正倉院展2016 - 2016.10.31 Mon
今年も日本人の大好きな正倉院展(奈良国立博物館)がやってきましたね〜。

近鉄奈良駅からならまちを通りぬけていく道々にもポスターが。
毎年ポスターになる目玉はけっこう色彩の派手なキャッチーな展示がおおいのですが、今年はなんかちょっと地味渋いわね。

、、、のせいかどうか、全然並ばずにはいれて、館内も例年に比べればすいています。数年前の瑠璃杯のときは二重に行列ができていたのにね。

ちなみにこのポットみたいなのは漆胡瓶。ペルシアの影響を受けたデザインで中国・唐代のもの。聖武天皇遺愛の水注なのです。XP写真でどうやら薄い板をくるくる巻き上げて(巻胎)形作ってその上に漆を塗り固め、表面に金属の象嵌をほどこした、ということがわかるそうです。
木製だから多分軽い手取りなんでしょうね。
鹿とか鳥とか、草花の象嵌はきれいなんだけれど、いかんせん、色がくすんであまりはっきりしない。ところが同時に展示されているXP写真にはしびれましたよ。金属の象嵌はエッジもシャープに、ほかの部分はきれいに透過され、なんてリズミカルに美しい!
ちょっとだけ月刊「ならら」の写真を。

いつも正倉院展にくるたびに思うけれど、美術工芸の技術も意匠もこの時代にほぼ完成して、現代に到るまでのそれはその模倣でしかないのじゃないのかと。

(猿沢の池の鷺)
粉地金銀絵八角長几(供物を載せる台)の華足の彫りのデザインなんか見ていると、たかが台の足にここまで情熱をかたむけるか?と思うほどの装飾性。
今回いいな、と思ったのは大幡残欠+大幡足+大幡脚端飾。
今でも東大寺で法要があるときに空にはためく幡。(これこれ ↓ こんなやつのもっと大きいの)

(2年前の東大寺華厳茶会の時の画像)
これよりはるかに長く大きな幡だったようで、この残欠が残っているんだよね〜。幅はゆうに1mをこえていると思う。縁どりが羊毛糸?のようにみえたが、細かい織物になっていて、こんなニット、今でもあるよね、って言う感じ。
大幡脚(下になびく長い複数の帯)がまたきれいで、展示されていたのは赤・黄・紫・緑。なかでも赤の赤がほんまに鮮やかで、1200年以上前の染色とはとても思えない。
この大幡は757年、聖武天皇一周忌法要に使われたものという。この鮮やかで巨大で美しくきらびやか(当時)な大幡が空にはためいていたなんて、なんてすばらしいスペクタクルだったことだろう。日本人でよかった。

予習復習にかかせぬ月刊「ならら」。この表紙が今回の展示物のモチーフになっている。ここにも載っている小鳥はせいぜい10円玉くらいの大きさの象牙彩色(撥鏤・ばちる)のおそらく装飾品。これもかわいかったな。

(ミュージアムレストランでいただいた正倉院展記念特別薬膳弁当。この包み紙にもモチーフが)
いつもは古文書類はスルーするのですが、ちょっと足をとめて見たのが「続修正倉院古文書」。日本最古の戸籍。
物部の戸、とか秦の戸(これは帰化人だろうな)とか、各家の戸主、嫡子、何々刀自、、、等々、名前や年令が書いてある物。1200年以上前の日本、その時代をこの人たちは生きていたんだなあ、、あたりまえだけれど。きっと私たちとおなじように家族むつまじかったり、争ったり、喜びがあり苦労があり、悲しみもあったことだろう。その時代を生きた人たちの息づかいまで想像してしまった。

博物館を出て、すぐ北側にある古美術中上さんにまたしても吸い寄せられ、、、、よい出会いがありました。財布はかなり損傷をうけましたが(^_^;

近鉄奈良駅からならまちを通りぬけていく道々にもポスターが。
毎年ポスターになる目玉はけっこう色彩の派手なキャッチーな展示がおおいのですが、今年はなんかちょっと

、、、のせいかどうか、全然並ばずにはいれて、館内も例年に比べればすいています。数年前の瑠璃杯のときは二重に行列ができていたのにね。

ちなみにこのポットみたいなのは漆胡瓶。ペルシアの影響を受けたデザインで中国・唐代のもの。聖武天皇遺愛の水注なのです。XP写真でどうやら薄い板をくるくる巻き上げて(巻胎)形作ってその上に漆を塗り固め、表面に金属の象嵌をほどこした、ということがわかるそうです。
木製だから多分軽い手取りなんでしょうね。
鹿とか鳥とか、草花の象嵌はきれいなんだけれど、いかんせん、色がくすんであまりはっきりしない。ところが同時に展示されているXP写真にはしびれましたよ。金属の象嵌はエッジもシャープに、ほかの部分はきれいに透過され、なんてリズミカルに美しい!
ちょっとだけ月刊「ならら」の写真を。

いつも正倉院展にくるたびに思うけれど、美術工芸の技術も意匠もこの時代にほぼ完成して、現代に到るまでのそれはその模倣でしかないのじゃないのかと。

(猿沢の池の鷺)
粉地金銀絵八角長几(供物を載せる台)の華足の彫りのデザインなんか見ていると、たかが台の足にここまで情熱をかたむけるか?と思うほどの装飾性。
今回いいな、と思ったのは大幡残欠+大幡足+大幡脚端飾。
今でも東大寺で法要があるときに空にはためく幡。(これこれ ↓ こんなやつのもっと大きいの)

(2年前の東大寺華厳茶会の時の画像)
これよりはるかに長く大きな幡だったようで、この残欠が残っているんだよね〜。幅はゆうに1mをこえていると思う。縁どりが羊毛糸?のようにみえたが、細かい織物になっていて、こんなニット、今でもあるよね、って言う感じ。
大幡脚(下になびく長い複数の帯)がまたきれいで、展示されていたのは赤・黄・紫・緑。なかでも赤の赤がほんまに鮮やかで、1200年以上前の染色とはとても思えない。
この大幡は757年、聖武天皇一周忌法要に使われたものという。この鮮やかで巨大で美しくきらびやか(当時)な大幡が空にはためいていたなんて、なんてすばらしいスペクタクルだったことだろう。日本人でよかった。

予習復習にかかせぬ月刊「ならら」。この表紙が今回の展示物のモチーフになっている。ここにも載っている小鳥はせいぜい10円玉くらいの大きさの象牙彩色(撥鏤・ばちる)のおそらく装飾品。これもかわいかったな。

(ミュージアムレストランでいただいた正倉院展記念特別薬膳弁当。この包み紙にもモチーフが)
いつもは古文書類はスルーするのですが、ちょっと足をとめて見たのが「続修正倉院古文書」。日本最古の戸籍。
物部の戸、とか秦の戸(これは帰化人だろうな)とか、各家の戸主、嫡子、何々刀自、、、等々、名前や年令が書いてある物。1200年以上前の日本、その時代をこの人たちは生きていたんだなあ、、あたりまえだけれど。きっと私たちとおなじように家族むつまじかったり、争ったり、喜びがあり苦労があり、悲しみもあったことだろう。その時代を生きた人たちの息づかいまで想像してしまった。

博物館を出て、すぐ北側にある古美術中上さんにまたしても吸い寄せられ、、、、よい出会いがありました。財布はかなり損傷をうけましたが(^_^;
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