じない町で茶飯釜の粥茶事 - 2013.02.14 Thu
江戸時代の街並みが残る富田林のじない町(寺内町)、ここは散策するだけで江戸時代へタイムスリップできる楽しい町です。

昨年秋懐石料理教室でおじゃました、じない町の峯風庵さんへ、今回は茶事の客として参りました。

峯風庵さんが茶事・茶会のサロンとして入手されたのは、築140年以上の町家。

古いながらとても趣があります。
今日は峯風庵さん自らが亭主をしてくださる茶飯釜の茶事。私は初体験。
「茶飯釜の茶事」というのは、一つの釜をお茶を点てるのにも使い、懐石料理の飯を炊くのにも使ってしまうという、とても侘びた風情のある茶事なのです。釜一つで茶も点てれば飯も炊いた丿貫さんのお話しを思い出させます。
茶飯釜の扱いは、確立した流儀がないそうなので亭主の裁量でどうとでも使えるようです。普通は席中で飯が炊けるのを待つのですが、今回はなんと粥の茶事、時間の経過と共に重湯が三分粥になり全粥になるという変化を楽しむのです。

飯を炊くので、初炭で入れる炭はいつもの倍くらい。
お米の炊ける香りを楽しむため、お香はいれません。
(峯風庵さんでは足が楽なように箱火鉢を炉にして、低めのテーブル席になっているんです)

たっぷりの水をはった釜に、信玄袋からさらさらと米(12時間水に浸しておいた物)を入れ火に掛けます。
強い火力が要求されるので、火吹き竹を使うのですが、趣あってよいですね。
ご亭主がお忙しくされている間、客の方もこれをふ〜ふ〜して、お手伝い。(過換気になって頭くらくら(@_@;)
しかも灰が飛び散るのでまたの名を「シンデレラ(=灰かぶり)茶事」というんですよ〜と峯風庵さんw( ̄▽ ̄;)w

火吹きの先はこんなふうになっていて、効率よく酸素を送り込めるようになっています。
釜肌には「渇来茶」と鋳出してあります。のどが渇いたら、茶を飲みに来て下さいと言う意味。反対側には「飢来飯」は、腹が減ったら飯を食べに来て下さい、、、と。
羽の部分には「自在軒一釜斎宗徳」。
堺の銭屋宗徳という茶人が、宗旦にもらった茶飯釜を大事にして、一生涯この釜一つを自在にかけて茶を飲み、飯を炊いて暮らしたことから茶飯釜はまたの名を宗徳釜。

懐石は向付のかわりに茶碗蒸し、そしてお粥にあう香の物、梅干しなど。

そうこうするうちに吹きこぼれてきたので釜をおろします。がんばってふ〜ふ〜した甲斐あって、けっこう早めに炊けました。
お粥は、末客から逆順に手渡しで送って行きます。これも特徴かな。

火からおろしてすぐのご飯はこのように三分粥〜重湯の様な状態。
ところが釜はもうこれ以上火にかけないのに、米は釜の中で蒸れて茶事が進むにつれて、、、

五分粥、

全粥へと変わっていくのです。
おそるべし!鉄釜の威力!
お米はつやつやと、甘みがほのかにあって、こうして炊くからなおさら美味しいのね。お粥のおいしさをみなおしてしまいました。

その間、空いている炉には炊き合わせの鍋をかけます。これがまたごちそうでした。あつあつをいただきます。

その間にもお粥がなくなった釜は水屋で洗われ、蓋を替えるだけで点茶用の釜になりました。今回は粥なので釜を清めるのは簡単だったと思いますが、おこげができる普通のご飯の時はどうやって洗うのでしょう。こびりついて大変だと思いますが、そこは水屋の裏方さんがササラで必死にこそげとるとかw( ̄o ̄)w オオー!

中立の前には手作りの蓬餅を。蓬が香り立ち、春の気配を十分に堪能させていただく。

練っていただいた濃茶もたっぷりであつあつ。いつもダマができないようにと1杓目でお湯をたくさんいれてしまうので、長く練っているとさめてしまうことが多いのですが、2杓目をたっぷり入れるのがあつあつにするこつだと教えていただきました。

後炭では、お粥をたきあげた炭は胴炭も中まで白く燃えており、寒い季節のこのような炉中はとても美しい景色。
お干菓子はこれもお手製の蕨の落雁、そしてほろほろ繊細な甘さの冬季限定、仙台の九重本舗霜ばしらをご用意いただきました。(これ大好き♪)
前後しますが、待合の軸は「龍起一澤氷」。本席は「茶〜(以下茶の徳について書いた漢文)」。
「龍起一澤氷」は円悟語録からの言葉で「鶴は飛ぶ千尺の雪、龍は起こる一潭の氷」の後半部分。「鶴は千尺も積もった雪原を蹴破って飛び立ち、龍は一面氷の淵を突き割って昇り起つ。」長年の修行の成果により、本来具有する仏の心が発露されること意味するそうです。
本来の意味とはちがえ、春が近づき薄くなった氷をつきやぶって天に登る様を想像して、なんて壮大な景色だろう、と思いました。

楽しく勉強させていただいた茶飯釜の茶事もおわり、峯風庵さんのとっても賢い愛猫イチゴちゃん登場。
「苺」ちゃんとばかり思っていたら、一期一会の「一期」だったのね〜。
同席いただいた御連客様には共通の茶友が数人いることが判明し、これもびっくりやらうれしいやら。

帰り道、じない町を楽しみながら。ここも古民家を利用したおもしろいお店が増えて楽しくなりそう。
こんな意匠も見つけましたよ。

(雨樋の一部が鯉!)

昨年秋懐石料理教室でおじゃました、じない町の峯風庵さんへ、今回は茶事の客として参りました。

峯風庵さんが茶事・茶会のサロンとして入手されたのは、築140年以上の町家。

古いながらとても趣があります。
今日は峯風庵さん自らが亭主をしてくださる茶飯釜の茶事。私は初体験。
「茶飯釜の茶事」というのは、一つの釜をお茶を点てるのにも使い、懐石料理の飯を炊くのにも使ってしまうという、とても侘びた風情のある茶事なのです。釜一つで茶も点てれば飯も炊いた丿貫さんのお話しを思い出させます。
茶飯釜の扱いは、確立した流儀がないそうなので亭主の裁量でどうとでも使えるようです。普通は席中で飯が炊けるのを待つのですが、今回はなんと粥の茶事、時間の経過と共に重湯が三分粥になり全粥になるという変化を楽しむのです。

飯を炊くので、初炭で入れる炭はいつもの倍くらい。
お米の炊ける香りを楽しむため、お香はいれません。
(峯風庵さんでは足が楽なように箱火鉢を炉にして、低めのテーブル席になっているんです)

たっぷりの水をはった釜に、信玄袋からさらさらと米(12時間水に浸しておいた物)を入れ火に掛けます。
強い火力が要求されるので、火吹き竹を使うのですが、趣あってよいですね。
ご亭主がお忙しくされている間、客の方もこれをふ〜ふ〜して、お手伝い。(過換気になって頭くらくら(@_@;)
しかも灰が飛び散るのでまたの名を「シンデレラ(=灰かぶり)茶事」というんですよ〜と峯風庵さんw( ̄▽ ̄;)w

火吹きの先はこんなふうになっていて、効率よく酸素を送り込めるようになっています。
釜肌には「渇来茶」と鋳出してあります。のどが渇いたら、茶を飲みに来て下さいと言う意味。反対側には「飢来飯」は、腹が減ったら飯を食べに来て下さい、、、と。
羽の部分には「自在軒一釜斎宗徳」。
堺の銭屋宗徳という茶人が、宗旦にもらった茶飯釜を大事にして、一生涯この釜一つを自在にかけて茶を飲み、飯を炊いて暮らしたことから茶飯釜はまたの名を宗徳釜。

懐石は向付のかわりに茶碗蒸し、そしてお粥にあう香の物、梅干しなど。

そうこうするうちに吹きこぼれてきたので釜をおろします。がんばってふ〜ふ〜した甲斐あって、けっこう早めに炊けました。
お粥は、末客から逆順に手渡しで送って行きます。これも特徴かな。

火からおろしてすぐのご飯はこのように三分粥〜重湯の様な状態。
ところが釜はもうこれ以上火にかけないのに、米は釜の中で蒸れて茶事が進むにつれて、、、

五分粥、

全粥へと変わっていくのです。
おそるべし!鉄釜の威力!
お米はつやつやと、甘みがほのかにあって、こうして炊くからなおさら美味しいのね。お粥のおいしさをみなおしてしまいました。

その間、空いている炉には炊き合わせの鍋をかけます。これがまたごちそうでした。あつあつをいただきます。

その間にもお粥がなくなった釜は水屋で洗われ、蓋を替えるだけで点茶用の釜になりました。今回は粥なので釜を清めるのは簡単だったと思いますが、おこげができる普通のご飯の時はどうやって洗うのでしょう。こびりついて大変だと思いますが、そこは水屋の裏方さんがササラで必死にこそげとるとかw( ̄o ̄)w オオー!

中立の前には手作りの蓬餅を。蓬が香り立ち、春の気配を十分に堪能させていただく。

練っていただいた濃茶もたっぷりであつあつ。いつもダマができないようにと1杓目でお湯をたくさんいれてしまうので、長く練っているとさめてしまうことが多いのですが、2杓目をたっぷり入れるのがあつあつにするこつだと教えていただきました。

後炭では、お粥をたきあげた炭は胴炭も中まで白く燃えており、寒い季節のこのような炉中はとても美しい景色。
お干菓子はこれもお手製の蕨の落雁、そしてほろほろ繊細な甘さの冬季限定、仙台の九重本舗霜ばしらをご用意いただきました。(これ大好き♪)
前後しますが、待合の軸は「龍起一澤氷」。本席は「茶〜(以下茶の徳について書いた漢文)」。
「龍起一澤氷」は円悟語録からの言葉で「鶴は飛ぶ千尺の雪、龍は起こる一潭の氷」の後半部分。「鶴は千尺も積もった雪原を蹴破って飛び立ち、龍は一面氷の淵を突き割って昇り起つ。」長年の修行の成果により、本来具有する仏の心が発露されること意味するそうです。
本来の意味とはちがえ、春が近づき薄くなった氷をつきやぶって天に登る様を想像して、なんて壮大な景色だろう、と思いました。

楽しく勉強させていただいた茶飯釜の茶事もおわり、峯風庵さんのとっても賢い愛猫イチゴちゃん登場。
「苺」ちゃんとばかり思っていたら、一期一会の「一期」だったのね〜。
同席いただいた御連客様には共通の茶友が数人いることが判明し、これもびっくりやらうれしいやら。

帰り道、じない町を楽しみながら。ここも古民家を利用したおもしろいお店が増えて楽しくなりそう。
こんな意匠も見つけましたよ。

(雨樋の一部が鯉!)
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● COMMENT ●
歌右衛門の政岡が
「伽羅先代萩」の「まま炊き」の場面でこのようなことをしているというのがよくわかりました。
粥茶事は私も経験があります。粥をいただきながらだんだんご飯に近づくのが楽しいですよねえ。
また皆で竹筒でふ〜ふ〜も楽しいです。
よき1日でしたね。
また皆で竹筒でふ〜ふ〜も楽しいです。
よき1日でしたね。
N様
実は仙台萩のくだんの場面、見たことがないのですが、茶飯釜がかかると政岡のはなしはよくでるようです。あ、それで干菓子が仙台の霜ばしらだったとか、、、??
ひいらぎ様
今回はお粥だったのがよかったです。茶事の楽しみは人様々、シチュエーション様々でほんとうに尽きることがありませんね。まだまだ教科書通りしかできない私ですが、、、、( ̄▽ ̄;)
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