新熊野神社〜左義長神事 - 2014.01.14 Tue
地名は今熊野だけれど、神社は新熊野と書いて「いまぐまの」と読む。

新熊野神社と聞けばまず思い浮かべるのが、東大路通りに半分ほどせりだしているこの楠の大木。道路交通安全のために撤去されずにおられるのはここが京都だから(かな?)。

毎年小正月におこなわれる左義長神事(とんど焼とも)がこちらでも。今年は哲学の道ぞいの若王子熊野神社に初詣でしたので、京洛熊野三山のもう一つ、この新熊野神社に行ってみよう。(ちなみにもう一つの熊野神社は私の生活圏内にあって、昔っからよくしっているのであえて行かなくてもいいのよ)

そも左義長とは、平安貴族の正月遊びに「毬杖(ぎっちょう)」と言う杖(今でいうならゲートボールを打つやつに近い?)で毬をホッケーのように打ち合う遊びがあった。(ちなみに、、ちなみにが多いけれど^_^; 、、、この毬杖の先の打つ部分がぶりぶり、そう、あの初釜なんかでよくみかけるぶりぶり香合の由来なんです)
小正月に宮中で、青竹を束ねて毬杖3本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり、その年の吉凶などを占ったそうです。三本の毬杖、三毬杖、、、がなまって左義長になったとか。

お参りするといきなり般若心経の紙をくれた。火をつけ燃やしている間ずっとこれを唱えてくださいということだそうです。(3割くらいなら、、、空で唱えられるんだが、、、)

これは氏子たちが初詣の時にもちこんだ古い御札やお飾り。これもいっしょに燃やすようです。

おお!八咫烏。熊野権現さまのお使いですから、熊野信仰の神社にはつきもの。ちなみに(あ、またちなみにって言っちゃった、、、)京洛熊野三山の復習をしておくと、平安時代にはやった熊野もうで、歴代天皇・上皇のなかでも群を抜いてこれにはまっていたのが後白河院。計34回という突出記録をお持ちで。でも手っ取り早く京の都に熊野を持ってくればいいと思ったのかどうかはしりませんが、三社(新熊野神社、若王子熊野神社、熊野神社)を都に勧請までしたのです。

お、門松大中小、、、これも燃やすみたいですね。

防火体制は万全。なにせ火勢はすごいですから。

左義長神事とはいうものの、神仏習合の儀式、まずは神官によって四方のお清めを。

ついで、菅の小片、紙、塩をばらまいて場を清める。このあたり陰陽道の影響があるのだとか。私の頭のあたりにも撒いてもらいました。ふりかかる紙の小片が雪のようでとてもきれい。

おつぎは修験道。これも熊野信仰にはつきものです。ほんとうにいろんな古い宗教が入り交じっている感じ。日本人は古来から宗教的には寛容だったのですな。

さて、いよいよ着火!

歓声があがります。
本来はこれが倒れた方向で吉凶を占うのですが、どこに倒れるかわからないと救急車をよばないといけないので(と、宮司さんがおっしゃってた)、あらかじめ決めた方向に倒します。今年は今年の恵方・東北東のほうへ。

燃えさかる火の中、修験者や参拝の氏子さんたちのたえまない般若心経の読経。

扱い損ねれば危険な火ではありますが、宗教儀式の火は、お水取りのお松明もそうだけれど、人の心をかかきたてるなにかがあります。

ついで大勢の参拝客による玉串奉納。ここの玉串は榊ではなくて梛(なぎ:熊野信仰ではご神木。若王子熊野神社にも大きな梛の木がありました)。ただしビニール製(^_^; でも御幣はひとつひとつくくりつけられているので、すごく手間がかかっている。

玉串奉納した参拝客には善哉券が配られるのですが、、、、あり?
秋のくすのき祭・抹茶券のを流用したもよう(^_^;

境内にある、これがほんものの梛の木。百合の葉のようにすべすべと平行葉脈を持つ葉です。

善哉をいただく長い行列に待っている間、獅子舞がやってきて、順番に頭をカパっと噛んでくれます。めでたい!

私も一噛みお願いしましたが、、、うわっ!どアップ!ブレブレ!

新熊野神社獅子組社中の方。いい笑顔ですね。

なんとお善哉のお餅は手で一つ一つ焼いてくれています。(昔はどんと焼きの火で焼いていたようです)

おいしゅうございました。合掌。

これは梛の実。持って帰って庭に植える方もおられるとか。なにせご神木ですから縁起がいいのでしょう。

また、御神酒もいただきました。参拝するだけでこんなにいただいて感激です。

で、善哉をのんきにいただいている間に火のほうは、、、もうすっかりなにもかも焼き尽くしてしまったようです。

さて、影向の楠にもお参りを。熊野神社をここに勧請したときに後白河院がお手植えされた楠ということです。大きいです。そばにちかよると圧倒されます。天然記念物にでもなりそうな大木がなにげなく大通りのそばにある、、、これも京都だからかな。

この木の幹に抱きついて願かけするとよいそうなので抱きついて幹に耳をあててみます。なにか平安の昔の音でも聞こえないかな。、、、不信心者ゆえ残念ながら聞こえたのはすぐ下を通る東大路を行き交う車の音だけでした。

宮司さんと氏子の方々。みなさまご苦労様です。こういう地元のご信心が地域のお祭りを守ってきたのですね。

あまりに楽しかったので、御礼に(?)身代わり八咫烏の小さな置物、買ってかえりました。
<おまけ>
このエリアは熊野三社を都に勧請した後白河院ゆかりの地であり、かつて法住寺殿とよばれた御殿(最愛の滋子:清盛の義妹:と過ごした御殿)があった地でもあります。清盛が造進したかの蓮華王院(三十三間堂)もかつては法住寺の一画にあったもの。三十三間堂の向かいには、今でこそこぢんまりしていますが法住寺のお堂が残っており、ここの裏手に院の陵があります。三十三間堂に行かれたときは、こちらにも是非お参りを。

新熊野神社と聞けばまず思い浮かべるのが、東大路通りに半分ほどせりだしているこの楠の大木。道路交通安全のために撤去されずにおられるのはここが京都だから(かな?)。

毎年小正月におこなわれる左義長神事(とんど焼とも)がこちらでも。今年は哲学の道ぞいの若王子熊野神社に初詣でしたので、京洛熊野三山のもう一つ、この新熊野神社に行ってみよう。(ちなみにもう一つの熊野神社は私の生活圏内にあって、昔っからよくしっているのであえて行かなくてもいいのよ)

そも左義長とは、平安貴族の正月遊びに「毬杖(ぎっちょう)」と言う杖(今でいうならゲートボールを打つやつに近い?)で毬をホッケーのように打ち合う遊びがあった。(ちなみに、、ちなみにが多いけれど^_^; 、、、この毬杖の先の打つ部分がぶりぶり、そう、あの初釜なんかでよくみかけるぶりぶり香合の由来なんです)
小正月に宮中で、青竹を束ねて毬杖3本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり、その年の吉凶などを占ったそうです。三本の毬杖、三毬杖、、、がなまって左義長になったとか。

お参りするといきなり般若心経の紙をくれた。火をつけ燃やしている間ずっとこれを唱えてくださいということだそうです。(3割くらいなら、、、空で唱えられるんだが、、、)

これは氏子たちが初詣の時にもちこんだ古い御札やお飾り。これもいっしょに燃やすようです。

おお!八咫烏。熊野権現さまのお使いですから、熊野信仰の神社にはつきもの。ちなみに(あ、またちなみにって言っちゃった、、、)京洛熊野三山の復習をしておくと、平安時代にはやった熊野もうで、歴代天皇・上皇のなかでも群を抜いてこれにはまっていたのが後白河院。計34回という突出記録をお持ちで。でも手っ取り早く京の都に熊野を持ってくればいいと思ったのかどうかはしりませんが、三社(新熊野神社、若王子熊野神社、熊野神社)を都に勧請までしたのです。

お、門松大中小、、、これも燃やすみたいですね。

防火体制は万全。なにせ火勢はすごいですから。

左義長神事とはいうものの、神仏習合の儀式、まずは神官によって四方のお清めを。

ついで、菅の小片、紙、塩をばらまいて場を清める。このあたり陰陽道の影響があるのだとか。私の頭のあたりにも撒いてもらいました。ふりかかる紙の小片が雪のようでとてもきれい。

おつぎは修験道。これも熊野信仰にはつきものです。ほんとうにいろんな古い宗教が入り交じっている感じ。日本人は古来から宗教的には寛容だったのですな。

さて、いよいよ着火!

歓声があがります。
本来はこれが倒れた方向で吉凶を占うのですが、どこに倒れるかわからないと救急車をよばないといけないので(と、宮司さんがおっしゃってた)、あらかじめ決めた方向に倒します。今年は今年の恵方・東北東のほうへ。

燃えさかる火の中、修験者や参拝の氏子さんたちのたえまない般若心経の読経。

扱い損ねれば危険な火ではありますが、宗教儀式の火は、お水取りのお松明もそうだけれど、人の心をかかきたてるなにかがあります。

ついで大勢の参拝客による玉串奉納。ここの玉串は榊ではなくて梛(なぎ:熊野信仰ではご神木。若王子熊野神社にも大きな梛の木がありました)。ただしビニール製(^_^; でも御幣はひとつひとつくくりつけられているので、すごく手間がかかっている。

玉串奉納した参拝客には善哉券が配られるのですが、、、、あり?
秋のくすのき祭・抹茶券のを流用したもよう(^_^;

境内にある、これがほんものの梛の木。百合の葉のようにすべすべと平行葉脈を持つ葉です。

善哉をいただく長い行列に待っている間、獅子舞がやってきて、順番に頭をカパっと噛んでくれます。めでたい!

私も一噛みお願いしましたが、、、うわっ!どアップ!ブレブレ!

新熊野神社獅子組社中の方。いい笑顔ですね。

なんとお善哉のお餅は手で一つ一つ焼いてくれています。(昔はどんと焼きの火で焼いていたようです)

おいしゅうございました。合掌。

これは梛の実。持って帰って庭に植える方もおられるとか。なにせご神木ですから縁起がいいのでしょう。

また、御神酒もいただきました。参拝するだけでこんなにいただいて感激です。

で、善哉をのんきにいただいている間に火のほうは、、、もうすっかりなにもかも焼き尽くしてしまったようです。

さて、影向の楠にもお参りを。熊野神社をここに勧請したときに後白河院がお手植えされた楠ということです。大きいです。そばにちかよると圧倒されます。天然記念物にでもなりそうな大木がなにげなく大通りのそばにある、、、これも京都だからかな。

この木の幹に抱きついて願かけするとよいそうなので抱きついて幹に耳をあててみます。なにか平安の昔の音でも聞こえないかな。、、、不信心者ゆえ残念ながら聞こえたのはすぐ下を通る東大路を行き交う車の音だけでした。

宮司さんと氏子の方々。みなさまご苦労様です。こういう地元のご信心が地域のお祭りを守ってきたのですね。

あまりに楽しかったので、御礼に(?)身代わり八咫烏の小さな置物、買ってかえりました。
<おまけ>
このエリアは熊野三社を都に勧請した後白河院ゆかりの地であり、かつて法住寺殿とよばれた御殿(最愛の滋子:清盛の義妹:と過ごした御殿)があった地でもあります。清盛が造進したかの蓮華王院(三十三間堂)もかつては法住寺の一画にあったもの。三十三間堂の向かいには、今でこそこぢんまりしていますが法住寺のお堂が残っており、ここの裏手に院の陵があります。三十三間堂に行かれたときは、こちらにも是非お参りを。
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● COMMENT ●
ひいらぎ様
いや(^_^;、これ「抹茶券」とありますが、善哉券なんです。秋のくすのきまつりの券を流用されたようです。
今からが私の観光シーズンですわ。人が少ないのがなによりで。
今からが私の観光シーズンですわ。人が少ないのがなによりで。
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もしかしたら毎日 どこかでやっているのかしら?
寒くてなかなか散歩ができません。
しぇるさんのご報告はいつも楽しみです。