「わかりやすい高麗茶碗のはなし」〜谷 晃・著 - 2014.04.16 Wed

高麗茶碗といえば利休のころより茶人ならだれでも憧憬の念を持っていることと思うが、その分類ときたらあいまいにしかわからない。
さすがに井戸や三島くらいならなんとかわかるにしても、斗々屋と思えば蕎麦だったりするし、金海には猫掻きがあるんだと思っていたけれど、どうやらちがうみたいだし、、、御本となった日にはもうお手上げ〜。
学術的な書物はむつかしすぎてますます混乱するし、(読み切れないし)。従来窯やら倭館窯とかなんとか〜(>_<)、、、ここらへん茶道検定にも出てたけど明確にはわかってないし、、、
なので最近淡交社からでた野村美術館の谷先生の「高麗茶碗のはなし」は素人向けにとてもありがたい本でした。雑誌「淡交」に連載中から、これはわかりやすい、本になったらすぐ買おう、と思っていたしね。
語り口がソフトなのでずんずんひきこまれて読めるし、カラー写真もふんだんに掲載されている。昔の茶会記にどのように使われていたかというお話しもそれぞれについていて、ちょっと学術的な領域までの橋渡しの部分もある。
コラムでは高麗茶碗の調査研究をする発端となった先生ご自身のお話や、高麗茶碗の水漏れと戦ったお話しなどの楽しく読めるコーナーもありますよ。
その中でも一番おもしろかったのが、高麗茶碗の出身地である韓国と日本の古来からの美的センスの違いについて。
昔も現代も韓国人は青磁に一番誇りを持っていて、白磁(井戸もそのひとつらしい)や高麗茶碗(粉青沙器が主)がなぜ日本で珍重されるのか理解できないところがあるらしい。それは浅川兄弟の足跡をたどっていたときもそう思った。
かつて野村美術館で、現代の陶芸家、日本から韓国からそれぞれ10人に高麗茶碗を再現して作ってもらって展示したことがあったそうだ。するとどちらが良い、悪いではなく、歴然としたセンスの隔たりがあったそうだ。なんとなくわからないでもないが、それは一度展示を見てみたかったなあ。
嗜好の国民性の差はあるとして、なぜ日本人はかくも高麗茶碗にあこがれ、その生みの親の国・韓国ではそれほど珍重されなかったのだろう。
韓国では技術的に高度なテクニックを駆使してつくられた器=良い器なのに対して、そういう作為のある器、それだけで美術品として完成してしまう器は、足らざるをよしとするわび茶にはあわなかった、ということに納得。だから茶の湯をしっている、しっていない、のセンスの差は大きくでるのだという。
そういえば浅川兄弟(兄の浅川伯教は、高麗茶碗の中で倭館で作られた物があると最初に指摘したひと)のエピソードに、朝鮮(戦前)の骨董屋をまわって白磁のコレクションをしていたときに、「どうしてそんなガラクタばかり集めるのか?もっとよい青磁があるのに。」といわれた話があった。この本でも、韓国の骨董屋で古い碗をみていると「目の穢れになるからやめなさい。」といわれたという話も披露されている。
日韓における過去の歴史の因縁や、現在の悪化した日韓関係も、もしかしたら高麗茶碗をガラクタと否定するのに関係しているかも、、、というのはソフトに、デリケートに書かれているが(^_^; (ご苦労がしのばれる)
さて、今後高麗茶碗を目にしたら、あとでこの本で確認だ!、、、というわけで茶の湯をこころざす人には事典代わりにそばにおいて決して損はしませんよ。高麗茶碗をもてるかどうかは別として、、、、(^◇^;)
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● COMMENT ●
relax様
『中国と茶碗と日本と』もおもしろそうですね。こちらは韓国ではなくて中国、いずれも本国では廃れた茶の湯やその道具が日本に残っている不思議さがテーマみたいで似かよっていますね。私も読んでみます。
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今読んでいる途中なのですが彭丹さんという女性研究者の書いた『中国と茶碗と日本と』という本もなかなか面白いです。