野村美術館講座〜「茶の湯の現代」 武者小路千家次期家元・千宗屋 - 2014.04.29 Tue
武者小路千家の若宗匠、千宗屋さんはメディアでもよくとりあげられているし、御著書の「茶〜利休と今をつなぐ」や「もしも利休があなたを招いたら」は我が家の本棚にもあるくらいの茶の湯界では有名なお方です。インテリだしね。
近いところでは映画「利休にたずねよ」で、海老蔵に茶道指南をされたそうだし、その縁で映画にもちょい役で出演されてました。

今回の野村美術館講座の講師はこの千宗屋さん、タイトルは「茶の湯の現代」です。
十徳姿でおいでになったので、宗匠らしくみえますが、気さくなお人柄ゆえ、もしカジュアルな格好で町をあるいておられたらきっと全然わからないだろうな。
「利休にたずねよ」でも、どこにでているのか全然わからなかったけれど、スチール写真をみせてもらって、ああ!ここか〜!と、、、(DVDで目を皿のようにしてさがしてね)
京都の武者小路千家の生まれながら、大学が慶応だったせいか東京ですごされることが多いようで、数年前には文化庁の事業でNYに1年住んでお茶の文化を世界にひろめる活動をされたりしていたので、物の見方もすごく俯瞰的だな、という印象をうけました。
時々「武者小路千家って表(千家)ですか?裏(千家)ですか?」などという質問を受けることもあるそうで(三千家=表千家、裏千家、武者小路千家)その時は「私は裏も表もありません。」と答える、という話で笑わせて下さる。

さて、テーマの茶の湯の現代、あるいは現代の茶の湯。
今という時代は価値観が非常に多様化していて、茶道人口は減りつつあるものの、より深く茶の湯を楽しんでいる時代だと。
ただ生活様式が西洋化してしまったため(畳の部屋がないお家が増えてる!襖・障子のたてかたも当然知らないわなあ、、、)、お茶のお稽古はしていても、日常生活との接点がなく、生活との距離感がある。昔なら炭で火を熾してお湯をわかす、、、なんてのはごく普通の日常のことだったのに、今では炭で火を熾したことさえない人も多い。
逆にいうとそういう非日常への憧れが現代人にはあって、たとえばいわゆる「和」ブーム(和カフェや町家宿泊や手ぬぐいが売れるとか、、、、)とはそういうものではないだろうか。若い人たちにとっては外国文化とおなじくらいstrangeなものになっているもよう。宗屋さんは東京で過ごすことが多いので、より強くそう感じるのだそうだ。
そういえば、京都は昔の生活文化・習慣(座敷に花をいけるとか、節句のお祝いをちゃんとするとか、打ち水をするとか、今でも現役の井戸のあるお家があるとか)が比較的よく残っているからなあ。

久松真一先生曰く、
「茶道とは人間生活全体と密接にむすびついた生活様式そのもの、なのです。”狭隘なるささやかな住居の中で、宗教的にも、道徳的にも、礼儀作法的にも、芸術的にも、食事から掃除に至るまでも、良く洗練された文化的生活”なのです。」
残念ながら現代では、それらは茶の世界にのみ残っている日本古来の生活文化、生活習慣様式となってしまった。
その点で茶の湯はさながら「日本文化のタイムカプセル」のようだ、と宗屋さんはおっしゃる。

現代の茶の湯はこうした非日常になった生活文化を生きた文化として楽しむものである。茶の湯にたずさわる者としてはそれを広める努力をしなくてはならない。その提案として、マンションの中で西洋化した部屋に違和感なく溶け込む茶室や、NYのギャラリーで披露された茶机(ちゃき:宗屋さん命名、立礼卓とは根本的にちょっと違う)などの実例を見せて下さった。
マンションのベランダにおかれた蹲居につくばうと、目の高さにみえるのが東京タワーで、これを借景の灯篭とする、、、っていうのはいいよねえ。
京都の茶家の御曹司ながら、伝統にあぐらをかかず新しい試み、広める努力をされているのはすばらしい。ただ他の伝統芸能の世界でも同じ現象がみられるのは、それにたずさわる人の絶滅危惧種的芸能へ対する危機感のなせるわざか。能楽でも若手が裾野をひろげようといろいろ努力をされてる。
明治維新後の茶の湯の危機的状況にも、圓能斎がお茶を女子にも広げたり、淡々斎・鵬雲斎はアメリカに渡って世界に広げようと行脚して発展させてきた。たどれば利休がやった革新的なこともその源泉にあるのかもしれない。
私は茶家のものでもなんでもないけれど、茶の湯の世界のはしっこにいる者として、せめて周りの人たちの茶の湯化計画・お茶って楽しいのよ計画に邁進せねばなるまい、、、、と思ったのでした。
近いところでは映画「利休にたずねよ」で、海老蔵に茶道指南をされたそうだし、その縁で映画にもちょい役で出演されてました。

今回の野村美術館講座の講師はこの千宗屋さん、タイトルは「茶の湯の現代」です。
十徳姿でおいでになったので、宗匠らしくみえますが、気さくなお人柄ゆえ、もしカジュアルな格好で町をあるいておられたらきっと全然わからないだろうな。
「利休にたずねよ」でも、どこにでているのか全然わからなかったけれど、スチール写真をみせてもらって、ああ!ここか〜!と、、、(DVDで目を皿のようにしてさがしてね)
京都の武者小路千家の生まれながら、大学が慶応だったせいか東京ですごされることが多いようで、数年前には文化庁の事業でNYに1年住んでお茶の文化を世界にひろめる活動をされたりしていたので、物の見方もすごく俯瞰的だな、という印象をうけました。
時々「武者小路千家って表(千家)ですか?裏(千家)ですか?」などという質問を受けることもあるそうで(三千家=表千家、裏千家、武者小路千家)その時は「私は裏も表もありません。」と答える、という話で笑わせて下さる。

さて、テーマの茶の湯の現代、あるいは現代の茶の湯。
今という時代は価値観が非常に多様化していて、茶道人口は減りつつあるものの、より深く茶の湯を楽しんでいる時代だと。
ただ生活様式が西洋化してしまったため(畳の部屋がないお家が増えてる!襖・障子のたてかたも当然知らないわなあ、、、)、お茶のお稽古はしていても、日常生活との接点がなく、生活との距離感がある。昔なら炭で火を熾してお湯をわかす、、、なんてのはごく普通の日常のことだったのに、今では炭で火を熾したことさえない人も多い。
逆にいうとそういう非日常への憧れが現代人にはあって、たとえばいわゆる「和」ブーム(和カフェや町家宿泊や手ぬぐいが売れるとか、、、、)とはそういうものではないだろうか。若い人たちにとっては外国文化とおなじくらいstrangeなものになっているもよう。宗屋さんは東京で過ごすことが多いので、より強くそう感じるのだそうだ。
そういえば、京都は昔の生活文化・習慣(座敷に花をいけるとか、節句のお祝いをちゃんとするとか、打ち水をするとか、今でも現役の井戸のあるお家があるとか)が比較的よく残っているからなあ。

久松真一先生曰く、
「茶道とは人間生活全体と密接にむすびついた生活様式そのもの、なのです。”狭隘なるささやかな住居の中で、宗教的にも、道徳的にも、礼儀作法的にも、芸術的にも、食事から掃除に至るまでも、良く洗練された文化的生活”なのです。」
残念ながら現代では、それらは茶の世界にのみ残っている日本古来の生活文化、生活習慣様式となってしまった。
その点で茶の湯はさながら「日本文化のタイムカプセル」のようだ、と宗屋さんはおっしゃる。

現代の茶の湯はこうした非日常になった生活文化を生きた文化として楽しむものである。茶の湯にたずさわる者としてはそれを広める努力をしなくてはならない。その提案として、マンションの中で西洋化した部屋に違和感なく溶け込む茶室や、NYのギャラリーで披露された茶机(ちゃき:宗屋さん命名、立礼卓とは根本的にちょっと違う)などの実例を見せて下さった。
マンションのベランダにおかれた蹲居につくばうと、目の高さにみえるのが東京タワーで、これを借景の灯篭とする、、、っていうのはいいよねえ。
京都の茶家の御曹司ながら、伝統にあぐらをかかず新しい試み、広める努力をされているのはすばらしい。ただ他の伝統芸能の世界でも同じ現象がみられるのは、それにたずさわる人の絶滅危惧種的芸能へ対する危機感のなせるわざか。能楽でも若手が裾野をひろげようといろいろ努力をされてる。
明治維新後の茶の湯の危機的状況にも、圓能斎がお茶を女子にも広げたり、淡々斎・鵬雲斎はアメリカに渡って世界に広げようと行脚して発展させてきた。たどれば利休がやった革新的なこともその源泉にあるのかもしれない。
私は茶家のものでもなんでもないけれど、茶の湯の世界のはしっこにいる者として、せめて周りの人たちの茶の湯化計画・お茶って楽しいのよ計画に邁進せねばなるまい、、、、と思ったのでした。
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● COMMENT ●
待ってました。私は今年ハズレてしまったので、しぇる様のレポートが楽しみです。宗屋さんはきちんとご自分が表に立って活動してらっしゃる姿勢が良いと思います。もちろんブレーンも大勢あることでしょうが。
茶道は生活様式から出たものなのに、その生活の急激な変化で、茶道がかけ離れ場ものになりつつある。できれば日常に楽しめるお茶もやりながら、また厳しいお茶も目指しながら、コツコツやって行きたいなあと思うこの頃です。お陰様でチャリティ茶会は楽しく和やかにできました。お昼の賄いや打上のBBQまで。
また次を目指しましょう。
静かな茶室で、大きな水指の蓋に映った明かりがいいですね。
茶道は生活様式から出たものなのに、その生活の急激な変化で、茶道がかけ離れ場ものになりつつある。できれば日常に楽しめるお茶もやりながら、また厳しいお茶も目指しながら、コツコツやって行きたいなあと思うこの頃です。お陰様でチャリティ茶会は楽しく和やかにできました。お昼の賄いや打上のBBQまで。
また次を目指しましょう。
静かな茶室で、大きな水指の蓋に映った明かりがいいですね。
relax様
久松先生の本は時に難解すぎてよ〜わからんところもあります。良いこと書いてある〜と思っても、すぐ忘れるので何度もフレッシュな気持ちで読めますしね〜(^_^;
貢献できていればうれしいですが、どうでしょう〜???
書いてる本人はとっても楽しいのはまちがいないですが。
貢献できていればうれしいですが、どうでしょう〜???
書いてる本人はとっても楽しいのはまちがいないですが。
そらいろつばめ様
チャリティ茶会のご盛会おめでとうございます\(^O^)/
私もそういう茶会してみたい意欲はあるんですがね〜、、、、
講座は今季他の茶友も申し込み遅れで入れませんでした。希望者が多いのか、とにかくぎゅうぎゅう詰めで2時間弱、、というのはちょっとつらいものがありますね。
でも宗屋さんのお話しはおもしろかった!
彼がNYに行くのにあれこれコーディネイトされたのが、あのO先生だったそうですよ。
下地窓にうつる光りはプリズムになるのでとても美しいです。障子と言い下地窓といい、やはり日本の伝統文化はすごい。消滅しないようにつとめなければ。まずは孫娘をいかにして茶に興味をもたせるか、、、σ(^◇^;)
私もそういう茶会してみたい意欲はあるんですがね〜、、、、
講座は今季他の茶友も申し込み遅れで入れませんでした。希望者が多いのか、とにかくぎゅうぎゅう詰めで2時間弱、、というのはちょっとつらいものがありますね。
でも宗屋さんのお話しはおもしろかった!
彼がNYに行くのにあれこれコーディネイトされたのが、あのO先生だったそうですよ。
下地窓にうつる光りはプリズムになるのでとても美しいです。障子と言い下地窓といい、やはり日本の伝統文化はすごい。消滅しないようにつとめなければ。まずは孫娘をいかにして茶に興味をもたせるか、、、σ(^◇^;)
重ねてコメントお許しください。
ご本人が楽しめていらっしゃるのが何よりです。
そうでなければ周りが楽しめるはずがないですもの。
今日は京都千日回峰行でした。
工芸繊維大学、高麗美術館、ギャラリー器館、裏千家茶道資料館、何必館、KAHOギャラリーを回りました。
KAHOギャラリーの小野竹喬の絵に心洗われました。
ご本人が楽しめていらっしゃるのが何よりです。
そうでなければ周りが楽しめるはずがないですもの。
今日は京都千日回峰行でした。
工芸繊維大学、高麗美術館、ギャラリー器館、裏千家茶道資料館、何必館、KAHOギャラリーを回りました。
KAHOギャラリーの小野竹喬の絵に心洗われました。
relax様
1日でこれ全部回られたんですか?!
ほんまに荒行ですね〜。
これだけ回ったら、私ならどこでなにを見たか混乱しそうです(@_@;)
とはいえ、これだけを一日でまわれる京都のギャラリー密度の高さにはありがたいです。
私は今日は雨の白沙村荘で新緑を愛でながらお茶会に参席しておりました。すばらしかったです。
ほんまに荒行ですね〜。
これだけ回ったら、私ならどこでなにを見たか混乱しそうです(@_@;)
とはいえ、これだけを一日でまわれる京都のギャラリー密度の高さにはありがたいです。
私は今日は雨の白沙村荘で新緑を愛でながらお茶会に参席しておりました。すばらしかったです。
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