海北友松〜京都国立博物館 - 2017.04.24 Mon
そもそも数年前まで海北友松の名前、知らんかったよ。
茶道検定のテキストに載っていた茶摘みの図の作者が海北友泉で、海北と書いて「かいほう」と読むなんてかわってるな〜と思ったくらいで。
ちなみに友泉は友松から3代あとになる。

友松はもともと信長に滅ぼされた浅井家家臣の武士だったが禅門にはいり、最初狩野派の教えを受けたという。時代的には安土桃山〜江戸初期、狩野永徳よりは後、長谷川等伯とほぼ同時代か。

展示の第二章〜交流の軌跡のブースで、どれだけ芸術界の綺羅星たちと彼は交流があったのか、とそのすごさにビックリする。
たとえば、、、桂離宮の八条院智仁、その兄の後陽成帝、公家で歌人の中院通勝、古今伝授の細川幽斎、茶道界では利休の弟子(?)であった真如堂の東陽坊などなど。
特記すべきは明智光秀の家老であった斉藤利三との交遊。謀反人として磔にされていた遺体を奪って手厚く埋葬したという伝説もあるほど。その恩に報いて利三の娘である春日局が、後に息子の友雪をとりたてている。
展示では瀬戸肩衝茶入「真如堂」があったのがうれしい。
東陽坊伝来といわれ、友松はその真如堂に、斉藤利三の隣に埋葬されているのだ。

しかしなんといっても友松の一番有名な仕事は建仁寺大方丈障壁画52面。
そのデビューは60才をこえてから、というから遅咲きのスターであったようだ。(うん、うちらもまだまだ行ける!、、、はず)
照明を落とした部屋に二体の雲龍図。
これがやっぱり今回の展示の目玉というか圧巻というか。不明にして正直、同時代の他の絵師との違いがあまりわからなかったのだが、この雲龍だけはすごい!と思う。
怖ろしいくらいの顔であるが、実は瞳があっさり点なのだ。なのにこのにらまれる迫力は何?
胴体は雲に途切れ途切れ、その全体像がみえないところがまた畏い。手足の爪がまたすざまじい。右双の雄龍の角が枝分かれして力強い迫力があるのに対して、左双の伏龍か雌龍、角があっさり、口も閉じているがこちらも迫力が負けないのはなぜだろう。
この暗い部屋で、龍の鳴き声さえ聞こえるような気がした。(ゴジラの声になるのはなぜ???)

雲龍のように勢いのある筆でさっと描いた墨絵が多いと思っていたら、、、、突然華やかな牡丹の細密画、金碧屏風が目に飛び込んできた(花卉図屏風)。こんな緻密な色彩画も描けるんだ。友松、70才にして妙心寺の屏風に描いたもの。この人、年をとって衰えると言うことを知らない。

晩年のやや小さめの北野天満宮の雲龍図は、迫力こそ建仁寺の比ではないが、あれを描いてから数十年、なぜかとぼけた味わいが加わり、更に言うなら龍を離れて異形のものになっている。照明を落とした暗い中で対峙すると、やはりここでも龍の鳴き声が聞こえたような気がした。もっとやわらかな、やさしい、、、
茶道検定のテキストに載っていた茶摘みの図の作者が海北友泉で、海北と書いて「かいほう」と読むなんてかわってるな〜と思ったくらいで。
ちなみに友泉は友松から3代あとになる。

友松はもともと信長に滅ぼされた浅井家家臣の武士だったが禅門にはいり、最初狩野派の教えを受けたという。時代的には安土桃山〜江戸初期、狩野永徳よりは後、長谷川等伯とほぼ同時代か。

展示の第二章〜交流の軌跡のブースで、どれだけ芸術界の綺羅星たちと彼は交流があったのか、とそのすごさにビックリする。
たとえば、、、桂離宮の八条院智仁、その兄の後陽成帝、公家で歌人の中院通勝、古今伝授の細川幽斎、茶道界では利休の弟子(?)であった真如堂の東陽坊などなど。
特記すべきは明智光秀の家老であった斉藤利三との交遊。謀反人として磔にされていた遺体を奪って手厚く埋葬したという伝説もあるほど。その恩に報いて利三の娘である春日局が、後に息子の友雪をとりたてている。
展示では瀬戸肩衝茶入「真如堂」があったのがうれしい。
東陽坊伝来といわれ、友松はその真如堂に、斉藤利三の隣に埋葬されているのだ。

しかしなんといっても友松の一番有名な仕事は建仁寺大方丈障壁画52面。
そのデビューは60才をこえてから、というから遅咲きのスターであったようだ。(うん、うちらもまだまだ行ける!、、、はず)
照明を落とした部屋に二体の雲龍図。
これがやっぱり今回の展示の目玉というか圧巻というか。不明にして正直、同時代の他の絵師との違いがあまりわからなかったのだが、この雲龍だけはすごい!と思う。
怖ろしいくらいの顔であるが、実は瞳があっさり点なのだ。なのにこのにらまれる迫力は何?
胴体は雲に途切れ途切れ、その全体像がみえないところがまた畏い。手足の爪がまたすざまじい。右双の雄龍の角が枝分かれして力強い迫力があるのに対して、左双の伏龍か雌龍、角があっさり、口も閉じているがこちらも迫力が負けないのはなぜだろう。
この暗い部屋で、龍の鳴き声さえ聞こえるような気がした。(ゴジラの声になるのはなぜ???)

雲龍のように勢いのある筆でさっと描いた墨絵が多いと思っていたら、、、、突然華やかな牡丹の細密画、金碧屏風が目に飛び込んできた(花卉図屏風)。こんな緻密な色彩画も描けるんだ。友松、70才にして妙心寺の屏風に描いたもの。この人、年をとって衰えると言うことを知らない。

晩年のやや小さめの北野天満宮の雲龍図は、迫力こそ建仁寺の比ではないが、あれを描いてから数十年、なぜかとぼけた味わいが加わり、更に言うなら龍を離れて異形のものになっている。照明を落とした暗い中で対峙すると、やはりここでも龍の鳴き声が聞こえたような気がした。もっとやわらかな、やさしい、、、
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● COMMENT ●
しえるさん、お早うございます!!京博の「海北友松展」行かれたのですね!!前、京都に行った時建仁寺の襖絵で素晴らしい龍の絵を見てからもっと見てみたいと思っていました。この前の日曜美術館でも紹介されていましたね!!私、5/10姉夫婦と私たち夫婦で京博まで見に行くつもりです。その前に奈良博の「快慶展」を見ます!楽しみです!
MS様
当時の70才って今の80〜90才くらい???
もう若くない、と思った時点で若くなくなるとか。
もう年だから、、という言い訳は封印せんとあかんな、と思いました。
よき京都の一日、満喫されたようでなによりです。
またお越しやす〜(^o^)
もう若くない、と思った時点で若くなくなるとか。
もう年だから、、という言い訳は封印せんとあかんな、と思いました。
よき京都の一日、満喫されたようでなによりです。
またお越しやす〜(^o^)
みゅうぽっぽ様
初夏、緑陰の候、よい時期に御上洛、楽しい時間をすごされますよう。
私は反対にいつ東博へ行こうかとスケジュール調整中。
見たい物を見ようと思えば3回は行かないといけない、、、らしいです。
それは無理だし。
残念ながら静嘉堂の曜変天目はみられそうもありません(>_<)ゞ
私は反対にいつ東博へ行こうかとスケジュール調整中。
見たい物を見ようと思えば3回は行かないといけない、、、らしいです。
それは無理だし。
残念ながら静嘉堂の曜変天目はみられそうもありません(>_<)ゞ
海北友松展の記事、ありがとうございます。京都でのお茶三昧の素敵なお暮らし、ただただ、すごいなあと拝見しています。出身大学とか出身地(私は宝塚そだちで、岡山市や京都市にも住んでいた)で一方的に親近感を覚えています。いつか黙楽庵さんあたりの縁でお目にかかれればいいななどと。茶の湯展、結構人が多いので平日がおすすめです。
もすりん様
おや、住んでいた場所がえらくかぶってる(^◇^;)
そんな方もいらっしゃるのですね、コメントありがとうございます。
記事を書いているとどれだけ遊んでんだ?!と思われるかもしれませんが、ふだんは地味にちゃんと仕事をしておりますゆえ、、、(^_^;
にいさん茶会に行かれた折りにまたすれちがうかもしれません。
その時にはひとつよろしゅうに。
そんな方もいらっしゃるのですね、コメントありがとうございます。
記事を書いているとどれだけ遊んでんだ?!と思われるかもしれませんが、ふだんは地味にちゃんと仕事をしておりますゆえ、、、(^_^;
にいさん茶会に行かれた折りにまたすれちがうかもしれません。
その時にはひとつよろしゅうに。
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しぇるさんのきれいな桜の写真にひかれて、桜と京博、目的で、出かけました。すごい充実した展示で、満足、最後はこれでもかという感じでした。還暦すぎて、まあこれからは、楽しく生きていこうと思っていたわたしに、死ぬまで精進といっているようでした。歩いて、桜を楽しみ、開化堂カフェにより、満足、満足の一日。
今後も、いろいろ、教えてくださいね。