寛次郎の器でお茶を楽しむ会〜河井寛次郎記念館 - 2014.11.08 Sat
15日まで焼きものの町、五条坂〜茶わん坂界隈で「わん碗ONE展」やってます。もっと焼きものの町を知ってもらおうと始めて今年で3年目だそうですよ。

その中のイベントのひとつ、河井寛次郎記念館でおこなわれた「寛次郎の器でお茶を楽しむ会」にいってきました。(Mちゃん、ここでも情報ありがと〜!)

この記念館の看板の文字は棟方志功、作ったのは黒田辰秋(木工の人間国宝)さん。
数えてみたらここに最初にお邪魔したのが7年前だった。まだ京都移住前で、家を建てるのにこんな民藝風な数寄屋風な家、ほしいな、参考にしよう、というので訪れたのです。(まあ、我が家とはレベルも規模も全然ちがうけど、、^_^; )

ほんとにいつ来ても落ち着く家です。もちろん寛次郎設計。島根県安来町出身だった寛次郎さんの実家は大工の棟梁だったので、施工はやはり棟梁だった兄上。

この囲炉裏のまわりが一家の団らんの場所だったそうで、左手の黒い人形がいるあたりが一家の長である寛次郎さんの定座だったそうです。

と、そんなお話しをしてくださるのは本日のご亭主、寛次郎の娘須也子さんのお嬢さん(寛次郎の孫ね)でこの記念館の学芸員の鷺 珠江さん。実際このお家に住んでおられたので、家のあちこちに想い出があるとか。
例えば今回の茶会の行われる左手のテーブル、ここで子供の頃は卓球をされてたそうな(^◇^;)

茶会の前に家の中探訪。ほんとにいいお家で、(掃除のたいへんさをのぞけば)ここで暮らしてみたいと思わずにはいられない。ここは寛次郎さんの作品のいくつかを展示してあるコーナー。愛用されていたハットもありますね。

寛次郎愛用の登り窯。もともとこの登り窯を手に入れたことでこの土地に家を建てたのだ。今でもこの周辺は家の中の聖域。

焼成室の一室をのぞいてみた。かつて火がたかれると1000度を超える温度になり、冷ます間にピーンピーンという貫入のはいる音がしたのだろうな。

寛次郎の作業場もそのまま残されている。ここもまた聖域。

二階の座敷。
焼物の腕についてはすでに定評のあった彼が、柳宗悦、濱田庄司らと出会い、李朝陶磁や英国のスリップウエアに衝撃を受け、作風を変えて「用の美」を追究してやがて民藝の中心人物になっていく。さらにその後民藝を突き抜けた境地にまでいった足跡は、3年前の高島屋でひらかれた「生誕120年展」で追わせてもらいました。

焼物だけでなく、木工や,金工も日常使う物としてがんがん作った寛次郎さん。今回の茶会では鷺さんの語る家庭人としてのエピソードも聞くことができて、彼がより身近な存在になったような気がします。

さて、お茶会はすべて寛次郎作品を使って。まあ、なんという贅沢。かつて寛次郎の茶わんを買おうとして、値段を見てすごすごと帰った私には夢のような、、、(^◇^)
みてみて!この茶わんの数々!この中から2つ選んで鷺さんに点てていただく。

寛次郎の故郷、島根は松平不昧公のお膝元でもあるので、ほんとうにお茶が盛んらしい。一般家庭ではどこでも茶道具一式をしこんだ箱をだしてきては、ことあるごとに気軽に抹茶を点てるのだそうな。だからいまでも煎茶ではなく抹茶、あるいは番茶なんですって。

だから河井家のお茶はこんな気軽なお茶なんです、、と鷺さん。われわれが選んだ茶わん一つ一つについて解説されながら、また寛次郎のエピソードを語りながら、丁寧にひとりずつたててくださる。

この寛次郎のお皿に入ったお菓子は松江の三英堂さんの「日の出前」。なんとなれば寛次郎先生の命名だそうですよ。摺り琥珀と羊羹の間くらいのお菓子で上品でおいしかった。

最初に選んだ茶わんはいかにも「ザ・寛次郎」というお茶碗。たたきつけられた赤・緑・黒の釉薬が特徴。私が値段にびびって回れ右したお茶碗もこんな感じだったので、ここでかたきをとる(?)

抹茶茶碗のここに緑をもってくるか。そして効いてるなあ、この緑。寛次郎は釉薬作りに天才的だったので、一時は五代清水六兵衛の釉薬顧問のようなこともしていたらしい。

二碗目。これも寛次郎のよく使うモチーフの花の絵が描かれた茶碗。いつも思うがこの花はなんの花なんだろう。蘭のようにも見える。

もし持って帰るとしたらどの作品?と皆がたずねられて、私はこれだな、、と。ごついけれど、これでお茶をのんだらうまそうだ。それにやっぱり赤・緑・黒の寛次郎トリコロール。

お茶の先生方は、民藝の茶碗はお茶にはちょっとね、使いにくいわね、とおっしゃる方が多いとか。確かに侘びた井戸茶碗や古萩のイメージと比べるとプリミティブアートすぎるけれど、それひとつで主人公にもなり、より気軽に心やすく使えるところがいいのじゃないかしら。
この菓子器にのっているのは御池煎餅、これもあの丸い煎餅の缶のラベルが寛次郎デザインだからですよ。知ってた?(←失礼しました。まちがえてた)デザイン by 民藝とゆかりのある棟方志功。(そういえば十二段屋の話がでたんだった)

寛次郎は30回も見合いを断った後、10歳以上も年下のつねさんと結婚するのですが、この方が実によくできた方だったそうで、寛次郎のお手柄の1つ、とは孫の鷺さんの弁。

この壺は普通ならガラス窓の向こうにあるもの。筒描きで土手をつくり彩色する、これも寛次郎独特の技法。さわりまくりましたで\(^O^)/
大戦中は窯に火が入れられなくなり、その間彼は書くことで自らを表現し、随筆「いのちの窓」に珠玉の言葉がならぶ。
新しい自分が見たいのだー仕事する
おどろいている自分におどろいている自分
この世は自分をさがしにきたところー居たか、居たか この世は自分をみにきたところ
この世このまま大調和
なんといふ今だ 今こそ永遠
暮らしが仕事 仕事が暮らし

(お茶会の〆は抹茶の次に安来でよくのまれる番茶。もちろん湯飲みの寛次郎作。)
こういう言葉は明け方とか、寝ているときに思いつくようで、枕元のノートにメモし、そして朝食のテーブルで「ゆうべはこんな言葉が降りてきたよ。」と家族に披露していたのだそうです。う〜む、ひとつひとつが深い、、、
安来では寛次郎さんは焼いた作品をどんどん近所の人にあげていたそうで、もらった人たちも気楽に日常に使っており、今でも家庭で寛次郎作品普通に使っているお家もあるんだって。まあぁ〜〜!(ウラヤマシイ)値段を見てひきさがったアレはなんだったの?!

この家の新築祝いに柳宗悦から送られた時計がボーンボーンと柔らかく時を告げ、楽しい茶会のお開きを知らせる。今もまだ現役のネジ巻き式。時を刻む音がノスタルジーをかきたてるわね。

今でも尊敬する寛次郎さんだが、鷺さんのお話しに少しだけ、身近に方に思えたひとときでありました。
「これまでの茶は出来上がっちまったんです。われわれがやる茶はこれから出来上がらぬ茶をやる。そんな茶をやりたい。」
1955年、柳宗悦が催した第1回民藝茶会は当時の茶の湯界へのアンチテーゼであったことを思えば、この言葉は納得できるわ。

その中のイベントのひとつ、河井寛次郎記念館でおこなわれた「寛次郎の器でお茶を楽しむ会」にいってきました。(Mちゃん、ここでも情報ありがと〜!)

この記念館の看板の文字は棟方志功、作ったのは黒田辰秋(木工の人間国宝)さん。
数えてみたらここに最初にお邪魔したのが7年前だった。まだ京都移住前で、家を建てるのにこんな民藝風な数寄屋風な家、ほしいな、参考にしよう、というので訪れたのです。(まあ、我が家とはレベルも規模も全然ちがうけど、、^_^; )

ほんとにいつ来ても落ち着く家です。もちろん寛次郎設計。島根県安来町出身だった寛次郎さんの実家は大工の棟梁だったので、施工はやはり棟梁だった兄上。

この囲炉裏のまわりが一家の団らんの場所だったそうで、左手の黒い人形がいるあたりが一家の長である寛次郎さんの定座だったそうです。

と、そんなお話しをしてくださるのは本日のご亭主、寛次郎の娘須也子さんのお嬢さん(寛次郎の孫ね)でこの記念館の学芸員の鷺 珠江さん。実際このお家に住んでおられたので、家のあちこちに想い出があるとか。
例えば今回の茶会の行われる左手のテーブル、ここで子供の頃は卓球をされてたそうな(^◇^;)

茶会の前に家の中探訪。ほんとにいいお家で、(掃除のたいへんさをのぞけば)ここで暮らしてみたいと思わずにはいられない。ここは寛次郎さんの作品のいくつかを展示してあるコーナー。愛用されていたハットもありますね。

寛次郎愛用の登り窯。もともとこの登り窯を手に入れたことでこの土地に家を建てたのだ。今でもこの周辺は家の中の聖域。

焼成室の一室をのぞいてみた。かつて火がたかれると1000度を超える温度になり、冷ます間にピーンピーンという貫入のはいる音がしたのだろうな。

寛次郎の作業場もそのまま残されている。ここもまた聖域。

二階の座敷。
焼物の腕についてはすでに定評のあった彼が、柳宗悦、濱田庄司らと出会い、李朝陶磁や英国のスリップウエアに衝撃を受け、作風を変えて「用の美」を追究してやがて民藝の中心人物になっていく。さらにその後民藝を突き抜けた境地にまでいった足跡は、3年前の高島屋でひらかれた「生誕120年展」で追わせてもらいました。

焼物だけでなく、木工や,金工も日常使う物としてがんがん作った寛次郎さん。今回の茶会では鷺さんの語る家庭人としてのエピソードも聞くことができて、彼がより身近な存在になったような気がします。

さて、お茶会はすべて寛次郎作品を使って。まあ、なんという贅沢。かつて寛次郎の茶わんを買おうとして、値段を見てすごすごと帰った私には夢のような、、、(^◇^)
みてみて!この茶わんの数々!この中から2つ選んで鷺さんに点てていただく。

寛次郎の故郷、島根は松平不昧公のお膝元でもあるので、ほんとうにお茶が盛んらしい。一般家庭ではどこでも茶道具一式をしこんだ箱をだしてきては、ことあるごとに気軽に抹茶を点てるのだそうな。だからいまでも煎茶ではなく抹茶、あるいは番茶なんですって。

だから河井家のお茶はこんな気軽なお茶なんです、、と鷺さん。われわれが選んだ茶わん一つ一つについて解説されながら、また寛次郎のエピソードを語りながら、丁寧にひとりずつたててくださる。

この寛次郎のお皿に入ったお菓子は松江の三英堂さんの「日の出前」。なんとなれば寛次郎先生の命名だそうですよ。摺り琥珀と羊羹の間くらいのお菓子で上品でおいしかった。

最初に選んだ茶わんはいかにも「ザ・寛次郎」というお茶碗。たたきつけられた赤・緑・黒の釉薬が特徴。私が値段にびびって回れ右したお茶碗もこんな感じだったので、ここでかたきをとる(?)

抹茶茶碗のここに緑をもってくるか。そして効いてるなあ、この緑。寛次郎は釉薬作りに天才的だったので、一時は五代清水六兵衛の釉薬顧問のようなこともしていたらしい。

二碗目。これも寛次郎のよく使うモチーフの花の絵が描かれた茶碗。いつも思うがこの花はなんの花なんだろう。蘭のようにも見える。

もし持って帰るとしたらどの作品?と皆がたずねられて、私はこれだな、、と。ごついけれど、これでお茶をのんだらうまそうだ。それにやっぱり赤・緑・黒の寛次郎トリコロール。

お茶の先生方は、民藝の茶碗はお茶にはちょっとね、使いにくいわね、とおっしゃる方が多いとか。確かに侘びた井戸茶碗や古萩のイメージと比べるとプリミティブアートすぎるけれど、それひとつで主人公にもなり、より気軽に心やすく使えるところがいいのじゃないかしら。
この菓子器にのっているのは御池煎餅、

寛次郎は30回も見合いを断った後、10歳以上も年下のつねさんと結婚するのですが、この方が実によくできた方だったそうで、寛次郎のお手柄の1つ、とは孫の鷺さんの弁。

この壺は普通ならガラス窓の向こうにあるもの。筒描きで土手をつくり彩色する、これも寛次郎独特の技法。さわりまくりましたで\(^O^)/
大戦中は窯に火が入れられなくなり、その間彼は書くことで自らを表現し、随筆「いのちの窓」に珠玉の言葉がならぶ。
新しい自分が見たいのだー仕事する
おどろいている自分におどろいている自分
この世は自分をさがしにきたところー居たか、居たか この世は自分をみにきたところ
この世このまま大調和
なんといふ今だ 今こそ永遠
暮らしが仕事 仕事が暮らし

(お茶会の〆は抹茶の次に安来でよくのまれる番茶。もちろん湯飲みの寛次郎作。)
こういう言葉は明け方とか、寝ているときに思いつくようで、枕元のノートにメモし、そして朝食のテーブルで「ゆうべはこんな言葉が降りてきたよ。」と家族に披露していたのだそうです。う〜む、ひとつひとつが深い、、、
安来では寛次郎さんは焼いた作品をどんどん近所の人にあげていたそうで、もらった人たちも気楽に日常に使っており、今でも家庭で寛次郎作品普通に使っているお家もあるんだって。まあぁ〜〜!(ウラヤマシイ)値段を見てひきさがったアレはなんだったの?!

この家の新築祝いに柳宗悦から送られた時計がボーンボーンと柔らかく時を告げ、楽しい茶会のお開きを知らせる。今もまだ現役のネジ巻き式。時を刻む音がノスタルジーをかきたてるわね。

今でも尊敬する寛次郎さんだが、鷺さんのお話しに少しだけ、身近に方に思えたひとときでありました。
「これまでの茶は出来上がっちまったんです。われわれがやる茶はこれから出来上がらぬ茶をやる。そんな茶をやりたい。」
1955年、柳宗悦が催した第1回民藝茶会は当時の茶の湯界へのアンチテーゼであったことを思えば、この言葉は納得できるわ。
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● COMMENT ●
手元にある御池煎餅の缶を見ると「棟」とあるので、デザインは棟方志功ではないのでしょうか。それとも河井寛次郎デザインのものも別にあるとか?
通りすがり様
ご指摘ありがとうございます。勘違いしてました(^_^;
訂正いたしました。
訂正いたしました。
しぇるさん、こんにちは
この記念館
いついっても落ち着きますね
私なんか、もう、黒田氏の看板だけで痺れてしまう><
この記念館
いついっても落ち着きますね
私なんか、もう、黒田氏の看板だけで痺れてしまう><
高兄様
3年前、高島屋で寛次郎展があったときのブログを読み直していたら、記念館がお好き、という高兄さまのコメントを発見!ほんとここがお好きなのがよくわかります(^o^)
法人化せずご家族でやっておられるのがまた良いですね!
法人化せずご家族でやっておられるのがまた良いですね!
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たしか昨年、菊池寛実記念智美術館であった名碗展で一番欲しいと思ったのが寛次郎の茶碗でした。
ただいつも思うのは、寛次郎が民藝に出会わなかったならもっと優れたものを焼いたのでは、ということです。たぶん勘違いだろうけれど…。
ただいつも思うのは、寛次郎が民藝に出会わなかったならもっと優れたものを焼いたのでは、ということです。たぶん勘違いだろうけれど…。
初めまして。勝手にいつもブログを見せていただいております。京都大好きオバハンです。しぇる様が引っ越しされる以前からのファンですので「一度ご挨拶をしなければ」と思いコメントさせていただきます。関東圏に住んでいるのでちょくちょく京都に行かれないのがネックですが、ブログを読んでいると行った(住んでいる)気分になるので、楽しみです。よろしくお願いいたします。ちなみに私のブログです。http://trsk-rdl.blog.so-net.ne.jp
relax様
その高島屋での生誕120年展で、初期から晩年までの作品をおいかけていって、最後の方は民藝を越えたな、と思いましたよ。どんな作風に変わったかは、はっきり覚えていないけれど(^_^;越えた!というイメージは残っています。
寛次郎の茶碗、同席した美術商関係の方のお話では、私がびっくりしたのよりはもっとお求めやすいお値段ですよ、とのことでした。
寛次郎の茶碗、同席した美術商関係の方のお話では、私がびっくりしたのよりはもっとお求めやすいお値段ですよ、とのことでした。
ラガブリコ様
そんなに前からお読みいただけているとは感激です。
ありがとうございます(^-^)
今は茶道と京都めぐりが半々のブログになってまして、もうちょっと京都めぐりも書きたいのですが、いかんせん、平日はどうにもこうにも、京都歩きはできず、、、
また京都においでになるときのちょっとでもご参考になればうれしいです。
ブログも拝見しました。亡くなられたお母上のお写真の姿が私の母の姿に重なりました。ありがたいことにまだなんとか元気ですが外では車椅子です。お母上のご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございます(^-^)
今は茶道と京都めぐりが半々のブログになってまして、もうちょっと京都めぐりも書きたいのですが、いかんせん、平日はどうにもこうにも、京都歩きはできず、、、
また京都においでになるときのちょっとでもご参考になればうれしいです。
ブログも拝見しました。亡くなられたお母上のお写真の姿が私の母の姿に重なりました。ありがたいことにまだなんとか元気ですが外では車椅子です。お母上のご冥福をお祈りいたします。
こんなイベントがあっていたなんてしりませんでした。行きたかった!残念。来年もあるのかしら?それなら来年こそは行ってみたいです。「暮しが仕事 仕事暮らし」以前、記念館に行ったとき知った言葉の数々に感心したのを覚えています。最近引っ越しをしました。京都市内から、市内ですが、京都は広く、まだまだ知らないところばかりで、こちらのブログでいろいろ教えていただこうと思います。
弥生様
コメントありがとうございます。
今年3回目なのできっと4回目、5回目、、、もあるはずです!
来年の11月、要チェックですよ。私も来年もまた行きたいな。
京都市内は京都人より観光客の方がよく知っています。なので「京都に住んでる」観光客の私としては、いろいろ情報をご提供したいとは思いますが、イベント終わった後で、、、になりがち、、、ごめんなさいm(__)m
今年3回目なのできっと4回目、5回目、、、もあるはずです!
来年の11月、要チェックですよ。私も来年もまた行きたいな。
京都市内は京都人より観光客の方がよく知っています。なので「京都に住んでる」観光客の私としては、いろいろ情報をご提供したいとは思いますが、イベント終わった後で、、、になりがち、、、ごめんなさいm(__)m
こんばんは、しぇる様
まぁ!こちらでこのような催しがございましたのですね~!
存じませんでした。来年開催されるのを期待しまして。
島根に参りました際足立美術館でや、こちらでの作品が、ガラスの向こうにあるのでは、なくたなごころにというのが、贅沢ですぅ~。
実際にお薄が入った様子を拝見できるのも、しぇる様のお蔭さまでございます。
先日、義両親が京都に来てくれた際、私のお気に入りのところですと(鳥獣戯画展が180分待ちでしたので・・・)案内しました。
まぁ!こちらでこのような催しがございましたのですね~!
存じませんでした。来年開催されるのを期待しまして。
島根に参りました際足立美術館でや、こちらでの作品が、ガラスの向こうにあるのでは、なくたなごころにというのが、贅沢ですぅ~。
実際にお薄が入った様子を拝見できるのも、しぇる様のお蔭さまでございます。
先日、義両親が京都に来てくれた際、私のお気に入りのところですと(鳥獣戯画展が180分待ちでしたので・・・)案内しました。
いけこ様
お久しゅうございます〜(^-^)
お元気そうでなによりです。(その後お茶の方はいかがですか?)
こちらはいけこ様の母校のお近くなので、お気に入りの場所、というのもうなづけます。(それにしても鳥獣戯画展えらいことになってますね。おそれをなして行ってません)
寛次郎さんは用の美をめざしたのにも関わらず、日常使いできないくらい(芸術性において)高いところまでいってしまったのは、なんとも皮肉だとつねづね思っていました。ほんとうはこの茶会みたいに使って使って愛でてみたいです。
来年もきっとあると思うので「わん碗ONE展」、要チェックです!
お元気そうでなによりです。(その後お茶の方はいかがですか?)
こちらはいけこ様の母校のお近くなので、お気に入りの場所、というのもうなづけます。(それにしても鳥獣戯画展えらいことになってますね。おそれをなして行ってません)
寛次郎さんは用の美をめざしたのにも関わらず、日常使いできないくらい(芸術性において)高いところまでいってしまったのは、なんとも皮肉だとつねづね思っていました。ほんとうはこの茶会みたいに使って使って愛でてみたいです。
来年もきっとあると思うので「わん碗ONE展」、要チェックです!
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