唐招提寺〜若草山・山焼 2014 - 2014.01.30 Thu
昨年は若草山の山焼を山の麓の至近距離で見たので、それはそれはたいへん迫力のあるスペクタクルでした。
ただ、あまりに近すぎて、九折山(つづらやま)とよばれる三段になった全景が見られなかった。そこで今年は遠景を楽しもうと、ウォッチングの場所を西ノ京と決めた。
奈良に着いたときはまだ山焼には早かったので、西ノ京にある(薬師寺はよく行くのでスルーして)唐招提寺へ行ってみた。

お久しぶりの唐招提寺。

高校生の時に読んだ井上靖の「天平の甍」、あれはほんとうに大きな影響をうけたなあ。今の奈良好きの原点はそこかもしれない。(天平の甍は、唐招提寺を建立した鑑真和上を日本に招聘するための苦難の道のりを描いた最高傑作です!)

金堂。ご本尊は盧舎那仏。

そして、この金堂の柱のエンタシス!
これまた奈良大好きにさせてくれた会津八一の歌、
おほてらの まろきはしらの つきかげを
つちに ふみつつ ものをこそおもへ
これを口ずさまずに見られましょうや。大学時代、ここに実際にくることができて、この柱に感激して抱きついている写真が実は今も残っている(^◇^;)

戒壇。ただし残っているのは石の段のみ。上にのっかったインド風の塔は1970年代につくったもの。若干ミスマッチというか異様だわな。

戒壇の前の蓮池。ただし今は冬枯れ。

日本に戒律を伝えんという思いだけで、5回も渡航に失敗して、それでも10余年をかけて大和入りを果たしたその情熱を思う。当時とすれば十分高齢な50代半ばで、今では想像もつかない危険な船旅にでると決意し、日本にたどりついたとき鑑真和上すでに御年66歳。その目は光を失っていた。

若葉して おん目の雫 ぬぐはばや (芭蕉)

ご命日の6月6日には国宝の鑑真和上の肖像彫刻が御開帳されるが、まだこれは拝んだことがない。最近になってレプリカが公開されているけれど、やはり和上忌にホンモノをいつか拝みたいと思っている。

「天平の甍」で、今でもおぼえているシーンがある。
何度かの渡海失敗の後で、夜の舟の中、
鑑真のかけた言葉。
「照は泣いているのか?」
(照=普照:鑑真をむかえるために唐へおもむき、苦労をともにして来日を果たすまでよりそった僧)
泣いているのを悟られまいとして普照が一声の嗚咽ももらさないにもかかわらず、盲目の鑑真はそう声をかける。ウン十年たってもこのセリフはなぜか心に残っている。

その和上の像がいます御影堂への道。

普照が唐から持ち帰った鴟尾は金堂の屋根に飾られ、それを感慨深く見上げる、、、というのが最後のシーンだったな。

その鴟尾=甍でタイトルになったわけですが、当時の物は一基のみ残っていて大切に保存され、現在のはレプリカ。これも残念だが劣化風化を考えればいたしかたあるまい。

さて、そろそろ日も暮れてきた。

彼方に見える山のちょっとはげたところが山焼をするところ。
若草山は一重、二重、三重となっているため三笠山とも(御蓋山とは別の山らしいが、ここんとこなんだかややこしい)三重目の山の頂には五世紀ごろの前方後円墳・鶯塚古墳があり、毎夜ここからでる幽霊が人々をこわがらせる、という言い伝えがあったらしい。
一月までに山を焼かねば翌年、この幽霊によって良くないことが起こると信じられてきたため、通行人がだれかれとなく山に火を放ったが、それでは近くにある東大寺、興福寺、春日大社にが延焼してしまう。それならば、火を決めて山焼をしよう、ということになったのが江戸中期頃のおはなし。

あ、花火があがった!(18:15)
今ごろ山の麓近く、結界をはった大篝火の祭壇ちかく、春日神社の神官達が御神火をもってスタンバイしているのだろうな。

おお〜っ!ついた〜!燃えた〜!

、、、、しかし、、、遠い、、、
ちょっと遠すぎ。小さすぎ、、、

一層目が燃え尽きて二層目に移っていくのだけれど、それもあまりよく見えない。ので、ここは観察場所の設定に少々難あり、、、であった( *´д)/
う〜む、、来年はどこから見るか。要検討。
ちょっと山焼の画像がさびしいので、昨年のブログからの迫力の何枚か、おいておきます。





ただ、あまりに近すぎて、九折山(つづらやま)とよばれる三段になった全景が見られなかった。そこで今年は遠景を楽しもうと、ウォッチングの場所を西ノ京と決めた。
奈良に着いたときはまだ山焼には早かったので、西ノ京にある(薬師寺はよく行くのでスルーして)唐招提寺へ行ってみた。

お久しぶりの唐招提寺。

高校生の時に読んだ井上靖の「天平の甍」、あれはほんとうに大きな影響をうけたなあ。今の奈良好きの原点はそこかもしれない。(天平の甍は、唐招提寺を建立した鑑真和上を日本に招聘するための苦難の道のりを描いた最高傑作です!)

金堂。ご本尊は盧舎那仏。

そして、この金堂の柱のエンタシス!
これまた奈良大好きにさせてくれた会津八一の歌、
おほてらの まろきはしらの つきかげを
つちに ふみつつ ものをこそおもへ
これを口ずさまずに見られましょうや。大学時代、ここに実際にくることができて、この柱に感激して抱きついている写真が実は今も残っている(^◇^;)

戒壇。ただし残っているのは石の段のみ。上にのっかったインド風の塔は1970年代につくったもの。若干ミスマッチというか異様だわな。

戒壇の前の蓮池。ただし今は冬枯れ。

日本に戒律を伝えんという思いだけで、5回も渡航に失敗して、それでも10余年をかけて大和入りを果たしたその情熱を思う。当時とすれば十分高齢な50代半ばで、今では想像もつかない危険な船旅にでると決意し、日本にたどりついたとき鑑真和上すでに御年66歳。その目は光を失っていた。

若葉して おん目の雫 ぬぐはばや (芭蕉)

ご命日の6月6日には国宝の鑑真和上の肖像彫刻が御開帳されるが、まだこれは拝んだことがない。最近になってレプリカが公開されているけれど、やはり和上忌にホンモノをいつか拝みたいと思っている。

「天平の甍」で、今でもおぼえているシーンがある。
何度かの渡海失敗の後で、夜の舟の中、
鑑真のかけた言葉。
「照は泣いているのか?」
(照=普照:鑑真をむかえるために唐へおもむき、苦労をともにして来日を果たすまでよりそった僧)
泣いているのを悟られまいとして普照が一声の嗚咽ももらさないにもかかわらず、盲目の鑑真はそう声をかける。ウン十年たってもこのセリフはなぜか心に残っている。

その和上の像がいます御影堂への道。

普照が唐から持ち帰った鴟尾は金堂の屋根に飾られ、それを感慨深く見上げる、、、というのが最後のシーンだったな。

その鴟尾=甍でタイトルになったわけですが、当時の物は一基のみ残っていて大切に保存され、現在のはレプリカ。これも残念だが劣化風化を考えればいたしかたあるまい。

さて、そろそろ日も暮れてきた。

彼方に見える山のちょっとはげたところが山焼をするところ。
若草山は一重、二重、三重となっているため三笠山とも(御蓋山とは別の山らしいが、ここんとこなんだかややこしい)三重目の山の頂には五世紀ごろの前方後円墳・鶯塚古墳があり、毎夜ここからでる幽霊が人々をこわがらせる、という言い伝えがあったらしい。
一月までに山を焼かねば翌年、この幽霊によって良くないことが起こると信じられてきたため、通行人がだれかれとなく山に火を放ったが、それでは近くにある東大寺、興福寺、春日大社にが延焼してしまう。それならば、火を決めて山焼をしよう、ということになったのが江戸中期頃のおはなし。

あ、花火があがった!(18:15)
今ごろ山の麓近く、結界をはった大篝火の祭壇ちかく、春日神社の神官達が御神火をもってスタンバイしているのだろうな。

おお〜っ!ついた〜!燃えた〜!

、、、、しかし、、、遠い、、、
ちょっと遠すぎ。小さすぎ、、、

一層目が燃え尽きて二層目に移っていくのだけれど、それもあまりよく見えない。ので、ここは観察場所の設定に少々難あり、、、であった( *´д)/
う〜む、、来年はどこから見るか。要検討。
ちょっと山焼の画像がさびしいので、昨年のブログからの迫力の何枚か、おいておきます。





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● COMMENT ●
ひいらぎ様
今年は寒いね、とか、暖かいね、とかいうのも山焼待ちの楽しみでしょうか。そういえばお水取りのときも、そういう話題がでるなあ。
さて、来年はどこから見よう、、、
さて、来年はどこから見よう、、、
山焼きは数年前に飲み友達と観に行って、餅飯殿でちょっくら飲んでる内にすっかり終わっていました。馬鹿。
唐招提寺の戒壇はとても好きなところですが、上の部分は付け足しだったのですね…、知りませんでした。
唐招提寺の戒壇はとても好きなところですが、上の部分は付け足しだったのですね…、知りませんでした。
relax様
終わるまで気づかなかったってどんな飲み方をしていたのでせう???(@_@;)
西の京あたりは奈良的、というか観光地観光地していないのが魅力です。
はい、私も戒壇の上がごく最近の付け足しだと今回初めてしりました。
西の京あたりは奈良的、というか観光地観光地していないのが魅力です。
はい、私も戒壇の上がごく最近の付け足しだと今回初めてしりました。
しぇる様へ
奈良へ来られていたのですね。
奈良の北隣に住んでいても、若草山の山焼きを至近で見物したのは
一回きりです。近くより、離れてみるほうが絵になります。
その当時は花火なんかはありませんでしたが。
その日、昼に、興福寺の五重塔の内部を拝観した事を記憶しています。
木組みが複雑だった事が印象的でした。
今は、外からしか見学できませんが。
そう言えば、金閣寺の舎利殿も、再建後、しばらくは内部の公開もしていましたね。
奈良へ来られていたのですね。
奈良の北隣に住んでいても、若草山の山焼きを至近で見物したのは
一回きりです。近くより、離れてみるほうが絵になります。
その当時は花火なんかはありませんでしたが。
その日、昼に、興福寺の五重塔の内部を拝観した事を記憶しています。
木組みが複雑だった事が印象的でした。
今は、外からしか見学できませんが。
そう言えば、金閣寺の舎利殿も、再建後、しばらくは内部の公開もしていましたね。
narahimuro様
金閣寺へ一度も行ったことがない京都人が多いように、若草山の山焼をあえてみる奈良のお人はかえって少ないのかも(^_^;
昨年至近で火を見てとても感極まったので年中行事にしようかな、、、と思ってます。(屋台が多いのは閉口でしたが)確かに遠景の方がきれいかな、と思い西の京にしたのですが、ちょっと遠すぎました。県庁の上くらいで拝見できたらな〜と思います。どこか穴場、ありませんかね?
昨年至近で火を見てとても感極まったので年中行事にしようかな、、、と思ってます。(屋台が多いのは閉口でしたが)確かに遠景の方がきれいかな、と思い西の京にしたのですが、ちょっと遠すぎました。県庁の上くらいで拝見できたらな〜と思います。どこか穴場、ありませんかね?
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いつも若草山焼きの時は寒かったと記憶があります。
場所を決める楽しみがあっていいですね。