漢國神社・林淨因をたずねて〜フルコト・このとまあかり - 2016.09.01 Thu
先日の建仁寺両足院のイベントにて、同院を開いた龍山徳見禅師のことを調べた。
禅師が元に渡って勉強したあと帰国の際(14世紀半ば)、その人徳にひかれて中国から日本についてきた林浄因・饅頭の祖のこともちらっと話に触れたが、その淨因を祀る神社が近鉄奈良駅のほんちかくにあるので、今度奈良へ行った時に是非寄ってみようと思った。

近鉄駅の東大寺と反対側、徒歩5分くらいの所になにげにある漢國(かんごう)神社。
推古天皇の勅命にて建てられたというから1400年くらいの歴史はあるのだ。主祭神は・大物主命・大己貴命・少彦名命。

日本に帰化した林淨因が饅頭を作り生業としたのが現在のこのあたり、林小路町だったということで、昭和になって京都和菓子協会のはたらきかけで境内に林神社ができたのだそうだ。

少し奥まった所にある神社はひっそりとして静か。

本殿の右手にありましたありました、林神社!

こ、、、これは?!
饅頭か?餅か?
淨因は最初徳見禅師と天龍寺にはいったが、当時の都の政情不安、対して奈良は経済活動がさかんで帰化人も多かったので奈良に移住したという。
中国の饅頭(マントウ・肉まんのようなもの)を、肉食が許されない僧侶のために中味を小豆と甘づらにかえて作ったのが饅頭(マンジュウ)で、これが饅頭の祖といわれているのだ。奈良発祥なので「奈良饅頭」とも。

評判をとった饅頭は時の天皇の口にも入ることになり、褒美として宮女を賜った。その結婚に際し、子孫繁栄を祈って紅白の饅頭を埋めたのがこの饅頭塚という。

こちらは漢國神社本殿、桃山時代の建築で奈良の文化財に指定。

淨因の命日とされる4月19日(あら、うちのプリさんと同じ命日!^_^;)には林神社大祭、饅頭祭りが行われ、京都・奈良の和菓子の老舗からたくさんのお供えがよせられるのだとか。

おそらくその時以外はあまり訪れる人もなく、静かな静かな神社なのだろう。
和菓子関係者、和菓子好きは是非いってみてください。

それから「きたまち」とよばれ、面白い店やカフェが最近できだした近鉄北側のエリアを北東に歩く。観光客はあまり来ないので、閑静なそしてまだまだ古い町並みが続く。

ときおり鹿の散歩にでくわしたり。
このあたりでは鹿煎餅をくれる人もいないだろうに。

若草山と大仏殿の屋根が見える。
京都でいえば東山が見えるとほっとするように、奈良では若草山がみえると落ち着くというか。

今となってはどなたも住んでおられない古い連棟式町家が続く。良い景色なんだが、いずれ再開発で取り壊される可能性は高い、、、残念だが。

そして転害門ちかくに奈良愛がいっぱいつまった雑貨+古本の店フルコトさんへ。

いろんな方面で奈良にまつわる情報を発信、活躍している4人の女性によるお店で基本、土・日・月のみ。
細い道のさらに奥へずずっと入ったところにある。

古民家を改修して庭なんかもきれいにご自分たちでしてはるなあ。
ちなみに「フルコト」は「ふるきことのふみ=古事記」からきているらしい。

とにかく奈良に関するグッズや本、小物、特筆すべきは古墳フェチというか古墳愛にあふれたさまざまな古墳をモチーフにしたグッズ。
遠方後円墳の形のポシェットは真ん中に勾玉のアクセサリーがついてとてもかわいくていいな〜と思ったのだが、還暦過ぎた人が持ってもな〜、、、、と泣く泣く諦める。
最近NHK歴史秘話ヒストリアで古墳ブームについて放送していたが、ほんまに古墳に興奮するファンは多いらしい。(「コフンにコウフン」という歌まであるらしい)

で、購入したのはこれが目的だった「奈良旅手帖」、埴輪のピン留め、、、、そして前方後円墳型のクリップ・その名も「くりっ墳(ぷん)」∈^0^∋あははは、、、、

ここから少し東に歩けば国宝・転害門(てがいもん)。
天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構だそうで、鎌倉時代修理はあったものの、基本的には奈良時代の建物なのだ。
ちなみにこのあたりの住所は手貝町。

夕刻で鹿たちがたくさんくつろいでいたが、たしか万城目学さんの「鹿男あをによし」で、最初にセンセーが鹿に話しかけられるのがここだったよね。

近鉄奈良駅の近くにもどって、フルコトさんで教えてもらったフルコト2号店・カフェ&バー「ことのまあかり」さんへ。フルコトでお買い物をするとここのかき氷(削氷・けずりひ)が割り引きと聞いて(^_^;
削氷メニューがまた奈良愛にあふれていて、「長屋王削氷」「橘三千代削氷」「阿倍仲麻呂削氷」、、、とか、それぞれのフレーバーにちなんだ(若干強引ながら)ネーミング。

で、色がきれいなので「勾玉管玉」というのにした。
氷の山をスコップ型のスプーンで発掘するのだ。

勾玉(みかん)管玉(ゼリー)、ちゃんと発掘できました!!
禅師が元に渡って勉強したあと帰国の際(14世紀半ば)、その人徳にひかれて中国から日本についてきた林浄因・饅頭の祖のこともちらっと話に触れたが、その淨因を祀る神社が近鉄奈良駅のほんちかくにあるので、今度奈良へ行った時に是非寄ってみようと思った。

近鉄駅の東大寺と反対側、徒歩5分くらいの所になにげにある漢國(かんごう)神社。
推古天皇の勅命にて建てられたというから1400年くらいの歴史はあるのだ。主祭神は・大物主命・大己貴命・少彦名命。

日本に帰化した林淨因が饅頭を作り生業としたのが現在のこのあたり、林小路町だったということで、昭和になって京都和菓子協会のはたらきかけで境内に林神社ができたのだそうだ。

少し奥まった所にある神社はひっそりとして静か。

本殿の右手にありましたありました、林神社!

こ、、、これは?!
饅頭か?餅か?
淨因は最初徳見禅師と天龍寺にはいったが、当時の都の政情不安、対して奈良は経済活動がさかんで帰化人も多かったので奈良に移住したという。
中国の饅頭(マントウ・肉まんのようなもの)を、肉食が許されない僧侶のために中味を小豆と甘づらにかえて作ったのが饅頭(マンジュウ)で、これが饅頭の祖といわれているのだ。奈良発祥なので「奈良饅頭」とも。

評判をとった饅頭は時の天皇の口にも入ることになり、褒美として宮女を賜った。その結婚に際し、子孫繁栄を祈って紅白の饅頭を埋めたのがこの饅頭塚という。

こちらは漢國神社本殿、桃山時代の建築で奈良の文化財に指定。

淨因の命日とされる4月19日(あら、うちのプリさんと同じ命日!^_^;)には林神社大祭、饅頭祭りが行われ、京都・奈良の和菓子の老舗からたくさんのお供えがよせられるのだとか。

おそらくその時以外はあまり訪れる人もなく、静かな静かな神社なのだろう。
和菓子関係者、和菓子好きは是非いってみてください。

それから「きたまち」とよばれ、面白い店やカフェが最近できだした近鉄北側のエリアを北東に歩く。観光客はあまり来ないので、閑静なそしてまだまだ古い町並みが続く。

ときおり鹿の散歩にでくわしたり。
このあたりでは鹿煎餅をくれる人もいないだろうに。

若草山と大仏殿の屋根が見える。
京都でいえば東山が見えるとほっとするように、奈良では若草山がみえると落ち着くというか。

今となってはどなたも住んでおられない古い連棟式町家が続く。良い景色なんだが、いずれ再開発で取り壊される可能性は高い、、、残念だが。

そして転害門ちかくに奈良愛がいっぱいつまった雑貨+古本の店フルコトさんへ。

いろんな方面で奈良にまつわる情報を発信、活躍している4人の女性によるお店で基本、土・日・月のみ。
細い道のさらに奥へずずっと入ったところにある。

古民家を改修して庭なんかもきれいにご自分たちでしてはるなあ。
ちなみに「フルコト」は「ふるきことのふみ=古事記」からきているらしい。

とにかく奈良に関するグッズや本、小物、特筆すべきは古墳フェチというか古墳愛にあふれたさまざまな古墳をモチーフにしたグッズ。
遠方後円墳の形のポシェットは真ん中に勾玉のアクセサリーがついてとてもかわいくていいな〜と思ったのだが、還暦過ぎた人が持ってもな〜、、、、と泣く泣く諦める。
最近NHK歴史秘話ヒストリアで古墳ブームについて放送していたが、ほんまに古墳に興奮するファンは多いらしい。(「コフンにコウフン」という歌まであるらしい)

で、購入したのはこれが目的だった「奈良旅手帖」、埴輪のピン留め、、、、そして前方後円墳型のクリップ・その名も「くりっ墳(ぷん)」∈^0^∋あははは、、、、

ここから少し東に歩けば国宝・転害門(てがいもん)。
天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構だそうで、鎌倉時代修理はあったものの、基本的には奈良時代の建物なのだ。
ちなみにこのあたりの住所は手貝町。

夕刻で鹿たちがたくさんくつろいでいたが、たしか万城目学さんの「鹿男あをによし」で、最初にセンセーが鹿に話しかけられるのがここだったよね。

近鉄奈良駅の近くにもどって、フルコトさんで教えてもらったフルコト2号店・カフェ&バー「ことのまあかり」さんへ。フルコトでお買い物をするとここのかき氷(削氷・けずりひ)が割り引きと聞いて(^_^;
削氷メニューがまた奈良愛にあふれていて、「長屋王削氷」「橘三千代削氷」「阿倍仲麻呂削氷」、、、とか、それぞれのフレーバーにちなんだ(若干強引ながら)ネーミング。

で、色がきれいなので「勾玉管玉」というのにした。
氷の山をスコップ型のスプーンで発掘するのだ。

勾玉(みかん)管玉(ゼリー)、ちゃんと発掘できました!!
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● COMMENT ●
narahimuro様
ほんとうに外国人だらけでしたね、奈良も。
奈良京都大阪を駆け足で回ると、どうしてもちょっと離れた西の京、斑鳩には時間的にもむつかしいのかもしれません。是非セカンドビジットでいってもらいましょう。
転害門に土壁が残っていたというのは初めて聞きました。それは良い雰囲気だったでしょうね。なくなったのは残念なことです。きたまちにはまだ古い現役の町家もたくさん残っていて、これから開拓しようと思っています。法華寺は今年ひな会式に参りましたが、他はまだ未到です。いつか必ず。
奈良京都大阪を駆け足で回ると、どうしてもちょっと離れた西の京、斑鳩には時間的にもむつかしいのかもしれません。是非セカンドビジットでいってもらいましょう。
転害門に土壁が残っていたというのは初めて聞きました。それは良い雰囲気だったでしょうね。なくなったのは残念なことです。きたまちにはまだ古い現役の町家もたくさん残っていて、これから開拓しようと思っています。法華寺は今年ひな会式に参りましたが、他はまだ未到です。いつか必ず。
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奈良の三条通は毎日、京都ほどではありませんが、海外からの多数の観光客が行き来していますが、殆どが春日神社、大仏殿を見て帰るようです。
中には、しぇる様のように、メインの観光ルートから離れた寺社を探訪する
外国人もいますが、西ノ京や斑鳩へは足が向かないようです。
せっかく、奈良に来て一級の世界遺産にはふれないのは勿体ないことです。
ところで、平家の残党景清が奈良に来た頼朝を付け狙い身を潜めたと言う
伝説の残る転害門ですが、私の子供頃は、両側に土壁が10mほど残って
いたのに、いつの間にか取り払われていました・・・・
この門から西側に伸びて行く道は平城京の一条通りです。
通り沿いには聖武天皇御陵や興福院、不退寺、法華寺等の史跡や古刹が
散在しています。
もう、参拝されたかも知れませんが。