期間限定・煎茶入門 - 2013.01.20 Sun
初釜シリーズも終わってちょっと茶会閑散期。
この時期をねらって期間限定で煎茶道に入門してみました。
期間限定というのも教えて下さっている先生には失礼だし、はまりだすとけっこう深みにはまりそうな気もするし、、、という気持ちはありながら、さりとて今の自分の時間の物理的不足はいかんともしがたく、さらに自分の本分はあくまで茶の湯だ、という思いもあるので、「期間限定」と固く誓う。

なにゆえに煎茶かというと、煎茶道は売茶翁高遊外から始まる(中興の祖)、(当時の)茶の湯のあまりに規則に縛られ道具にこだわり、権力の側にある状況へのアンチテーゼからはじまったと理解しているため。
清らかな自然のもと、素焼きの粗末な茶器で煎茶を煮て、文人墨客が清談を楽しむ、というのが本来の煎茶のあり方と聞きます。
これに少しでも触れることでまた茶の湯を別の角度から見ることができるのではないかという思いと、ただただ煎茶、玉露を美味しく飲みた〜い、という生理的欲求を兼ねて。
それから昨年秋、平安神宮でおこなわれた煎茶献茶祭でいくつかの流派の煎茶席に参席して、せめて客の作法くらいは知りたいと思ったことも理由の一つ。

早々と購入した骨董の茶器。
自分の家で煎茶はまあそれなりにおいしくいれられるのですが、玉露はね〜、、、むつかしい。
ちゃんとお湯の温度も下げて、時間をかけて煎れているのですがいまいち。
ある日本茶インストラクターさんの煎れてくれた玉露が最高においしかったので、なんとかアレが再現できないかなあ。

ああ、それにしてもお煎茶道具はみんなちっちゃくてかわいい。
乙女心(何か文句ある?)をくすぐってやまない。

朱泥の茶瓶(ちゃへい)、これもちっちゃいです。
茶道以上にたくさんの流派がある煎茶道なので、習う流派はどこでもよかったのですが、時間的制約で選択の余地がなかったので、ある流派に。
流派に関わらず一般に煎茶道は涼炉という細水指みたいな炉を火源とします。
煎茶といえば、この涼炉がシンボルみたいな感じですね。
茶道の炉や風炉は持ち運びはできませんが、これなら山へでも川へでもどこへでも持ち運べる、というのが真骨頂。
涼炉、もってないなあ。上にのせる素焼きの湯瓶(ゆへい:ボーフラともよばれる)もないし。
電熱の涼炉買おうかなあ、、、日常お客さまが来たときにも使えるし。(おやおや、深みにはまりかけてませんか?)

布袋作家、昆布さんのつくった茶器入れ。
これで煎茶茶碗5つすぽっと入っているんです。
まだ数回しかお稽古いっていないので、いまはまだ割稽古中ですが、先輩方の煎れた煎茶、玉露はお茶のエッセンスがぎゅっと凝縮されて、ほんの数滴なのに鮮烈に口腔鼻腔に茶葉のエッセンスが広がります。
これこそTHE・茶(葉)という感じ。
茶席の室礼も花もあまり厳しいしばりはないようです。
軸も茶道が禅僧の墨蹟を第1とするのに対して、老荘思想的な物、文人の詩文、文人画などが好まれるとか。
花も茶道のように禁花(茶席では使ってはいけない花)もなく、椿も花が開いているのもOK。
他にも文房飾りや果物飾りなど結構自由自在な印象です。

「蕗の薹」
でも生菓子はいっしょなの
ただ茶道のようにお茶の前にいただくのではなく、一煎目と二煎目の間だとか、二煎いただいたあととかに頂戴します。お茶の量が少ないので、先に甘い物を食べてしまうとせっかくのお茶の味がわからなくなるから、ということだそうです。そのあとにお白湯がでるところも。
江戸時代後半になると自由な煎茶も家元ができるにおよんで、いろいろ手前法、作法ができてきたそうですが、できればあまり作法作法といわれない茶風が煎茶らしく、売茶翁の意図に適うような気がします。
もともと売茶翁は黄檗宗の禅僧でしたが、その禅僧社会の堕落をみるにつけ、それを批判し革新させるため煎茶売りを方便として使った、といいます。なので禅宗から離れたものではなく、ある意味禅宗そのものだったのでしょう。いうなれば禅宗を根底に持つ茶道と根源は同じ、ということでしょうか。
売茶翁は57歳のとき、寺を後嗣に丸投げして上洛をはたし、京の名所旧跡、風光明媚な場所で煎茶の立ち売りをしたとか。曰く、、、
茶銭は黄金百鎰より半文銭までは
くれ次第
ただ飲みも勝手
ただよりはまけもうさず
確かに、痛快!です。
この時期をねらって期間限定で煎茶道に入門してみました。
期間限定というのも教えて下さっている先生には失礼だし、はまりだすとけっこう深みにはまりそうな気もするし、、、という気持ちはありながら、さりとて今の自分の時間の物理的不足はいかんともしがたく、さらに自分の本分はあくまで茶の湯だ、という思いもあるので、「期間限定」と固く誓う。

なにゆえに煎茶かというと、煎茶道は売茶翁高遊外から始まる(中興の祖)、(当時の)茶の湯のあまりに規則に縛られ道具にこだわり、権力の側にある状況へのアンチテーゼからはじまったと理解しているため。
清らかな自然のもと、素焼きの粗末な茶器で煎茶を煮て、文人墨客が清談を楽しむ、というのが本来の煎茶のあり方と聞きます。
これに少しでも触れることでまた茶の湯を別の角度から見ることができるのではないかという思いと、ただただ煎茶、玉露を美味しく飲みた〜い、という生理的欲求を兼ねて。
それから昨年秋、平安神宮でおこなわれた煎茶献茶祭でいくつかの流派の煎茶席に参席して、せめて客の作法くらいは知りたいと思ったことも理由の一つ。

早々と購入した骨董の茶器。
自分の家で煎茶はまあそれなりにおいしくいれられるのですが、玉露はね〜、、、むつかしい。
ちゃんとお湯の温度も下げて、時間をかけて煎れているのですがいまいち。
ある日本茶インストラクターさんの煎れてくれた玉露が最高においしかったので、なんとかアレが再現できないかなあ。

ああ、それにしてもお煎茶道具はみんなちっちゃくてかわいい。
乙女心(何か文句ある?)をくすぐってやまない。

朱泥の茶瓶(ちゃへい)、これもちっちゃいです。
茶道以上にたくさんの流派がある煎茶道なので、習う流派はどこでもよかったのですが、時間的制約で選択の余地がなかったので、ある流派に。
流派に関わらず一般に煎茶道は涼炉という細水指みたいな炉を火源とします。
煎茶といえば、この涼炉がシンボルみたいな感じですね。
茶道の炉や風炉は持ち運びはできませんが、これなら山へでも川へでもどこへでも持ち運べる、というのが真骨頂。
涼炉、もってないなあ。上にのせる素焼きの湯瓶(ゆへい:ボーフラともよばれる)もないし。
電熱の涼炉買おうかなあ、、、日常お客さまが来たときにも使えるし。(おやおや、深みにはまりかけてませんか?)

布袋作家、昆布さんのつくった茶器入れ。
これで煎茶茶碗5つすぽっと入っているんです。
まだ数回しかお稽古いっていないので、いまはまだ割稽古中ですが、先輩方の煎れた煎茶、玉露はお茶のエッセンスがぎゅっと凝縮されて、ほんの数滴なのに鮮烈に口腔鼻腔に茶葉のエッセンスが広がります。
これこそTHE・茶(葉)という感じ。
茶席の室礼も花もあまり厳しいしばりはないようです。
軸も茶道が禅僧の墨蹟を第1とするのに対して、老荘思想的な物、文人の詩文、文人画などが好まれるとか。
花も茶道のように禁花(茶席では使ってはいけない花)もなく、椿も花が開いているのもOK。
他にも文房飾りや果物飾りなど結構自由自在な印象です。

「蕗の薹」
でも生菓子はいっしょなの

ただ茶道のようにお茶の前にいただくのではなく、一煎目と二煎目の間だとか、二煎いただいたあととかに頂戴します。お茶の量が少ないので、先に甘い物を食べてしまうとせっかくのお茶の味がわからなくなるから、ということだそうです。そのあとにお白湯がでるところも。
江戸時代後半になると自由な煎茶も家元ができるにおよんで、いろいろ手前法、作法ができてきたそうですが、できればあまり作法作法といわれない茶風が煎茶らしく、売茶翁の意図に適うような気がします。
もともと売茶翁は黄檗宗の禅僧でしたが、その禅僧社会の堕落をみるにつけ、それを批判し革新させるため煎茶売りを方便として使った、といいます。なので禅宗から離れたものではなく、ある意味禅宗そのものだったのでしょう。いうなれば禅宗を根底に持つ茶道と根源は同じ、ということでしょうか。
売茶翁は57歳のとき、寺を後嗣に丸投げして上洛をはたし、京の名所旧跡、風光明媚な場所で煎茶の立ち売りをしたとか。曰く、、、
茶銭は黄金百鎰より半文銭までは
くれ次第
ただ飲みも勝手
ただよりはまけもうさず
確かに、痛快!です。
● COMMENT ●
ついに始まりましたか!
亡き母が売茶流でしたので 山ほど道具がありました。だれもしないのでお弟子さんで 続けてやっておられる方に一括で差し上げましたが きっと使っていただいていると思っています。
道具は抹茶ほどではありませんが かなりありますよ。確か 煎茶 番茶 玉露と茶碗も違いました。
それと共に茶托もね。値段は抹茶ほどはかかりません。お茶以外は。
楽しいようです。
亡き母が売茶流でしたので 山ほど道具がありました。だれもしないのでお弟子さんで 続けてやっておられる方に一括で差し上げましたが きっと使っていただいていると思っています。
道具は抹茶ほどではありませんが かなりありますよ。確か 煎茶 番茶 玉露と茶碗も違いました。
それと共に茶托もね。値段は抹茶ほどはかかりません。お茶以外は。
楽しいようです。
しぇるさん、こんにちは
なかなか、興味深い御話^^
わたし、売茶翁ぐらいしか、知りまへんでした^^;
一枚目の活け花、素敵ですよね~
そう、それと
しぇるさん、またまた、カメラの腕前上げられましたね~^^
最後の御写真の
ボケ味の雰囲気など・・・・ほんに、良い御点前でございます^^
なかなか、興味深い御話^^
わたし、売茶翁ぐらいしか、知りまへんでした^^;
一枚目の活け花、素敵ですよね~
そう、それと
しぇるさん、またまた、カメラの腕前上げられましたね~^^
最後の御写真の
ボケ味の雰囲気など・・・・ほんに、良い御点前でございます^^
relax様
今まで見たのはほとんど女性のお点前でしたが、家元が男性の所は多いし、大きな手の男性があのちっちゃい茶器をあつかうとどうなんだろう、、、と想像してしまいます。逆に茶道で大ぶりの茶碗を女性が小さな手で扱っていると、なんだかおちつかない感じがします。
ひいらぎ様
まだそこまでいきませんが、とりあえず美味しく煎茶、玉露を煎れられるようになりたいものです。
涼炉があれば、あとの道具はなんとか見立てでいけそうなんですが、あれ買うともうしまう場所がぁ〜〜〜┌┤´д`├┐
涼炉があれば、あとの道具はなんとか見立てでいけそうなんですが、あれ買うともうしまう場所がぁ〜〜〜┌┤´д`├┐
高兄様
わ〜い、高兄様にほめられた〜 d(⌒o⌒)b♪
、、、といってもカメラを接写モードにすると勝手に良い感じにボケてくれるんですけれどね。
風景よりもこっちの方が私にはあっているかもです。
冒頭の花は正月の残花をよせあつめたものを投げ入れたのですが、それなりにかっこうがついたので、うれしかったです。
、、、といってもカメラを接写モードにすると勝手に良い感じにボケてくれるんですけれどね。
風景よりもこっちの方が私にはあっているかもです。
冒頭の花は正月の残花をよせあつめたものを投げ入れたのですが、それなりにかっこうがついたので、うれしかったです。
不思議な縁を感じてお目見えします、お初です。年末から初めていろいろお茶関係の記事を見、しぇるさまの処にかってに安住してます。88歳までお茶を教えていた母が亡くなり、ほとんど手ほどきを受けてこなかったことに、はたと気が付き、遅まきながらエンジンをかけ始めています。お茶の世界は奥深すぎて・・・・と、とりあえず、美味しいお茶が飲みたいと、某お茶屋の入れ方レッスンに一昨日行って来たところ、しぇるさまのお煎茶記事!眠っていたお煎茶道具を取り出し、使ってみることに・
教わったようにしても、玉露のあの馥郁たる香り、甘みにはほど遠い・・・・ おっこ
教わったようにしても、玉露のあの馥郁たる香り、甘みにはほど遠い・・・・ おっこ
Re: おっこ様
> はじめまして。初コメントありがとうございます。
> お母様は88歳までお元気にお茶をおしえておられたのですね。しゃんとして長生きができるのはお茶人さんに多いような気がします。これもお茶の功徳でしょうか。
> 口ではえらそうなことを言っていますが、お茶の道ではまだまだ未熟者、と思い知る日々です。でも残された時間はまだあります。ぼちぼち精進いたしましょう。ごいっしょに。
> 茶の道にゴールはありませんから。
> お母様は88歳までお元気にお茶をおしえておられたのですね。しゃんとして長生きができるのはお茶人さんに多いような気がします。これもお茶の功徳でしょうか。
> 口ではえらそうなことを言っていますが、お茶の道ではまだまだ未熟者、と思い知る日々です。でも残された時間はまだあります。ぼちぼち精進いたしましょう。ごいっしょに。
> 茶の道にゴールはありませんから。
お煎茶を始められたのですね!
実はひそかにお煎茶席にもお招きしたいな、なんて思っていました。
お煎茶の流派には、唐物のお道具を主に使われるところと、京焼きを使われるところがありますね。
使われるお道具によって、精神、主張、表現に流派の個性が表れているような気がします。
実はひそかにお煎茶席にもお招きしたいな、なんて思っていました。
お煎茶の流派には、唐物のお道具を主に使われるところと、京焼きを使われるところがありますね。
使われるお道具によって、精神、主張、表現に流派の個性が表れているような気がします。
みーこ様
煎茶にも唐物があるんですか?
びっくりw( ̄o ̄;)w
いまだ煎茶道は習い始めて日が浅く、右も左もわかりません。
でもなんとか飲む方はちょっとサマになってきたかな(^w^)
びっくりw( ̄o ̄;)w
いまだ煎茶道は習い始めて日が浅く、右も左もわかりません。
でもなんとか飲む方はちょっとサマになってきたかな(^w^)
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鍵コメ様
同じ物かどうかわかりませんが、私のは籐製のようですよ。
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お道具がみんな小さくてほんとに可愛いですよね。失礼な例えかもしれませんがまま事してるみたいな感じでした。でもお茶は美味しかったなぁ、たしかに。