紫陽花の矢田寺 - 2015.06.21 Sun
今年の紫陽花は紫陽花寺として有名な大和郡山の矢田寺へ。
近鉄郡山から紫陽花の季節だけに増便される(それでも1時間に2本)バスにのってどんどん田舎の道を走って終点の矢田寺前につくとそこは、、、山間の田園風景であった、、、(◎-◎;)

そしていきなり郷里の有名人(?)熊沢蕃山先生の碑にであうとはね。(岡山藩に仕えた陽明学者。幕府の朱子学との軋轢で各地を転々と流浪、この矢田にもしばらく住んでおられた)

のどかな門前町、、、といってもすぐ通り過ぎるが、おそらく紫陽花の季節だけ、民家が軒先で餅や果物を売ってはる。

矢田山金剛山寺、通称矢田寺、、、、やっと着いた!と思ったら大間違い。

ここからまた長い長い道のりの階段をのぼらなければならなかった。途中息が上がって写真撮れず。

ぜ〜ぜ〜、、、
やっと一番入り口の塔頭・大門坊にたどりついた。ここには沙羅の木(ナツツバキ)が咲いていた。

おお〜〜紫陽花や、紫陽花や、、、とよろこんでいたらおりしも雨が降り出した。うん、足元は悪くなるが紫陽花は雨によく似合う花なのだ。

矢田寺はそもそも天武天皇勅願の寺なのだが(壬申の乱の時、矢田山に登って戦勝祈願をした。当時はもちろん大海人皇子よ)、現在は真言宗のお寺になっている。
今でこそ紫陽花の寺として有名だが、紫陽花を植え始めたのは昭和40年代というから、それほど古いわけではないようだ。

当初十一面観音がご本尊だったが、現在では地蔵菩薩がご本尊。ゆえに境内にはあちこちにお地蔵様がおられる。

見落としてしまったが、「みそなめ地蔵」(味噌の味を良くした、という、、)様というお地蔵さんもおられるそうだ。
さて、しばし紫陽花の七色の饗宴をごらんあれ。



山に向かって分け入ると、どこまでも続く紫陽花の道。全山で10000株以上という。

変わり花びらの紫陽花。

手向けの花も紫陽花。

本堂の屋根も雨と花にかすむ。
紫陽花園へわけいる。

紫陽花をかきわけかきわけ、、、
雨で滑りやすいところへカメラを気にしていたら見事にすべって流血の惨事、、、とまではいかなかったが腕、足、顎に擦り傷。でも身を挺してカメラだけは死守しました(^_^;

うわ〜〜〜
その甲斐があったわ、、、この景色!

さらにさらに、とくと見よ!この絶景!
ちょっと瞬間言葉を失った。
三室戸寺の紫陽花も見事だが、ここのはそれ以上かもしれない。(場所が辺鄙なのが難だが)

紫陽花の森をかきわけ、、、

紫陽花の小径を歩き、、、、

こんな珍しい花にも出会った。
ミズカンナ。昭和初期にアメリカから渡来した花だそうな。

タイサンボクの花も見頃であった。あたり一帯にこの花の甘いエキゾチックな香りが満ちていた。

紫陽花にすっかり魅了され、境内にある大和盆地をみはらせるお茶室、一如庵で一服所望すれば、、、

だされた落雁もまた、、、紫陽花であった。
近鉄郡山から紫陽花の季節だけに増便される(それでも1時間に2本)バスにのってどんどん田舎の道を走って終点の矢田寺前につくとそこは、、、山間の田園風景であった、、、(◎-◎;)

そしていきなり郷里の有名人(?)熊沢蕃山先生の碑にであうとはね。(岡山藩に仕えた陽明学者。幕府の朱子学との軋轢で各地を転々と流浪、この矢田にもしばらく住んでおられた)

のどかな門前町、、、といってもすぐ通り過ぎるが、おそらく紫陽花の季節だけ、民家が軒先で餅や果物を売ってはる。

矢田山金剛山寺、通称矢田寺、、、、やっと着いた!と思ったら大間違い。

ここからまた長い長い道のりの階段をのぼらなければならなかった。途中息が上がって写真撮れず。

ぜ〜ぜ〜、、、
やっと一番入り口の塔頭・大門坊にたどりついた。ここには沙羅の木(ナツツバキ)が咲いていた。

おお〜〜紫陽花や、紫陽花や、、、とよろこんでいたらおりしも雨が降り出した。うん、足元は悪くなるが紫陽花は雨によく似合う花なのだ。

矢田寺はそもそも天武天皇勅願の寺なのだが(壬申の乱の時、矢田山に登って戦勝祈願をした。当時はもちろん大海人皇子よ)、現在は真言宗のお寺になっている。
今でこそ紫陽花の寺として有名だが、紫陽花を植え始めたのは昭和40年代というから、それほど古いわけではないようだ。

当初十一面観音がご本尊だったが、現在では地蔵菩薩がご本尊。ゆえに境内にはあちこちにお地蔵様がおられる。

見落としてしまったが、「みそなめ地蔵」(味噌の味を良くした、という、、)様というお地蔵さんもおられるそうだ。
さて、しばし紫陽花の七色の饗宴をごらんあれ。



山に向かって分け入ると、どこまでも続く紫陽花の道。全山で10000株以上という。

変わり花びらの紫陽花。

手向けの花も紫陽花。

本堂の屋根も雨と花にかすむ。
紫陽花園へわけいる。

紫陽花をかきわけかきわけ、、、
雨で滑りやすいところへカメラを気にしていたら見事にすべって流血の惨事、、、とまではいかなかったが腕、足、顎に擦り傷。でも身を挺してカメラだけは死守しました(^_^;

うわ〜〜〜
その甲斐があったわ、、、この景色!

さらにさらに、とくと見よ!この絶景!
ちょっと瞬間言葉を失った。
三室戸寺の紫陽花も見事だが、ここのはそれ以上かもしれない。(場所が辺鄙なのが難だが)

紫陽花の森をかきわけ、、、

紫陽花の小径を歩き、、、、

こんな珍しい花にも出会った。
ミズカンナ。昭和初期にアメリカから渡来した花だそうな。

タイサンボクの花も見頃であった。あたり一帯にこの花の甘いエキゾチックな香りが満ちていた。

紫陽花にすっかり魅了され、境内にある大和盆地をみはらせるお茶室、一如庵で一服所望すれば、、、

だされた落雁もまた、、、紫陽花であった。
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● COMMENT ●
narahimuro様
初めての訪問でしたが紫陽花がすばらしかったです。
紫陽花の季節以外はきっと閑静で景色をひとりじめできそうな感じですね。
大和郡山は奈良市街と少しはなれているのですごく遠いような気がしていましたが、薬師寺からはすぐなんだ、と気づきました。(でも矢田寺は遠い、、、)他にもまだまだ知らない古刹があるようで、奈良散歩はやめられません。
熊沢先生、ほんまにいろいろ流浪してご苦労されたようです(^_^;
でも当時としては長生きされたようでなにより。
紫陽花の季節以外はきっと閑静で景色をひとりじめできそうな感じですね。
大和郡山は奈良市街と少しはなれているのですごく遠いような気がしていましたが、薬師寺からはすぐなんだ、と気づきました。(でも矢田寺は遠い、、、)他にもまだまだ知らない古刹があるようで、奈良散歩はやめられません。
熊沢先生、ほんまにいろいろ流浪してご苦労されたようです(^_^;
でも当時としては長生きされたようでなにより。
矢田寺と郡山
今日矢田寺へいってきました。いつもいいところをおしえていただくので、感謝です。味噌なめ地蔵は本堂手前の右側にありました。25日に太田さんから小堀遠州の話をきいたばかりなので(遠州のお父さんは豊臣秀長に仕えたそうで)郡山のお城もみてきました。本丸のおおきな石垣が無残に崩れていました。城下で菊屋というのが古いお菓子屋さんということで、秀長が秀吉を初めて茶会をしたときに店の初代が献上したという、御城之口餅というお菓子と郡山名物の金魚の琥珀(いいでしょう?)をかってきました。明日お茶立てていただきます。これからもお茶事の真似はできないけど、いろんなところ紹介してくださいね。
りょうこ様
矢田寺までごくろうさまでした。
車ならそうでもないと思いますが本数の少ないバスにあの階段、けっこうしんどい道のりでした。
時間があればお城もみたかったのですが、足元も悪くバスからの眺めでがまんしました。
奈良の和菓子屋といえばやっぱり菊屋さん、三番街のカフェに昔よく行きました。
車ならそうでもないと思いますが本数の少ないバスにあの階段、けっこうしんどい道のりでした。
時間があればお城もみたかったのですが、足元も悪くバスからの眺めでがまんしました。
奈良の和菓子屋といえばやっぱり菊屋さん、三番街のカフェに昔よく行きました。
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紫陽花の名所の矢田寺は如何でしたか。
大和の寺は奈良時代以前のが良く知られていますが、結構、平安期に創建された古刹にも
見るべき所があります。円照寺(非公開です。)、弘仁寺、正暦寺(年号が寺号です。)とか・・
あまり、観光客が来ない寺院ですが、秋の紅葉は見事ですよ
ところで、矢田寺には大阪相撲の力士や大坂花街の妓女の墓所の多いことでも有名です。
熊沢蕃山先生のことですが、わが市の東部にも居住されていました。