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2023-10

寺町・阿弥陀寺 - 2014.01.28 Tue

寺町通りは御池から丸太町まではアンティークや古書、茶舗、カフェなどなかなか楽しい散歩道、丸太町から今出川までは御所と併走して、梨木神社や新島襄旧邸、廬山寺などが御所の緑にいだかれて散在する通。

では今出川以北は??
確かに寺町通の今出川以北はあまり行くこともないし、なじみがありませんね〜。


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まあ、こんな感じです。右手には次々とお寺の壁がならんでいるので、ああ、それで寺町か、、と納得できるというもの。もっともここにお寺がならんでいるのは秀吉によって強制的に集められたからなんですが。


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南から上がって行くと、本満寺、仏陀寺、、、そして


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ユニークなお堂をもつ十念寺。まあ、いずれも非公開寺院です。ちなみに十念寺のこのアバンギャルドなお堂を設計したのは一心寺シアター倶楽というホールがあり、定期寄席なんかもしていることで有名な大阪・天王寺の一心寺のご住職なんだとか。


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たどりつきました。今年の「京の冬の旅」で公開中の阿弥陀寺。


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ここは信長の本廟として有名。信長・信忠親子以下、森蘭丸三兄弟、家臣たちのお墓があるのです。といえば、あれ?信長のお墓は大徳寺の総見院では?と思われる方もおられるやも。
いえいえ、あそこは本能寺後、自分を信長の後継者であると内外に示すために、秀吉が主導して信長の大葬礼をおこない一周忌に間に合うようにむりやり建立した寺院。二体の信長木像を作り、一体を火葬して、その灰を強引に遺灰としたんですって(゚д゚|||)


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以前より信長の帰依をうけていた清玉上人が、燃えさかる本能寺に駆けつけて、遺骸を寺に運び供養埋葬したのがこの寺なんだとか。明智の監視をくぐりぬけてそんなこと可能だったのだろうかという疑問もないではありませんが、寺には清玉上人の手になる本能寺討死衆120余名の名をしるした文書も残されているので、信憑性高いかも。


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山号は「蓮台山」。なんとなれば本能寺の当時、阿弥陀寺は船岡山付近の蓮台野にあったから。ちなみに蓮台野は東の鳥辺野、西の化野とならぶ葬送の地。
秀吉はその後の自己の正当性を示すために再三信長の遺骸をよこせと要求したらしいが、清玉上人はことごとく拒否。で、さんざんいやがらせをうけたとか。天正年間にこの地に移転させられ寺領も減らされたのもそのひとつとか。おおっぴらに信長本廟と名乗れるようになったのはなんと明治になってからだそうです。


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本堂ではご本尊の阿弥陀如来、上記の討死衆の名簿や秀吉、光秀の書状なども公開。京都在住の日本画家・上田幸子さんが五年がかりでH21に完成させた天井の花曼荼羅、「彩華来迎花浄土之図」も鮮やかで美しいですよ。

さて、いよいよ信長公、総見院様の墓所にお参りにいきませう。


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おお〜っ!あの河原町今出川の賑わう場所からほど近くにこんなにひろい墓地があるなんてびっくり!!ほんと毎度言うけど、京都って表通りだけ見ていたらその本質を見逃してしまうのよね。


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正面が信長公のお墓、左手に森蘭丸以下家臣のお墓。(背景の一般民家の生活感がたまらん、、、)

実はそれだけではありません。みつけられなかったのだけれど、ただいま私がお茶とお能で足繁く通っている弘道館ゆかりの皆川淇園(江戸中期の儒学者)のお墓もあるらしい。

そして、境内にいたおっちゃんに教えてもらったのがなんと森光子さんのお墓。(本名の村上姓で)
こちらは手を合わせてきました。彼女は京都出身で、直ぐに退学したけれど鴨沂高校出身だったんだ。13歳の時に他界された母上がこの阿弥陀寺の檀家さんだったご縁でここで眠っておられる。いまでもファンがかけつけるのかお花がいっぱいそなえられていましたよ。


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さて、お帰りの際には近くですので出町柳の枡形商店街で夕飯の買い物もできますよ〜(*>∀<*)





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● COMMENT ●

本堂の左にある芭蕉の句碑を、恩師と見に行ったことがあります。“春立つや新年ふるき米五升”もうすぐですね。
市内にある句碑の中では、鳴滝のものが一番好きです。鳴滝本町のバス停から川沿いの道は夢に何度も出てきます。三井家別荘はどこにあったのだろうと進むと、鳴る滝の近くの目立たない場所に句碑が。“梅白し昨日や鶴を盗まれし”これももうすぐですね。
今週は京都の方が東京より暖かいようで。

Mariko Ishii様

句碑!
そういう巡り方もあったか!
そ〜いえば、、、本堂の横に句碑らしき物がありました。立て札もかすれて読めなかったので、はずかしながらスルーしていました。五升庵こと芭蕉の弟子ゆかりのお寺だったんですね。
福王寺はよく車でとおるのですが、鳴滝の川沿いの道はあるいたことがありません。
Ishii様の夢にまででてくるような場所ですから、風情のある道なのでしょう。これは一度いってみなければなりません。

今日は春みたいに暖かく晴天の関西でした(^0^)

総見院に遺灰がないことは知っていましたが、それでも信長の菩提寺だと思ってました。こちらが本家本元だとは知らなかった。官兵衛も始まったし、その辺りの歴史もまた学びましょうか。
冬の旅の特別公開では、建仁寺の開山堂に行きましたが、栄西の座棺が正面に鎮座していて驚きました。800年間! 
お茶をやっている者として、丁寧に拝んで来ました。

そらいろつばめ様

総見院に行ったときにほんとうの信長の遺骸は洛中の寺に、、、ときいたのですが、それがこの阿弥陀寺とはしらなんだ。ほんとうに勉強することは多いです。それが楽しみでもありますね。
建仁寺も何回行ってもそのつど新しいことを知る、、というか、知らないことが多いな〜と。栄西の座棺もしらなんだわ。見に行ってこようf(^ー^;


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