遠州流の雛の茶会と大圓庵復元〜大徳寺・孤篷庵 - 2017.03.08 Wed

大徳寺の本堂の方からず〜っと西へ石畳をたどっていくと小堀遠州の名茶室・忘筌で有名な孤篷庵がある。
ここは5月に小堀遠州忌茶会がおこなわれるので、なんどか来たことがある。
今年は、この春めいた季節、遠州流の女流茶人・堀江先生(幽水会)の雛の茶会に行ってきた。
堀江先生は、亡くなられたご主人が古筆研究者・書道史家の故堀江知彦氏で遠州流の重鎮であらせられる。御夫君は生前(我が敬愛する)会津八一さんとも交流があったという話を聞き、お目にかかるのははじめてながらなんだか親しい気持ちがした。
今回お道具もすばらしいとお聞きしていたが、孤篷庵の中に復元中の松平不昧公ゆかりの茶室・大圓庵の工事中の姿をみせていただけるのも楽しみに。

さて、孤篷庵。
小堀遠州がもともと龍光院内に建立した庵で、孤篷とは一艘の苫舟の意。
1793年の火災により焼失するが、遠州を崇敬した不昧公が、古図に基づき再建したので、ここは雲州と切っても切れない縁がある。
しかも来年は不昧公没後200年、松江では大きなお茶がらみのイベントがあるらしく、私の入った席には松江市長はじめ観光局長などなどの松江からのご一行様がたくさんおみえになっていた。
びっくりしたのは庭という庭にびっしり敷松葉がほどこされていたこと。見事なり!(植木屋さん、大変やったろうなあ)

さて、堀江先生の今回のテーマは「熟女(といっていいのか?)のお雛様」とか(^_^;
待合に掛けられていたのは草子洗小町の絵。(お能では有名な演目)瑪瑙の柄の火箸や、白鳥と孔雀のあの玉虫色の部分を組み合わせた羽根など、優美な炭道具を拝見。
濃茶席は書院の直入軒と小間の山雲床をつなげて、桜の小袖をお召しの堀江先生が練られた。小柄な方なのになんという迫力、、、
ここのなによりのご馳走は、山雲席の古い障壁画に囲まれた小さな暗い床に掛けられた定家の小倉色紙!!
しかもしかも小野小町ですよ(;゜0゜)
あの「花の色は うつりにけりな、、、」のやつですよ。こんなものが実際の茶席にかかっているのが見られるなんて!
しかも古筆の専門家でもあった御夫君の鑑定付き。
中回しが刺繍もはいった小袖の裂と思われるのもまた優美で。
お雛様らしく優美な遠州流の飾り紐のついた棚を使おうとされたそうだが、こちらに来て向切であることに気づき、断念されたとか。でもとの棚は山雲床の席に飾られていて、たしかにみやび綺麗さび。うちの流派ではこのような棚はない。
主茶碗は粉引で、銘を「西王母」とされたが、使っているうちにだんだん肌に錆のような模様が出てきたため、後に有馬頼底猊下が「成龍」と追い銘をつけられたもの。今、窯からだしたばかりと思えるくらいつやつやの美しい茶碗であった。
お菓子が、これも雲州所ゆかり、松江の三英堂さんの「桃花」。露をふくんだおしべの表現が美しかった。

薄茶席はかの忘筌。(ここは客よりも亭主が一番良い景色を眺められる茶室なのだ。)
とにかくびっくりしたのは床いっぱいにのびた青竹の上から枝垂れ桜、途中にソメイヨシノ系の桜が入れられていたこと。まるで床の天井から花の雨が降り注いでいるような錯覚をおぼえる。この桜は奄美大島からおくってもらったものとか。
薄器の嵯峨棗は枝垂れ桜と柳の意匠なので、一足早く花見を楽しませてもらった。迫力ありすぎる花入れの足元に、こちらはかえって小さく愛らしい祥瑞の香合は枕型で、花見をしながらちょっとうたた寝でもしようか、の意か。
大名にだすような大きな蒔絵の高坏に盛られた干菓子は、三英堂さんの「不昧公お好み三大菓子」のひとつ、「菜種の里」。黄色い浮島のようなお菓子でなんどかいただいたことがある。(ちなみに残りの二つは「山川」と「若草」)

本堂で点心を美味しく頂戴した後は、お楽しみの復元中の大圓庵見学。
大圓庵は不昧公がに自らの京都での菩提所とするために建てた庵で、仏間だけでなく、広間や小間の茶室を備えていたという。生前席披きの茶会をしたが、その翌年に不昧公は亡くなられ、その直後に焼失したまま、ペリーの黒船来航などの不安定な時代背景のため再建されることがなかった。
しかし孤篷庵と不昧公のお膝元松江に古図が残っていたため、来年の200回忌に合わせて有志をつのり復元にのりだしたのだそうだ。
建物の外観はほぼ完成。
まだ工事中ゆえ、あちこち養生がしてあって、障子も畳もない状態ながら、八畳の広間、二畳の小間+二畳の次の間、水屋、物置、そして茶室にもなる丸炉のあるフリースペース三畳がよみとれる。
スリッパをはいて中までいれてもらった。
解説は復元を担当している山科の方の数寄屋建築の棟梁であり建築士でもあるお若い方。監修は中村昌夫先生。

広間は一番不昧公の趣味炸裂という感じで、如庵みたいな点前座の前のアーチ型窓の板があったり、天井を斜めに切って、点前座を一番格の高い真の鏡板、本来一番格の高いはずの床前を草の網代、客座を行の竿縁にしたりする。点前座が一番よい席なのは忘筌と同じ、やっぱり大名のプライドか。
床柱は棟梁が山で拾った流木、これをナグリにして拭き漆。畳が入ったらどんな感じになるか一番わくわくする茶室。
小間の風炉先窓には細い矢竹を詰め打ちしているのが斬新。洞床に袖壁付き。炉は出炉になるとか。天井は幅広のへぎ板で、孤篷庵に残されていた遠州時代のものなのだそうだ。
廊下の天井板はなんと桐だった。
どこだったか忘れたが、舟板を使っている箇所があって、孤篷=苫舟からふさわしかろう、というアイデア。
一番面白いのが三畳の間。
ここだけは棟梁のユニークなアイデアでデザインした水屋にも使え、茶室にも使えるスペース。火灯窓を三分の二にぶった切った窓がおもしろい。
天井は化粧天井裏で竹の抑え、はっきりした空間のしきりを作らないための蹴込み床で、落掛のかわりに、ここを復元するにあたって切らなければならなかった裏の椿の木を使っている。これも棟梁のアイデア。
来年には完成の予定だが、完成した姿も是非拝みたいものである。そこでのお茶会ならもっとうれしいが。
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● COMMENT ●
堀江恭子先生の著書に「墨艶」があり、堀江知彦氏との出会いや生活、会津八一との交流のことなどが出てきます。
そらいろつばめ様
墨縁でなくて墨艶というところが、ご本人にお目にかかって納得です。
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