修二会2015・その2〜お水取り - 2015.03.14 Sat
仮眠をとったあと、11時半ごろ宿を出て、ふたたび二月堂へ向かう。

東大寺境内、人影はなく気温もさらに下がってきているようだ。

それでも二月堂境内にはいると人の姿がチラホラと増えてきた。
ご香水(こうずい)をくみ上げる若狭井を容れる閼伽井屋。遅参した遠敷明神が約した観音に手向ける水は毎年3月2日、若狭小浜の「鵜の瀬」から送られ、10日かかってここに届くという。若狭ではお水送りがおこなわれ、これもなかなか見応えのある行事らしく、近いうちに是非行って見たいと思う。
ちなみに「東香水講」は河内永久社とともに白丁姿で手松明をかざし警護、かがり火の管理にあたる「講」。(竹、藤蔓、松明などまかなう人たちのそれぞれの集団、観音講)

香水取りの一行が南の石段を下りてくるとき、足元手元を照らすかがり火。

ご一行がおりてこられる予定の南の門周辺。二月堂のシンボル瓜灯籠。時間の午前1時半まで、しばらくあちこちで時間をつぶす。

二月堂の上から閼伽井屋周辺をみおろす。すでに人影がふえてきた。

お堂の外陣のさらに外、東西南北にそれぞれ局といって、女性でも入れるスペースがある。ここにすわってお堂の中の練行衆の影や糊こぼしの造花、積み上げられた餅などを帷越しに見るもよし、差懸の音、鐘の音、音楽的な声明を聞くもまたよし。今年のソロパートの人(役名がわからない、、)はとりわけ良い声をしておられる。おもわず聞き惚れる。

そろそろ閼伽井屋の前にもどってくると、かがり火に火がはいった。さきほどのお松明の時の喧噪がうそみたいに静かだ。

閼伽井屋の前に警護のためスタンバイする講の白丁さん。

雅楽の演奏にのっていよいよお水取りのご一行が階段をおりてこられる。

先頭を行くのは練行衆・咒師(しゅし)を先導する大きな蓮松明。水取衆(練行衆)は6人、それに講社の人たち、童子がつきそう。

閼伽井棚を担った庄駈士(しょうのくし)(写真見えにくいが前後に水をくみ取る閼伽桶に白い布を掛けた物を担いでいる)

たくさんの松明やかがり火でなんとにぎやかな、といいたくなるくらい。ここでもまた修二会は火と水の行事なのだなと思う。

いよいよ閼伽井屋の扉の鍵があけられる。
中へはいることができるのは、咒師と、兜巾・結袈裟山伏姿の堂童子、の3人だけ。水のくみ上げ方は秘儀とされ、咒師以外の練行衆にも秘密、真っ暗な中でおこなわれると聞く。

汲み取る間、他の練行衆は閼伽井屋の外で警護のため立っていて、ときおり行事の進行を内陣にいる練行衆に知らせるため法螺貝をふく。
警護の人たちは松明、かがり火をともし続ける。

くみ上げられた水がお堂に運ばれる。これを三回くりかえす。

その間、蓮松明は横たえられ火をたやさぬよう、見守られる。

少しだけ動画も撮ったので、音と雰囲気が再現できればと思う。(You Tubeでフルスクリーンにするとよく見えるかも)

三回香水がくみ上げられるとご一行はふたたび蓮松明、他の手松明にまもられてお堂に帰っていかれた。
このあとふたたび南の局にはいって達陀をよこからちらっと見る。西の局が正面で一番よくみえるのだが、すでにいっぱいであぶれた。いつかここの場所をキープしよう、と来年以降の課題をまた見つける。
達陀の異形な行はこれまた修二会の華かもしれない。法螺貝の音は耳についてはなれない。達陀については昨年記事に書いたので、ご興味あればどうぞ。

達陀がおわったころ時間は午前3時半。それでも臨時食堂になっている北側の茶所はまだ開いていた。ご年配のご婦人もエプロン姿でがんばっておられる。夜中なので食事ではなく熱いお茶をいただき冷えた体をあたためた。

北回廊階段の下にある練行衆参籠所の前で練行衆の下堂を待つ。

来た来た!回廊階段を走って駆け下りてくる。これは迫力がある。このとき童子たちは「手水(ちょうず)〜、手水〜」と大声でよばわる。「手水にいっているだけだ、すぐもどるぞ」とカラス天狗に知らせるためだとか。カラス天狗は好奇心が強く、お堂を留守にするとはいりこんで行法のマネをする、と言い伝えから。

宿に帰ったらもう4時、朝だな、、、と思いつつ空を見上げれば下弦の月。(あ、丸にしか見えない、、、、)
この日はひだたすら寒い中で待ち続ける「行」をしたような気分だが、またひとつ修二会の課題をクリアしたような満足感でおそい就寝とする。

東大寺境内、人影はなく気温もさらに下がってきているようだ。

それでも二月堂境内にはいると人の姿がチラホラと増えてきた。
ご香水(こうずい)をくみ上げる若狭井を容れる閼伽井屋。遅参した遠敷明神が約した観音に手向ける水は毎年3月2日、若狭小浜の「鵜の瀬」から送られ、10日かかってここに届くという。若狭ではお水送りがおこなわれ、これもなかなか見応えのある行事らしく、近いうちに是非行って見たいと思う。
ちなみに「東香水講」は河内永久社とともに白丁姿で手松明をかざし警護、かがり火の管理にあたる「講」。(竹、藤蔓、松明などまかなう人たちのそれぞれの集団、観音講)

香水取りの一行が南の石段を下りてくるとき、足元手元を照らすかがり火。

ご一行がおりてこられる予定の南の門周辺。二月堂のシンボル瓜灯籠。時間の午前1時半まで、しばらくあちこちで時間をつぶす。

二月堂の上から閼伽井屋周辺をみおろす。すでに人影がふえてきた。

お堂の外陣のさらに外、東西南北にそれぞれ局といって、女性でも入れるスペースがある。ここにすわってお堂の中の練行衆の影や糊こぼしの造花、積み上げられた餅などを帷越しに見るもよし、差懸の音、鐘の音、音楽的な声明を聞くもまたよし。今年のソロパートの人(役名がわからない、、)はとりわけ良い声をしておられる。おもわず聞き惚れる。

そろそろ閼伽井屋の前にもどってくると、かがり火に火がはいった。さきほどのお松明の時の喧噪がうそみたいに静かだ。

閼伽井屋の前に警護のためスタンバイする講の白丁さん。

雅楽の演奏にのっていよいよお水取りのご一行が階段をおりてこられる。

先頭を行くのは練行衆・咒師(しゅし)を先導する大きな蓮松明。水取衆(練行衆)は6人、それに講社の人たち、童子がつきそう。

閼伽井棚を担った庄駈士(しょうのくし)(写真見えにくいが前後に水をくみ取る閼伽桶に白い布を掛けた物を担いでいる)

たくさんの松明やかがり火でなんとにぎやかな、といいたくなるくらい。ここでもまた修二会は火と水の行事なのだなと思う。

いよいよ閼伽井屋の扉の鍵があけられる。
中へはいることができるのは、咒師と、兜巾・結袈裟山伏姿の堂童子、の3人だけ。水のくみ上げ方は秘儀とされ、咒師以外の練行衆にも秘密、真っ暗な中でおこなわれると聞く。

汲み取る間、他の練行衆は閼伽井屋の外で警護のため立っていて、ときおり行事の進行を内陣にいる練行衆に知らせるため法螺貝をふく。
警護の人たちは松明、かがり火をともし続ける。

くみ上げられた水がお堂に運ばれる。これを三回くりかえす。

その間、蓮松明は横たえられ火をたやさぬよう、見守られる。

少しだけ動画も撮ったので、音と雰囲気が再現できればと思う。(You Tubeでフルスクリーンにするとよく見えるかも)

三回香水がくみ上げられるとご一行はふたたび蓮松明、他の手松明にまもられてお堂に帰っていかれた。
このあとふたたび南の局にはいって達陀をよこからちらっと見る。西の局が正面で一番よくみえるのだが、すでにいっぱいであぶれた。いつかここの場所をキープしよう、と来年以降の課題をまた見つける。
達陀の異形な行はこれまた修二会の華かもしれない。法螺貝の音は耳についてはなれない。達陀については昨年記事に書いたので、ご興味あればどうぞ。

達陀がおわったころ時間は午前3時半。それでも臨時食堂になっている北側の茶所はまだ開いていた。ご年配のご婦人もエプロン姿でがんばっておられる。夜中なので食事ではなく熱いお茶をいただき冷えた体をあたためた。

北回廊階段の下にある練行衆参籠所の前で練行衆の下堂を待つ。

来た来た!回廊階段を走って駆け下りてくる。これは迫力がある。このとき童子たちは「手水(ちょうず)〜、手水〜」と大声でよばわる。「手水にいっているだけだ、すぐもどるぞ」とカラス天狗に知らせるためだとか。カラス天狗は好奇心が強く、お堂を留守にするとはいりこんで行法のマネをする、と言い伝えから。

宿に帰ったらもう4時、朝だな、、、と思いつつ空を見上げれば下弦の月。(あ、丸にしか見えない、、、、)
この日はひだたすら寒い中で待ち続ける「行」をしたような気分だが、またひとつ修二会の課題をクリアしたような満足感でおそい就寝とする。
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● COMMENT ●
narahimuro様
20年ちかくかけてようやくお水取りをみることができました。観無量です。
この修二会、知れば知るほど深くてずるずる深みにはまりそうです。
研究者にとってもいまだ「謎」の行法なそうなので。
かえって奈良在住の方の方がいかれないかもしれませんね。いずこも同じ。
関西圏の人なのに「お水取りって???」とけげんな顔をされ、がっかりすることもあります。
でも私も最初はお水取り=お松明、、、、としか思ってなかったものなあ。
あれからずいぶん来てシマッタ、、、という感じですね。
この修二会、知れば知るほど深くてずるずる深みにはまりそうです。
研究者にとってもいまだ「謎」の行法なそうなので。
かえって奈良在住の方の方がいかれないかもしれませんね。いずこも同じ。
関西圏の人なのに「お水取りって???」とけげんな顔をされ、がっかりすることもあります。
でも私も最初はお水取り=お松明、、、、としか思ってなかったものなあ。
あれからずいぶん来てシマッタ、、、という感じですね。
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深夜のお水取りの行法参加されてご苦労様でした。
私も、12日の深夜から13日の払暁まで、見学したことが一回だけあります。
籠松明だけを見て、帰られる方が大半ですが、熱心に、最後まで、詰められる方も
少なからず居られます。
12日以前にも、車を若草山の麓の道路の止めて、0時ごろ、人気のない手向山神社
を抜けて、2月堂に上がったところ、熱心な信者さんが、堂房に詰めて居られるのを見て
伝統行事の重みを感得いたしました。
奈良の行事もこのような、方々に支えれているのですね。