楽茶碗鑑賞茶会〜利休忌にちなみ利休七種を中心に - 2013.02.25 Mon
楽美術館では、年に何回か、楽吉左衛門さんが亭主となって、実際に歴代の楽茶碗を手にとってお茶をいただける楽鑑賞茶会をされています。

小雪のちらつく底冷えの中、出かけて参りました。
昨年秋は明月をテーマにひらかれた茶会でしたが、今回は2月28日(旧暦)の利休忌にちなんで、利休さんをしのぶ茶会がテーマです。

本席の軸はなにやら(読めない)歌が書かれていて、下の方に二つの白い長方形の部分が残された拓本といった感じの部分があって、この白い部分に「利像旧跡」と。
なんとこの長方形は、表千家につたわる利休像の草履(下駄?)を写し取ったものなんだそうです。書かれている歌は(記憶力のなさで、、、)忘れましたが、梅の花を歌った、なんだか自分の死期を覚悟したような歌でした。
花入は「利休形」胡銅鶴首(七代浄益)、茶杓が鉄刀木(たがやさん)の「利休形」(珠徳形とペアのうち)。
菓子器は覚入の瓔珞文食籠。瓔珞は仏様の装飾品なので、利休を偲ぶ、という意味で。お菓子は聚洸さんの鶯蕨餅。(うぐいす餅の餅の部分がわらび餅でおいし〜)
釜が了保(大西の十代・浄雪の弟)の姥口蒲団釜。蒲団釜とは、利休が城の天守での茶事が終わって下に降ろすとき蒲団に包んで大事に降ろしたところからとも。蓋が宝相華のようで、これも仏様の荘厳。
薄器は梅の季節にちなんで、月ヶ瀬梅林の梅の古木でつくった梅蒔絵の雪吹。(とても渋い)

しかし、なんといっても席の主役は長次郎の作った利休七種といわれる名碗を、長入が写した物。
この七つの茶碗はそれぞれいろんな逸話を持っているのですが、残念ながら現存するのはうち三つ(+α)だけなのです。(+αについてはのちほど)
よくご存じの方はスルーしていただいて、自分のメモとして、、、
*「早船」赤楽・畠山美術館蔵で現存。
古田織部、蒲生氏御、細川三斎を大阪の茶会に招いたとき、利休が早船で京からとりよせた、という逸話。利休の死後三人とも所望したが、結局氏郷の手にわたったとか。
本歌は継ぎがはいっていて、富士山みたいな釉薬の景色が入っています。
*「臨済」赤楽・現存せず
口作りの曲線が京都の臨済五山を表しているようだということから。底の部分に目跡あり。
*「検校」赤楽・現存せず
「このようなよい茶碗が長次郎のもとに残っていたとは、皆々検校殿よ」と利休が言ったとか。
木守にしても、俊寛にしても、「良いのが一個だけ残った」という逸話が多いな。
写しを拝見した限りでは、鉢がひらいた大ぶりの、楽にしてはめずらしい形。
*「大黒」黒楽・現存、重要文化財(個人蔵)
大黒、、、というわりにはむしろ小さい、という印象。かせた感じはなく、むしろ艶々。
*「東陽坊」黒楽・現存、重要文化財(個人蔵)
京都真如堂東陽坊の住職であった東陽坊長盛が利休から拝領して所持していたことから。(建仁寺の本坊にある茶室東陽坊は、北野大茶湯の際に長盛がたてたのを移築したもの。)箱の蓋裏に利休自筆の書付あり。
口べりの内側を薄く削っていて少し反り返っているのが特徴的。わりと大きい。
*「鉢開」黒楽・現存せず
ウエストがきゅっとくびれたような横から見ると8の字にみえるやや小振りな茶碗。鉢開とは托鉢をして金品を 乞い歩く鉢開き坊主のこと。その姿に似ているといわれていますが、その鉢開き坊主がよくわからんのでなんとも。
同じく長次郎で有名な「面影」はこの鉢開に面影がにているから付けられたといいます。面影は内箱蓋裏の書き付けに宗旦門下の石川自安が「細三ノ所持之鉢ひらきニよく似候由也」と。(細三=細川三斎)
*「木守」赤楽・微妙に現存。これがその+αのもの
実はこの写しでお茶をいただきました。すこしかせた感じの赤、というより渋い肌色という感じでしょうか。貫入が良い感じにはいっています。
木守は、次の年の収穫を願って最後に一つだけ木に残す柿の実のことで、かつて利休が長次郎の作った数十個の茶碗を並べて、門人に選び取らせたところ、この茶碗1つだけが残ったことから名付けたとされています。
この木守、官休庵・3代目家元のころに、仕えていた高松の松平候に献上され、代々の家元襲名茶事の折のみ、松平候から拝借し、茶事が終了すれば外箱を作り、藩侯に返す慣わしになっていました。ところが大正8年、官休庵9代目が松平家からこの木守を拝借し茶事を終えたあと、松平家に戻された木守は高松へは帰らず東京のお屋敷に保管されたため、関東大震災で木っ端微塵になってしまったのです。
その残欠を集めて楽家の弘入、惺入が二代にわたり修復したものが現存しています。写真を拝見しましたが、茶碗全体からすると、たった5%くらいしかオリジナルがないしろもので、色も赤茶色に窯変してしまっています。
あの時、高松に帰っていれば、、、、と数奇な運命を感じさせる茶碗ですね。

、、、このように茶碗にまつわる逸話や歴史は本を読んでも知ることはできますが、その写しを目の前に、あまつさえそれでお茶をいただきながら、楽さんの柔らかい語り口で拝聴すると、とても印象深くて記憶に残ります。
また、次回も参加させていただこう( ̄▽ ̄)b

ちなみに現在の展示「楽歴代 春節会」も見応えあります。
先代覚入のかわいい梅の高台のお茶碗がよかったなあ。たまには渋系ではなくカワイイ系にも惹かれますのよ。おほほ。

小雪のちらつく底冷えの中、出かけて参りました。
昨年秋は明月をテーマにひらかれた茶会でしたが、今回は2月28日(旧暦)の利休忌にちなんで、利休さんをしのぶ茶会がテーマです。

本席の軸はなにやら(読めない)歌が書かれていて、下の方に二つの白い長方形の部分が残された拓本といった感じの部分があって、この白い部分に「利像旧跡」と。
なんとこの長方形は、表千家につたわる利休像の草履(下駄?)を写し取ったものなんだそうです。書かれている歌は(記憶力のなさで、、、)忘れましたが、梅の花を歌った、なんだか自分の死期を覚悟したような歌でした。
花入は「利休形」胡銅鶴首(七代浄益)、茶杓が鉄刀木(たがやさん)の「利休形」(珠徳形とペアのうち)。
菓子器は覚入の瓔珞文食籠。瓔珞は仏様の装飾品なので、利休を偲ぶ、という意味で。お菓子は聚洸さんの鶯蕨餅。(うぐいす餅の餅の部分がわらび餅でおいし〜)
釜が了保(大西の十代・浄雪の弟)の姥口蒲団釜。蒲団釜とは、利休が城の天守での茶事が終わって下に降ろすとき蒲団に包んで大事に降ろしたところからとも。蓋が宝相華のようで、これも仏様の荘厳。
薄器は梅の季節にちなんで、月ヶ瀬梅林の梅の古木でつくった梅蒔絵の雪吹。(とても渋い)

しかし、なんといっても席の主役は長次郎の作った利休七種といわれる名碗を、長入が写した物。
この七つの茶碗はそれぞれいろんな逸話を持っているのですが、残念ながら現存するのはうち三つ(+α)だけなのです。(+αについてはのちほど)
よくご存じの方はスルーしていただいて、自分のメモとして、、、
*「早船」赤楽・畠山美術館蔵で現存。
古田織部、蒲生氏御、細川三斎を大阪の茶会に招いたとき、利休が早船で京からとりよせた、という逸話。利休の死後三人とも所望したが、結局氏郷の手にわたったとか。
本歌は継ぎがはいっていて、富士山みたいな釉薬の景色が入っています。
*「臨済」赤楽・現存せず
口作りの曲線が京都の臨済五山を表しているようだということから。底の部分に目跡あり。
*「検校」赤楽・現存せず
「このようなよい茶碗が長次郎のもとに残っていたとは、皆々検校殿よ」と利休が言ったとか。
木守にしても、俊寛にしても、「良いのが一個だけ残った」という逸話が多いな。
写しを拝見した限りでは、鉢がひらいた大ぶりの、楽にしてはめずらしい形。
*「大黒」黒楽・現存、重要文化財(個人蔵)
大黒、、、というわりにはむしろ小さい、という印象。かせた感じはなく、むしろ艶々。
*「東陽坊」黒楽・現存、重要文化財(個人蔵)
京都真如堂東陽坊の住職であった東陽坊長盛が利休から拝領して所持していたことから。(建仁寺の本坊にある茶室東陽坊は、北野大茶湯の際に長盛がたてたのを移築したもの。)箱の蓋裏に利休自筆の書付あり。
口べりの内側を薄く削っていて少し反り返っているのが特徴的。わりと大きい。
*「鉢開」黒楽・現存せず
ウエストがきゅっとくびれたような横から見ると8の字にみえるやや小振りな茶碗。鉢開とは托鉢をして金品を 乞い歩く鉢開き坊主のこと。その姿に似ているといわれていますが、その鉢開き坊主がよくわからんのでなんとも。
同じく長次郎で有名な「面影」はこの鉢開に面影がにているから付けられたといいます。面影は内箱蓋裏の書き付けに宗旦門下の石川自安が「細三ノ所持之鉢ひらきニよく似候由也」と。(細三=細川三斎)
*「木守」赤楽・微妙に現存。これがその+αのもの
実はこの写しでお茶をいただきました。すこしかせた感じの赤、というより渋い肌色という感じでしょうか。貫入が良い感じにはいっています。
木守は、次の年の収穫を願って最後に一つだけ木に残す柿の実のことで、かつて利休が長次郎の作った数十個の茶碗を並べて、門人に選び取らせたところ、この茶碗1つだけが残ったことから名付けたとされています。
この木守、官休庵・3代目家元のころに、仕えていた高松の松平候に献上され、代々の家元襲名茶事の折のみ、松平候から拝借し、茶事が終了すれば外箱を作り、藩侯に返す慣わしになっていました。ところが大正8年、官休庵9代目が松平家からこの木守を拝借し茶事を終えたあと、松平家に戻された木守は高松へは帰らず東京のお屋敷に保管されたため、関東大震災で木っ端微塵になってしまったのです。
その残欠を集めて楽家の弘入、惺入が二代にわたり修復したものが現存しています。写真を拝見しましたが、茶碗全体からすると、たった5%くらいしかオリジナルがないしろもので、色も赤茶色に窯変してしまっています。
あの時、高松に帰っていれば、、、、と数奇な運命を感じさせる茶碗ですね。

、、、このように茶碗にまつわる逸話や歴史は本を読んでも知ることはできますが、その写しを目の前に、あまつさえそれでお茶をいただきながら、楽さんの柔らかい語り口で拝聴すると、とても印象深くて記憶に残ります。
また、次回も参加させていただこう( ̄▽ ̄)b

ちなみに現在の展示「楽歴代 春節会」も見応えあります。
先代覚入のかわいい梅の高台のお茶碗がよかったなあ。たまには渋系ではなくカワイイ系にも惹かれますのよ。おほほ。
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● COMMENT ●
ひいらぎ様
この鑑賞茶会、2時間もあれば十分ですので、また早めに予約して是非おいでください。
遠方から来られる方の方が多いです。あと楽さんが表さんなので、表さんの方も多い( ̄▽ ̄)b
遠方から来られる方の方が多いです。あと楽さんが表さんなので、表さんの方も多い( ̄▽ ̄)b
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せめて展覧会だけでも行きたいなあ。
予定がすごいことになっているのです。何だか忙しい。