漆作家をたずねて - 2014.07.29 Tue
先日は近代美術館にて京都和菓子の会、そのタイトルも「漆へのオマージュ」さらに、美術館の「うるしの近代」展をみて、改めて漆器工芸へのわが「愛」を確認いたした時も時、かねてよりお願いしていた洛中在住の若手漆作家岩渕祐二さんの工房訪問が実現しました。

お茶の心得も造詣も深い岩渕さんはまず、われわれを和菓子「水牡丹」と手づから塗られた菓子皿、お薄でお迎えくださいました。やはりのぞむらくは日ごろ茶道具を手に取り扱っておられる方に漆の茶道具は作ってほしいものですから、うれしかったです。
岩渕さんのご師匠は塗師・表派の作家さんで、私所持しています、彼の蒔絵平棗。おなじテーマの棗を展示会で2つ並べてみて、こちらがいい!と気に入ったものでしたので、そのお弟子さんとなるときっと感性が合うにちがいない。このご師匠は塗も蒔絵も全部自分でされる方なので岩渕さんももちろん。
まずは完成作品や、漆の下塗りまでのもの、木地だけのものなどいろいろ見せていただく。木地は木地師にお願いするわけですが、その際実にこまかい設計図といおうか、指示をだされるそうです。注文があれば変形水指の蓋だろうが、アヴァンギャルドな薄器だろうが、なんでも作れるというわけですね((・∀・)☆ニヤリ)
しかし、彼の真骨頂は真塗り棗にあるのかもしれません。真塗りの中棗、、、なんてお稽古の時にさんざん使っているし、よほどの茶人所持の来歴のあるものでなければ茶会などでもあまりに地味すぎて使われることもない。けれどさらに茶の道を深めるとまた真塗り棗に回帰するという話もききます。(私はそこまで全然いってない)真塗りは職人の技の善し悪しが明らかにでるといいますし。
ぱっと見に「棗」としてしか認識していなかった棗、底の湾曲の角度、本体に対しての比率、蓋の盛り上がりの角度、高さ直径の比率など、ちょっとしたことで実は全然印象がかわることを教えていただき目からウロコでした。その木地の段階からのこだわりにはすごいものがあり、薄器拝見の時あだやおろそかにちゃっちゃと見てはイケナイ、、との思いを深くしました。自分自身でそういう注文をつけるほど、目が肥えていないので、お願いするときはお任せするしかないのですが。
木地の蓋を日に透かして見るとむこうが透けて見えるくらい薄い。木地師の職人技もまたすごい。
そうしてできあがった木地も下塗りの段階で思うとおりにできあがらず、破棄してしまうものも多いとか。もったいないけれど、そこは作品を世に出す作家となればのこだわりですね。
中次なんかは開化堂の茶筒みたいに蓋をのせるとす〜っと閉まるまでに数秒かかる密閉度の高さ。これにおどろいていると、茶器としてはそれではだめだと。茶席で亭主が茶をいれて蓋をしめるときに時間がかかりすぎては点前の流れをとめてしまう、とおっしゃる。さすが、やはりご自分でお茶をされている方ゆえのお言葉、なるほどな〜。(って、あんた何年お茶やってんねん、と自分にツッコミをいれておく)
蒔絵もこういうイメージで、とか具体的にこの柄で、とか注文もうけてくださる。いくつかの特注品をみせてもらうが、輪郭のにじんだような蒔絵の三光棗(蓋に日光、月光、蓋裏に星光)がとてもすてきでした(*≧∀≦*)☆
数寄者ご特注の風炉板など、風炉板でこんなにあそべるのか!とびっくりするような作品も。
さらにお椀の欠けから割れた陶器の繕いまでなんでもこなしてくださるそうです。ご一緒していただいた茶友さんは茶道具の繕いや、一閑張の盆の繕いをお頼みされた。
昨年は、私も行った根津美術館の井戸茶碗展も行かれたそうで、造型に対しては漆器に限らず陶芸に対しても熱心にお勉強されているご様子。ご友人の陶芸家さんのお茶碗なども見せていただき、これはこうだ、とかああだとか、茶碗談義にも花が咲く。楽しい。
さらに二階の工房も拝見。われわれのために念のため、2日間漆の作業はされていないとのこと。かたじけない。(昨年は金繕いを自分で敢行して、みごとかぶれてえらいことになった私です)工房も狭いながらすごくきれいに整頓されていてびっくり。実は父がしろうとながら漆塗をやっていて(お買い上げくださる奇特な人もおられるんだとか)、元応接間がいまでは漆工房になってしまって母の怒りをかっているのですが、どこになにがあるのかわからない混沌状態で、そのイメージでいたら、さすがプロは全くちがいます。
漆を固める室(漆は湿気でかたまるんですよ)も拝見。たくさんの制作中の作品がつまっていました。漆塗には布着せ、下塗り、中塗り、研ぎなどほんとうにたくさんの工程があって、固めるのにも時間がかかるので同時並行で少しずつずらしながら作品をつくることができるのですね。一閑張ももちろんおできになるので、オーダーのヴァリエーションはさまざま。
というわけで、中次薄器、オーダーいたしました。え〜、、、まだまだ真塗り棗まで回帰していないので自分がもっているイメージの蒔絵もお願い。
中次の場合、蓋は実はすこしふくらませないとへこんで見えることや、胴も微妙なふくらみをもたせないとすぼんで見えることなど初めてしりました。でもあとは岩渕さんの感性を信じておまかせです。木地からの作成なので、完成は約1年後、その時期にちょうど使える薄器なのでいずれご披露いたします。楽しみ〜!!
ちなみに彼は1年前、雑誌「淡交」でもとりあげられた新進気鋭なので、将来お忙しくなることと思います。お願いするなら今ですぜ。(^_^)b 私としてはいい漆職人を手に入れました。うしししし、、、、(^艸^)

お茶の心得も造詣も深い岩渕さんはまず、われわれを和菓子「水牡丹」と手づから塗られた菓子皿、お薄でお迎えくださいました。やはりのぞむらくは日ごろ茶道具を手に取り扱っておられる方に漆の茶道具は作ってほしいものですから、うれしかったです。
岩渕さんのご師匠は塗師・表派の作家さんで、私所持しています、彼の蒔絵平棗。おなじテーマの棗を展示会で2つ並べてみて、こちらがいい!と気に入ったものでしたので、そのお弟子さんとなるときっと感性が合うにちがいない。このご師匠は塗も蒔絵も全部自分でされる方なので岩渕さんももちろん。
まずは完成作品や、漆の下塗りまでのもの、木地だけのものなどいろいろ見せていただく。木地は木地師にお願いするわけですが、その際実にこまかい設計図といおうか、指示をだされるそうです。注文があれば変形水指の蓋だろうが、アヴァンギャルドな薄器だろうが、なんでも作れるというわけですね((・∀・)☆ニヤリ)
しかし、彼の真骨頂は真塗り棗にあるのかもしれません。真塗りの中棗、、、なんてお稽古の時にさんざん使っているし、よほどの茶人所持の来歴のあるものでなければ茶会などでもあまりに地味すぎて使われることもない。けれどさらに茶の道を深めるとまた真塗り棗に回帰するという話もききます。(私はそこまで全然いってない)真塗りは職人の技の善し悪しが明らかにでるといいますし。
ぱっと見に「棗」としてしか認識していなかった棗、底の湾曲の角度、本体に対しての比率、蓋の盛り上がりの角度、高さ直径の比率など、ちょっとしたことで実は全然印象がかわることを教えていただき目からウロコでした。その木地の段階からのこだわりにはすごいものがあり、薄器拝見の時あだやおろそかにちゃっちゃと見てはイケナイ、、との思いを深くしました。自分自身でそういう注文をつけるほど、目が肥えていないので、お願いするときはお任せするしかないのですが。
木地の蓋を日に透かして見るとむこうが透けて見えるくらい薄い。木地師の職人技もまたすごい。
そうしてできあがった木地も下塗りの段階で思うとおりにできあがらず、破棄してしまうものも多いとか。もったいないけれど、そこは作品を世に出す作家となればのこだわりですね。
中次なんかは開化堂の茶筒みたいに蓋をのせるとす〜っと閉まるまでに数秒かかる密閉度の高さ。これにおどろいていると、茶器としてはそれではだめだと。茶席で亭主が茶をいれて蓋をしめるときに時間がかかりすぎては点前の流れをとめてしまう、とおっしゃる。さすが、やはりご自分でお茶をされている方ゆえのお言葉、なるほどな〜。(って、あんた何年お茶やってんねん、と自分にツッコミをいれておく)
蒔絵もこういうイメージで、とか具体的にこの柄で、とか注文もうけてくださる。いくつかの特注品をみせてもらうが、輪郭のにじんだような蒔絵の三光棗(蓋に日光、月光、蓋裏に星光)がとてもすてきでした(*≧∀≦*)☆
数寄者ご特注の風炉板など、風炉板でこんなにあそべるのか!とびっくりするような作品も。
さらにお椀の欠けから割れた陶器の繕いまでなんでもこなしてくださるそうです。ご一緒していただいた茶友さんは茶道具の繕いや、一閑張の盆の繕いをお頼みされた。
昨年は、私も行った根津美術館の井戸茶碗展も行かれたそうで、造型に対しては漆器に限らず陶芸に対しても熱心にお勉強されているご様子。ご友人の陶芸家さんのお茶碗なども見せていただき、これはこうだ、とかああだとか、茶碗談義にも花が咲く。楽しい。
さらに二階の工房も拝見。われわれのために念のため、2日間漆の作業はされていないとのこと。かたじけない。(昨年は金繕いを自分で敢行して、みごとかぶれてえらいことになった私です)工房も狭いながらすごくきれいに整頓されていてびっくり。実は父がしろうとながら漆塗をやっていて(お買い上げくださる奇特な人もおられるんだとか)、元応接間がいまでは漆工房になってしまって母の怒りをかっているのですが、どこになにがあるのかわからない混沌状態で、そのイメージでいたら、さすがプロは全くちがいます。
漆を固める室(漆は湿気でかたまるんですよ)も拝見。たくさんの制作中の作品がつまっていました。漆塗には布着せ、下塗り、中塗り、研ぎなどほんとうにたくさんの工程があって、固めるのにも時間がかかるので同時並行で少しずつずらしながら作品をつくることができるのですね。一閑張ももちろんおできになるので、オーダーのヴァリエーションはさまざま。
というわけで、中次薄器、オーダーいたしました。え〜、、、まだまだ真塗り棗まで回帰していないので自分がもっているイメージの蒔絵もお願い。
中次の場合、蓋は実はすこしふくらませないとへこんで見えることや、胴も微妙なふくらみをもたせないとすぼんで見えることなど初めてしりました。でもあとは岩渕さんの感性を信じておまかせです。木地からの作成なので、完成は約1年後、その時期にちょうど使える薄器なのでいずれご披露いたします。楽しみ〜!!
ちなみに彼は1年前、雑誌「淡交」でもとりあげられた新進気鋭なので、将来お忙しくなることと思います。お願いするなら今ですぜ。(^_^)b 私としてはいい漆職人を手に入れました。うしししし、、、、(^艸^)
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● COMMENT ●
ひいらぎ様
今回2日間、漆を使われなかったのはわれわれが万一かぶれてはいけない、というご配慮でした。
もちろん埃は厳禁ですけどね。
それにしても俳優勝村政信さんに似た男前だこと。この点大事(?!)(^_^;
もちろん埃は厳禁ですけどね。
それにしても俳優勝村政信さんに似た男前だこと。この点大事(?!)(^_^;
岩渕さんのお師匠さんのは、あの春の季節の平棗ですか。
私は山中塗をじっくり見学したことがあるのですが、工程ごとの分業体制で、厳しい現場に驚きました。京都の作家さんの工房はまた様子が違うのでしょうね。来年、中次を拝見するのが楽しみです。
私は山中塗をじっくり見学したことがあるのですが、工程ごとの分業体制で、厳しい現場に驚きました。京都の作家さんの工房はまた様子が違うのでしょうね。来年、中次を拝見するのが楽しみです。
そらいろつばめ様
そうです。あの平棗!
師弟関係であることはこのとき初めて知ったのですが、ご縁を感じました。
漆器は分業が多いのですが。最近の若い作家さんはなかには木地まで自分で作ってしまう人もおられるらしいです。
はい、お披露目の日を楽しみに!
師弟関係であることはこのとき初めて知ったのですが、ご縁を感じました。
漆器は分業が多いのですが。最近の若い作家さんはなかには木地まで自分で作ってしまう人もおられるらしいです。
はい、お披露目の日を楽しみに!
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茶友さんが以前 素敵な棗を頼まれて披露されました。いいなあ。
いいものを作られる作家さんですから応援して下さいね。
塗りには埃が厳禁ですから 行かれたら なさらないと思います。
私も以前 知っている先生宅に伺ったときには 埃がたつからと工房は拝見できませんでした。