秋の松殿山荘特別公開 - 2016.11.26 Sat
宇治の木幡で電車をおりると、、、

やっぱり、ここは宇治。茶畑が広がる。そこからさらに歩く。

平安時代、藤原基房がここにいとなんだ別業・松殿。その跡地に大正年間、高谷宗範が数年掛けて作り上げた茶の湯のための広大な夢の跡、松殿山荘へ続く道も紅葉。

以前来たときは大広間だけで失礼した。
その後宗範の山荘流をついでおられる曾孫さんの茶事によばれる機会があり、松殿山荘の記念茶会の古いアルバムなども拝見させていただき、また機会があれば行って見たいものだと思っていたので、2日間だけの秋の特別公開にいさんででかけたのだ。

大玄関。
大阪・天王寺屋五兵衛(「あさがきた」で山王寺屋のモデルになった没落した大商家)の屋敷の玄関を移築した物。
以前書いた記事の繰り返しになるが、高谷宗範について簡単に。

大玄関からの眺め。
宗範はもともと検事・弁護士であった。茶道は主に遠州流を学んだそうだが、後に自分の流派・山荘流を設立した。
儒教的礼儀・道徳としての茶道振興を求め国を発展させる、という「茶道経国」をとなえた。そのために「広間書院の台子茶」を復活、厳格きわまりない茶道をめざしたところから、当時の鈍翁や箒庵などの茶道を趣味・教養ととらえ草庵の佗茶を好む近代数寄者とはソリがあわなかったらしい。
特に高橋箒庵(「大正名器鑑」書いた人)とは「高谷宗範高橋箒庵両先生茶道論戦公開状」に残されているような大げんか(?)をしたようだ(^◇^;)

30畳プラス26畳の鞘の間(まわりを取り囲んで使ったり使わなかったりできる)の大書院。
畳の傷みが激しいが、あまりにも数が多くて、新しくするにも厖大な費用がかかりすぎてそのまま。それでも使用に耐えうるのはよほど高品質の畳なのだろう。

大書院の床の間周辺。
床柱が天王寺屋五兵衛の屋敷の大黒柱。
襖の意匠も宗範自ら考え、京都の表具屋に作らせたものだそうだ。

広間と鞘の間の間の敷居の溝に滑りやすい材を埋め込み。また節無しの五間鴨居とか、建築やってる人にはたまらんだろうね。

鞘の間。
おりしも紅葉まっさかりで、広間からの眺めも最高であった。
そしてこの山荘に宗範はいろんなタイプの茶室、それも凝りに凝った物を17も!作ったのだ。

そのうちの一つ春秋亭。
山道を通って塀に囲まれた茶室に到る、、、という風情。紅葉が美しい。

茶室はそれぞれ趣がちがうのだが、中でも天井の意匠はどの部屋も面白い。これなんかかなりモダン。しかも網代に囲まれていて、(遠州流をならっていただけに)がっつり遠州七宝紋。

中書院にいたるまでいくつかの部屋が不規則な配置で並び、まるで迷路のよう。次にどんな意匠の部屋があらわれるのかワクワクする。宗範のお孫さんたちの子供時代はここですごしたご記憶があるとのこと、実にウラヤマシイ話だ。
鴨居の上の窓が円形なのがおしゃれだが、宗範は「心は円なるを要す、行いは正なるを要す」という方円の考えをもっていたそうで、その現れらしい。庭の踏み石もそういえば○□、、、だったな。

中書院周辺の眺め。

桂離宮もびっくりの中書院の棚。欄間も天井も凝りに凝っていた。

お手洗いのなにげない空間にまで宗範の思いがこもる。

7畳の茶室・楽只庵。これも元、天王寺屋の茶室。
床柱が蔵の轆轤だったとか。早い時間にいったので、ここでしばし独座する。気持ちよい。

茶室から露地の眺め。
しかし、天王寺屋って、どれだけすごい豪商だったんだろう。明治以降没落して末裔がどうなったか、不明なんだそうだ。(朝ドラではみかん農家になってたけれどね)

露地側から見た茶室。ここにも方円。

茶室はそれぞれといっていい個別の露地・蹲居を持っているのがなんといっても贅沢。

特別公開日は宗範の曾孫さんによる山荘流の茶会がおこなわれる。その茶席になったのが前出の天王寺屋の大広間であった天五楼。この窓からの景色がすばらしい。よい季節にあたった。

池にせり出す形のその名も蓮斎。ここからの眺めがまたすばらしく、一歩足をふみいれるとだれもが「ほ〜っ!!」と感嘆する。

ちなみに庭側から見るとこんな風。

室内探検を終えて広大な庭に出る。あまりに広いうえ、視界を上手にさえぎっているので(ここらへん桂離宮っぽい)ほんとに迷子になりそうだった。
この太鼓塀は春秋亭を囲むもの。すてきな落ち葉の道だ。
踏みわけて さらにやとはむ もみぢ葉の ふり隠してし 道とみながら (古今集・詠み人知らず)

蹲居にも降り敷き降り沈む落ち葉。

葉っぱのおちる音まで聞こえそうな静寂。

ここだけぽつんとはなれた(多分)撫松庵。金閣寺夕佳亭写しだそうだが、ここはまだ修復が入っていなくて傷みがはげしく、中はうかがい知ることができない。しかし、この眺めだけでも最高だ。

眺望閣も実は18畳の茶室。天気の良い日に上れば遙かアベノハルカスまで見えるそうだ。

その上った茶室からの景色がこれ。反対側に比叡山、愛宕山、石清水八幡宮までみえる(らしい。どこかようわからんかった)

気持ちの良い広さに、まさにたけなわの秋をプラスして、庭を散策するのはとても幸せな時間。

最後に天王寺屋五兵衛の茶室を引いてきたという○(?こんな漢字知らんというくらいむつかしい字で読めない)松庵の中門を見つつおいとました。

やっぱり、ここは宇治。茶畑が広がる。そこからさらに歩く。

平安時代、藤原基房がここにいとなんだ別業・松殿。その跡地に大正年間、高谷宗範が数年掛けて作り上げた茶の湯のための広大な夢の跡、松殿山荘へ続く道も紅葉。

以前来たときは大広間だけで失礼した。
その後宗範の山荘流をついでおられる曾孫さんの茶事によばれる機会があり、松殿山荘の記念茶会の古いアルバムなども拝見させていただき、また機会があれば行って見たいものだと思っていたので、2日間だけの秋の特別公開にいさんででかけたのだ。

大玄関。
大阪・天王寺屋五兵衛(「あさがきた」で山王寺屋のモデルになった没落した大商家)の屋敷の玄関を移築した物。
以前書いた記事の繰り返しになるが、高谷宗範について簡単に。

大玄関からの眺め。
宗範はもともと検事・弁護士であった。茶道は主に遠州流を学んだそうだが、後に自分の流派・山荘流を設立した。
儒教的礼儀・道徳としての茶道振興を求め国を発展させる、という「茶道経国」をとなえた。そのために「広間書院の台子茶」を復活、厳格きわまりない茶道をめざしたところから、当時の鈍翁や箒庵などの茶道を趣味・教養ととらえ草庵の佗茶を好む近代数寄者とはソリがあわなかったらしい。
特に高橋箒庵(「大正名器鑑」書いた人)とは「高谷宗範高橋箒庵両先生茶道論戦公開状」に残されているような大げんか(?)をしたようだ(^◇^;)

30畳プラス26畳の鞘の間(まわりを取り囲んで使ったり使わなかったりできる)の大書院。
畳の傷みが激しいが、あまりにも数が多くて、新しくするにも厖大な費用がかかりすぎてそのまま。それでも使用に耐えうるのはよほど高品質の畳なのだろう。

大書院の床の間周辺。
床柱が天王寺屋五兵衛の屋敷の大黒柱。
襖の意匠も宗範自ら考え、京都の表具屋に作らせたものだそうだ。

広間と鞘の間の間の敷居の溝に滑りやすい材を埋め込み。また節無しの五間鴨居とか、建築やってる人にはたまらんだろうね。

鞘の間。
おりしも紅葉まっさかりで、広間からの眺めも最高であった。
そしてこの山荘に宗範はいろんなタイプの茶室、それも凝りに凝った物を17も!作ったのだ。

そのうちの一つ春秋亭。
山道を通って塀に囲まれた茶室に到る、、、という風情。紅葉が美しい。

茶室はそれぞれ趣がちがうのだが、中でも天井の意匠はどの部屋も面白い。これなんかかなりモダン。しかも網代に囲まれていて、(遠州流をならっていただけに)がっつり遠州七宝紋。

中書院にいたるまでいくつかの部屋が不規則な配置で並び、まるで迷路のよう。次にどんな意匠の部屋があらわれるのかワクワクする。宗範のお孫さんたちの子供時代はここですごしたご記憶があるとのこと、実にウラヤマシイ話だ。
鴨居の上の窓が円形なのがおしゃれだが、宗範は「心は円なるを要す、行いは正なるを要す」という方円の考えをもっていたそうで、その現れらしい。庭の踏み石もそういえば○□、、、だったな。

中書院周辺の眺め。

桂離宮もびっくりの中書院の棚。欄間も天井も凝りに凝っていた。

お手洗いのなにげない空間にまで宗範の思いがこもる。

7畳の茶室・楽只庵。これも元、天王寺屋の茶室。
床柱が蔵の轆轤だったとか。早い時間にいったので、ここでしばし独座する。気持ちよい。

茶室から露地の眺め。
しかし、天王寺屋って、どれだけすごい豪商だったんだろう。明治以降没落して末裔がどうなったか、不明なんだそうだ。(朝ドラではみかん農家になってたけれどね)

露地側から見た茶室。ここにも方円。

茶室はそれぞれといっていい個別の露地・蹲居を持っているのがなんといっても贅沢。

特別公開日は宗範の曾孫さんによる山荘流の茶会がおこなわれる。その茶席になったのが前出の天王寺屋の大広間であった天五楼。この窓からの景色がすばらしい。よい季節にあたった。

池にせり出す形のその名も蓮斎。ここからの眺めがまたすばらしく、一歩足をふみいれるとだれもが「ほ〜っ!!」と感嘆する。

ちなみに庭側から見るとこんな風。

室内探検を終えて広大な庭に出る。あまりに広いうえ、視界を上手にさえぎっているので(ここらへん桂離宮っぽい)ほんとに迷子になりそうだった。
この太鼓塀は春秋亭を囲むもの。すてきな落ち葉の道だ。
踏みわけて さらにやとはむ もみぢ葉の ふり隠してし 道とみながら (古今集・詠み人知らず)

蹲居にも降り敷き降り沈む落ち葉。

葉っぱのおちる音まで聞こえそうな静寂。

ここだけぽつんとはなれた(多分)撫松庵。金閣寺夕佳亭写しだそうだが、ここはまだ修復が入っていなくて傷みがはげしく、中はうかがい知ることができない。しかし、この眺めだけでも最高だ。

眺望閣も実は18畳の茶室。天気の良い日に上れば遙かアベノハルカスまで見えるそうだ。

その上った茶室からの景色がこれ。反対側に比叡山、愛宕山、石清水八幡宮までみえる(らしい。どこかようわからんかった)

気持ちの良い広さに、まさにたけなわの秋をプラスして、庭を散策するのはとても幸せな時間。

最後に天王寺屋五兵衛の茶室を引いてきたという○(?こんな漢字知らんというくらいむつかしい字で読めない)松庵の中門を見つつおいとました。
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● COMMENT ●
檆松庵(さんしょうあん)でしょうか。「檆」は,杉のことらしいです。
無茶様
そうそうそれ!!
その文字が文字パレットで、でてこなかったの、、、
その文字が文字パレットで、でてこなかったの、、、
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