狩野永徳国宝障壁画里帰り〜大徳寺・聚光院 - 2016.04.01 Fri
普段国立博物館に寄託されている障壁画が本来の場所に帰ってきた。

大徳寺聚光院である。なんでも創建450年記念の企画だそうだ。なんとかぎりぎりで間に合った。聚光院は普段は非公開ながら、利休および三千家の菩提寺であるところから毎月28日月釜がひらかれる場所なのでなじみはある。

この本堂にすべて国宝の46枚の障壁画が里帰りし公開された。なにせ国宝をガラスなしで公開するため、拝観は人数制限+ガイドにしたがってぞろぞろついて歩く、というスタイル。監視の目もきつい。まあ、仕方ないけど。
国宝の障壁画の作者は狩野松栄・永徳の親子。おとーちゃんの松栄は狩野派を確立した祖である元信の画風をひたすらうけついでやや凡庸、といわれるが、息子の永徳は有名で中学生当たりでも多分名前は知っているだろう。部屋毎にここはとーちゃん、ここは息子と別れているのだが、説明聞く前に、あ、ここは松栄、これは永徳、とわかるほど勢いが違うのだ。
剥落や色あせもあるので割引きしてみているのかもしれないが、ちょっととーちゃんの方は弱い、というかのぺっとしている(松栄さんゴメンナサイ)。対して永徳は20代にしてこの迫力!と思わせる構図や筆の勢いはさすがさすがとうなるばかり。本堂をかこむ花鳥図には入るなり目を奪うものがあった。

永徳というと私はどうしても等伯との確執で思い出してしまうのだが、そのあたりこの二冊は併読がおもしろい。永徳を主人公にした故・山本兼一さんの「花鳥の夢」と等伯を主人公にした阿部龍太朗さんの「等伯」。
それぞれの立場から、お互いの才能におびえつつそれに打ち勝とうともがく生き様が息苦しいほど。どちらにも登場する人物が重複しており、その描き方の違いもおもしろい。松栄も「等伯」では彼の才能を認めとりたててあげよう、という人格者だったな。近衛前久公も共通する登場人物で描かれ方も若干ちがう。
特に決定的な軋轢となった仙洞御所対屋障壁画事件(等伯が請け負うことが決まっていたのに永徳が根回しして奪った)について双方からの気持ちが描かれているのが興味深かった。
、、、、と、脱線してしまったが、等伯との関わりを考えながら見るとよけいに味わい深い。博物館での展示がどのようになされているのかは知らないが、ここで本来あったように部屋を取り囲む形で展示されるのとはおそらく見え方がちがうのではないだろうか。光の具合、それぞれの障壁画のつながり、90度にまがる連結部の見え方、などなど。
貴重な物を拝見させてもらった。
その後永徳は47歳の若さで亡くなる。なにかにとりつかれたように追い立てられるように絵を描き続けたゆえの過労死ともいわれる。一方等伯は長生きしたが、父以上の才能といわれた息子の久蔵を26歳で亡くす。(「等伯」では狩野派の陰謀、、、ということになってた)どちらが絵師として人間として幸せだったのかはわからないが、後世のわれわれには二人ともいずれおとらぬ天才であり巨星である。
花鳥図をみたら、また智積院に久蔵の桜の絵を見に行きたくなったなあ。
あと、月釜でつかわれる閑隠席と枡床席が結界でしきられていて変な感じ。いつもは中でお茶いただいてるのにねえ。そういえば枡床席にいれられて、閑隠席のお点前1mmも見えなかったことがあったっけ。そのときは半東さんが「ただいまお茶碗にお湯が入りました〜」と実況中継をしてくれたことを苦笑いとともに思い出す。
展示を終えて、この障壁画は再び美術館の蔵でまたしばし眠りにつくのね。よき機会にであえてよかった。

大徳寺聚光院である。なんでも創建450年記念の企画だそうだ。なんとかぎりぎりで間に合った。聚光院は普段は非公開ながら、利休および三千家の菩提寺であるところから毎月28日月釜がひらかれる場所なのでなじみはある。

この本堂にすべて国宝の46枚の障壁画が里帰りし公開された。なにせ国宝をガラスなしで公開するため、拝観は人数制限+ガイドにしたがってぞろぞろついて歩く、というスタイル。監視の目もきつい。まあ、仕方ないけど。
国宝の障壁画の作者は狩野松栄・永徳の親子。おとーちゃんの松栄は狩野派を確立した祖である元信の画風をひたすらうけついでやや凡庸、といわれるが、息子の永徳は有名で中学生当たりでも多分名前は知っているだろう。部屋毎にここはとーちゃん、ここは息子と別れているのだが、説明聞く前に、あ、ここは松栄、これは永徳、とわかるほど勢いが違うのだ。
剥落や色あせもあるので割引きしてみているのかもしれないが、ちょっととーちゃんの方は弱い、というかのぺっとしている(松栄さんゴメンナサイ)。対して永徳は20代にしてこの迫力!と思わせる構図や筆の勢いはさすがさすがとうなるばかり。本堂をかこむ花鳥図には入るなり目を奪うものがあった。

永徳というと私はどうしても等伯との確執で思い出してしまうのだが、そのあたりこの二冊は併読がおもしろい。永徳を主人公にした故・山本兼一さんの「花鳥の夢」と等伯を主人公にした阿部龍太朗さんの「等伯」。
それぞれの立場から、お互いの才能におびえつつそれに打ち勝とうともがく生き様が息苦しいほど。どちらにも登場する人物が重複しており、その描き方の違いもおもしろい。松栄も「等伯」では彼の才能を認めとりたててあげよう、という人格者だったな。近衛前久公も共通する登場人物で描かれ方も若干ちがう。
特に決定的な軋轢となった仙洞御所対屋障壁画事件(等伯が請け負うことが決まっていたのに永徳が根回しして奪った)について双方からの気持ちが描かれているのが興味深かった。
、、、、と、脱線してしまったが、等伯との関わりを考えながら見るとよけいに味わい深い。博物館での展示がどのようになされているのかは知らないが、ここで本来あったように部屋を取り囲む形で展示されるのとはおそらく見え方がちがうのではないだろうか。光の具合、それぞれの障壁画のつながり、90度にまがる連結部の見え方、などなど。
貴重な物を拝見させてもらった。
その後永徳は47歳の若さで亡くなる。なにかにとりつかれたように追い立てられるように絵を描き続けたゆえの過労死ともいわれる。一方等伯は長生きしたが、父以上の才能といわれた息子の久蔵を26歳で亡くす。(「等伯」では狩野派の陰謀、、、ということになってた)どちらが絵師として人間として幸せだったのかはわからないが、後世のわれわれには二人ともいずれおとらぬ天才であり巨星である。
花鳥図をみたら、また智積院に久蔵の桜の絵を見に行きたくなったなあ。
あと、月釜でつかわれる閑隠席と枡床席が結界でしきられていて変な感じ。いつもは中でお茶いただいてるのにねえ。そういえば枡床席にいれられて、閑隠席のお点前1mmも見えなかったことがあったっけ。そのときは半東さんが「ただいまお茶碗にお湯が入りました〜」と実況中継をしてくれたことを苦笑いとともに思い出す。
展示を終えて、この障壁画は再び美術館の蔵でまたしばし眠りにつくのね。よき機会にであえてよかった。
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● COMMENT ●
見たかったです。残念、残念
京博ではなく、あるべきところでみる、あ~あ、くやしいです。
併読、いろいろな角度から、人物をみれますね。この2冊、夢中で読みました。山本さんの本、読んだあと、あまりにも早すぎる死に、ショックでした。
併読、いろいろな角度から、人物をみれますね。この2冊、夢中で読みました。山本さんの本、読んだあと、あまりにも早すぎる死に、ショックでした。
高兄様
「花鳥の夢」は確か高兄さまのおすすめで読んだのではなかったかな。
聚光院と山本兼一さんとのご縁も深かったようで、もしかして子供の頃にでもこの障壁画をここでご覧になったのではないかしら、、、と想像したりして。
ただ今、阿部龍太朗さんの京都新聞の「家康」、毎朝読んでおりまする。
聚光院と山本兼一さんとのご縁も深かったようで、もしかして子供の頃にでもこの障壁画をここでご覧になったのではないかしら、、、と想像したりして。
ただ今、阿部龍太朗さんの京都新聞の「家康」、毎朝読んでおりまする。
MS様
これだけは地の利、ですわ。思い立ってすぐ行けましたから(^-^)
山本さんは亡くなる直前に最前列で講演聞きました。その時はご病気とも知らず、惜しい方をなくしました。
「とびきり屋」シリーズももう読めない、とこれがショックでした。
山本さんは亡くなる直前に最前列で講演聞きました。その時はご病気とも知らず、惜しい方をなくしました。
「とびきり屋」シリーズももう読めない、とこれがショックでした。
東京と京都、文化の中心ですねぇ。
「とびきりや」シリーズ、ほんわかして、ついつい読みたくなります。
同級生がなくなるのは、重ねてショックでした。あっ、年がわかりますね。
「とびきりや」シリーズ、ほんわかして、ついつい読みたくなります。
同級生がなくなるのは、重ねてショックでした。あっ、年がわかりますね。
MS様
同級生!
まだまだお若い!
まだまだお若い!
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確かに、等伯と、永徳
併読が、おもしろいですね^^
そして、山本さんと、安倍さんの2人の才能ある作家の
交流を、思い起こしつつ・・・