからは行っていないので、どれだけ昔の建物の面影が残っているのかわからない。
国際マンガミュージアムをもとをたどれば上京二十五番組小学校・龍池小学校だった。
木の床の匂いも懐かしい。
全国にさきがけて京都市に小学校ができたのは、官の力でなく、町衆の教育へかける情熱であり財力であった。天皇さんを東京にとられて意気消沈しているだけでなく、学校作ったり、疏水作ったり、そこらへんが昔の京都のすごいところだと思う。(今は知らん、、、)
水道設備もなんかおしゃれ、けっこう贅沢な意匠があちこちに見られるのである。私もすでに古い人間で、小学校入学当時は木造校舎だったが、戦後建てられたものなので、ここまで素敵な建築ではなかった。
番組小学校の歴史をたどるのも面白く、こちらも元・下京十一番組小学校であった開智小学校の建物を使った京都市学校歴史博物館は是非おすすめする。(過去記事はこちら)
三年生の教室
今ここを最後に卒業した中学生はもう三十路になっているのだな。
昭和62年卒業生制作の校歌を焼物?で作ったもの。その子らはもう社会の中堅を担っているお年頃だわ。
建物正面の蔦は枝だけであったが、東側の壁にはまだ青々とした蔦がからまる。この校舎に子供達の声が響いていた時代にも、蔦はあったのだろうか。
この学校建築も、壊されることなく栄光の?番組小学校の歴史とともに大切に守られて欲しいと切に願う。
<おまけ>
京都に越してきたときに「あんたどこの学区?」とよく聞かれた。すでに核となる小学校が統廃合でなくなっていても。どこの学区出身かは京都市民にとって今でも大切なアイデンティティなのである。
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