嵯峨野・大沢池〜直指庵 - 2014.01.13 Mon
数日前、雪が積もった!

雪化粧の景色を見るのは大原か、、、嵯峨野だっ!、、、と、嵯峨野まで。
あり???
雪ない、、、、

さすがの嵯峨野も淡雪は残っていませんでした〜。
でもせっかく来たのだから、大覚寺からの大沢池の眺めを。

空気は寒いというより冷たい。冴え渡った空の青をうつす湖面。はるか昔、平安のころ嵯峨天皇が中国の洞庭湖を模して作られた人工の湖。なので庭湖とよばれたとか。

こんな枯れ蓮の寒々とした景色もきらいじゃない。

鴨のファミリーの姿も見えます。

それに嵯峨野と言えば、、野仏だなあ。

湖畔でこんな塚も見つけた。茶筅塚。(全国にあるらしい)
お世話になっています。
ここを離宮とした嵯峨天皇は空海love(変な意味ぢゃなく)だったので、空海もまたここをよく訪れいっしょにお茶したり、中国留学時代の話をしたりしたそうな。空海が辞するにあたって「別れが悲しい」というような意味の御製の漢詩の碑もありました。
大覚寺の御影堂(だったかな?)にこんな空海との親密度?を示すようなマンガも、、、、(^0^;)

さて、この近くに直指庵が、、、
直指庵と言えば ♪京都嵯峨野の直指庵〜 旅のノートに恋の文字、、、(タンポポ「嵯峨野さやさや」)がすぐ口をついて出てくる年代なのよね。(歳ばればれ〜)
行きましたよ、当時。学生だったころ。(うん十年前ね)

大覚寺を北へ、細い道をくねくねと。こんな茅葺きの昔ながらの家もあって、竹林の径をひたすら歩いた記憶があるのだが、、、、

ええ〜っ?!(@_@;)
こんな住宅地だったっけ?(ちなみにちらっと写っているのは雪。この時、ふりだしたの。つもらなかったけれど)
北嵯峨野のこんなところまで、宅地開発はすすんできているとは!昔の面影が全くない。

この竹の塀は良い雰囲気だけれど、こんなアスファルトの道だったかなあ、、、

竹林の向こうに庵が見えてきました。ここはその当時、いやそれ以前から「想い出草」というノートがあり、訪れた人が思い思いに書いていくことがだんだん評判になったのです。まあ、いまではどこの観光地にもある書き込みノートですが、当時は珍しかった。

昔行ったときも、堂内は多くの主に若者にあふれて、みんな思い思いにノートに文を綴ったり、他の人の書き込みを読みふけったりしていたものです。

でも、この日は寒さもあるし、冬ということもあるのですが、ここで見たのは拝観料をはらったとこのお兄さんだけ。他にどなたにも会いませんでした。庵主さんの気配もなかった。
お堂の中の雰囲気は、うっすらと記憶にはあるのですが、ここがかつてあれだけたくさんの若者がひしめいていた場所とはどうも思えなくて。

ノート「想い出草」は直指庵を一気にメジャーにしたけれど、それはノートだけの力ではなかったのです。いろいろな悩みをかかえた若者の話を聞いて励ましてくださる広瀬善順尼の存在とセットだったのです。残念ながら1回来たきりでお目にかかれませんでしたが。

特に恋の悩みをかかえた乙女に、広瀬尼のなぐさめや励ましはとても力になったことでしょう。(当時はそんなものとは全然縁の無かった私はお気楽なことしかノートに書かなかったはず)
さっきの歌の続き、、、♪旅のノートに恋の文字 どれも私によく似てる〜

「駆け込み寺」とか「泣き込み寺」とかいわれた由縁です。

昭和55年に直指庵の相続問題がおこって、住職の交代(男性住職へ)という前代未聞(かどうかはしらんが)の事件がおこり、広瀬尼は寺を出られました。あんな有名なお寺なのに、、、、と残念な気持ちになった記憶があります。

あれからお寺の雰囲気は、すっかり変わってしまったようです。悪いわけではありませんが、どこにでもあるようなお寺になったかな。今も「想い出草」ノートはおいてありますが。

境内はたくさんの楓の木があるので、紅葉の頃はさぞや美しいだろうと思います。はたしてそのハイシーズンの人出はいかがなんでしょう。(紅葉じゃなくて人を見に行くのはちょっとごかんべんを)
これにて嵯峨野ミニトリップは終了。
かえり道、広沢池の水が抜かれていて沼地になり、泥に埋もれながらサギなどの野鳥がエサを漁っている風景がとても印象に残ったのですが、車をとめる場所が無く、残念ながら写真がありません。でも嵯峨野にこの冬行かれる方は是非、広沢池にも足をのばしてみてね。

雪化粧の景色を見るのは大原か、、、嵯峨野だっ!、、、と、嵯峨野まで。
あり???
雪ない、、、、

さすがの嵯峨野も淡雪は残っていませんでした〜。
でもせっかく来たのだから、大覚寺からの大沢池の眺めを。

空気は寒いというより冷たい。冴え渡った空の青をうつす湖面。はるか昔、平安のころ嵯峨天皇が中国の洞庭湖を模して作られた人工の湖。なので庭湖とよばれたとか。

こんな枯れ蓮の寒々とした景色もきらいじゃない。

鴨のファミリーの姿も見えます。

それに嵯峨野と言えば、、野仏だなあ。

湖畔でこんな塚も見つけた。茶筅塚。(全国にあるらしい)
お世話になっています。
ここを離宮とした嵯峨天皇は空海love(変な意味ぢゃなく)だったので、空海もまたここをよく訪れいっしょにお茶したり、中国留学時代の話をしたりしたそうな。空海が辞するにあたって「別れが悲しい」というような意味の御製の漢詩の碑もありました。
大覚寺の御影堂(だったかな?)にこんな空海との親密度?を示すようなマンガも、、、、(^0^;)

さて、この近くに直指庵が、、、
直指庵と言えば ♪京都嵯峨野の直指庵〜 旅のノートに恋の文字、、、(タンポポ「嵯峨野さやさや」)がすぐ口をついて出てくる年代なのよね。(歳ばればれ〜)
行きましたよ、当時。学生だったころ。(うん十年前ね)

大覚寺を北へ、細い道をくねくねと。こんな茅葺きの昔ながらの家もあって、竹林の径をひたすら歩いた記憶があるのだが、、、、

ええ〜っ?!(@_@;)
こんな住宅地だったっけ?(ちなみにちらっと写っているのは雪。この時、ふりだしたの。つもらなかったけれど)
北嵯峨野のこんなところまで、宅地開発はすすんできているとは!昔の面影が全くない。

この竹の塀は良い雰囲気だけれど、こんなアスファルトの道だったかなあ、、、

竹林の向こうに庵が見えてきました。ここはその当時、いやそれ以前から「想い出草」というノートがあり、訪れた人が思い思いに書いていくことがだんだん評判になったのです。まあ、いまではどこの観光地にもある書き込みノートですが、当時は珍しかった。

昔行ったときも、堂内は多くの主に若者にあふれて、みんな思い思いにノートに文を綴ったり、他の人の書き込みを読みふけったりしていたものです。

でも、この日は寒さもあるし、冬ということもあるのですが、ここで見たのは拝観料をはらったとこのお兄さんだけ。他にどなたにも会いませんでした。庵主さんの気配もなかった。
お堂の中の雰囲気は、うっすらと記憶にはあるのですが、ここがかつてあれだけたくさんの若者がひしめいていた場所とはどうも思えなくて。

ノート「想い出草」は直指庵を一気にメジャーにしたけれど、それはノートだけの力ではなかったのです。いろいろな悩みをかかえた若者の話を聞いて励ましてくださる広瀬善順尼の存在とセットだったのです。残念ながら1回来たきりでお目にかかれませんでしたが。

特に恋の悩みをかかえた乙女に、広瀬尼のなぐさめや励ましはとても力になったことでしょう。(当時はそんなものとは全然縁の無かった私はお気楽なことしかノートに書かなかったはず)
さっきの歌の続き、、、♪旅のノートに恋の文字 どれも私によく似てる〜

「駆け込み寺」とか「泣き込み寺」とかいわれた由縁です。

昭和55年に直指庵の相続問題がおこって、住職の交代(男性住職へ)という前代未聞(かどうかはしらんが)の事件がおこり、広瀬尼は寺を出られました。あんな有名なお寺なのに、、、、と残念な気持ちになった記憶があります。

あれからお寺の雰囲気は、すっかり変わってしまったようです。悪いわけではありませんが、どこにでもあるようなお寺になったかな。今も「想い出草」ノートはおいてありますが。

境内はたくさんの楓の木があるので、紅葉の頃はさぞや美しいだろうと思います。はたしてそのハイシーズンの人出はいかがなんでしょう。(紅葉じゃなくて人を見に行くのはちょっとごかんべんを)
これにて嵯峨野ミニトリップは終了。
かえり道、広沢池の水が抜かれていて沼地になり、泥に埋もれながらサギなどの野鳥がエサを漁っている風景がとても印象に残ったのですが、車をとめる場所が無く、残念ながら写真がありません。でも嵯峨野にこの冬行かれる方は是非、広沢池にも足をのばしてみてね。
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● COMMENT ●
夢風庵様
昔の写真をさがしましたがみつかりませんでした。でもこんな宅地にはなってなかったですよね。といってるそばから直指庵のすぐそばに新築中の家が2軒もありました。どこのお寺もそうですが、学生時代の面影をたどっていくと、あまりの様変わりに唖然とすることが多いです。
私も直指庵に行きましたが 人があまりいませんでした。
今はこの少し離れた場所には人が行かないのでしょうか?いつだったか秋でもそうでした。
嵐山周辺はすごい人でしたが。
今はこの少し離れた場所には人が行かないのでしょうか?いつだったか秋でもそうでした。
嵐山周辺はすごい人でしたが。
ひいらぎ様
少なくとも嵯峨野さやさや♪のころほどは多くないのでしょうね。
そうですか!秋の紅葉の穴場なんですねっ!よし、行こう!
そうですか!秋の紅葉の穴場なんですねっ!よし、行こう!
直指庵には紅葉の頃に行こうと計画を立てていたのに、遠いから嫌だという人がいて諦めました(-_-;)
行く道がどんなだったか全く覚えていませんが、変わってしまったんですね?
「想い出草」は覚えています♪
若き日に2回行きましたが、何か恋の悩みでもあったのでしょうか、2回ともしっかり書いたことだけは覚えています。何を書いたのかは全く覚えていません(^-^;
若き日の悩みなんて所詮そんなものなんでしょうね(笑)
行く道がどんなだったか全く覚えていませんが、変わってしまったんですね?
「想い出草」は覚えています♪
若き日に2回行きましたが、何か恋の悩みでもあったのでしょうか、2回ともしっかり書いたことだけは覚えています。何を書いたのかは全く覚えていません(^-^;
若き日の悩みなんて所詮そんなものなんでしょうね(笑)
こまち様
穴場ですってよ。来年は是非。私も初めて秋の嵯峨野、行こうかな。
「想い出草」は今でいえばツイートみたいなものでしょうかね(^_^;
不特定多数のだれかに読まれることを想定して書くわけで。
恋?恋ってなんだったかしら〜?
すっかり乙女心を失っておばさん化した自分がコワイ!
「想い出草」は今でいえばツイートみたいなものでしょうかね(^_^;
不特定多数のだれかに読まれることを想定して書くわけで。
恋?恋ってなんだったかしら〜?
すっかり乙女心を失っておばさん化した自分がコワイ!
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かなりかな~り昔なので周りの景色もほとんど記憶にないのですが、こんな郊外の住宅地って感じではなかったような・・・