西賀茂散歩〜つづき - 2017.08.01 Tue
二つ前の記事、神光院に続いて西賀茂特集(?)続きです。ここらへんあんまり来ることないからね。

上賀茂神社の摂社だけれど、場所から言うとぎりぎり西賀茂かな、久我神社。
実はこの神社のことはまったく知らなかった。

武者小路千家の木津宗匠の献茶式にでかけて初めて知ったようなあんばい。

御祭神は賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)。その娘が賀茂御祖神社(下鴨神社)の御祭神・玉依媛なので、その子の賀茂別雷命(上賀茂神社)のおじいさんになるのね。
『山城国風土記』によるところ、もともと出雲の一族であったものを、神武天皇東征の折、八咫烏の姿で先導をした後、そのほうびとして山城に土地をたまわった、、、、という。
その子孫が賀茂氏、歴代上賀茂・下鴨の両神社の神職をつとめたという、、、いまでも賀茂氏の流れをくむ家は残っているそうで、京都ってこわい。

これはまったくの余談だが、献茶式でいただいた点心が、予約がないと買えない百万遍近くの中村屋の助六弁当であったのに感激!(きつねのお揚げの味が濃いのが私好み)

さて、ここから先日の神光院の続きなんだが、そこをさらに西へ、山の方へむかっていくとまず見えてくるのが大将軍神社。
桓武天皇が平安京を造った時に、王城鎮護のため京都の四方に「大将軍神社」を祀ったので、京都には他にも大将軍神社があるが、ここは北方に造られたもので西賀茂大将軍とよばれているそうだ。

人っ子ひとりいない鎮守の森にかこまれたひっそりとしたお社。御祭神は磐長媛とか。
美人の木花開耶のお姉さんで、天孫(ににぎの尊)に美しくないからといって送り返されたために人間に寿命ができてしまった、、、という神話ありますね。

外構に守られた檜皮葺の本殿は建築が天正年間、ここへの移築が寛永年間という賀茂一帯では一番古い社殿なのだそうだ。

ここからさらに西、のどかなヒマワリ畑もある田園風景。

こちら来迎山西方寺。(ちなみに西方寺は京都にいっぱいある)浄土宗のお寺で、六斎念仏の寺なんだそうだ。 五山送り火の船形万燈籠を管理するお寺。そうか、舟形はこのあたりなのか。

西方寺が管理する小谷墓地。
いや、いよいよ、だんだんひとけがなくなってきたわ。

墓地の前に広がる池には睡蓮。

ここの一角に先日お見せした蓮月さんのお墓があるのだ。

標識があるので、簡単にたどりつけるよ。
ヤブ蚊にかまれながら、、、

蓮月さんをしのんで手をあわせる。
あなたが短くない時間を住まいした岡崎から参りました。
この墓地のそばから裏道をとおって正伝寺に向かう道。

ここもだれにも会わずちょっとどきどき。
ぱっと開けた土地が見えたのでのぞいてみると、、、、ありゃ!これはどう見てもゴルフ場!
ちょっと雰囲気こわすな〜。

観光客ぎゅうぎゅうの嵐山よりよほど良い感じの竹林の径もあるよ。(お墓が苦手な人にはお勧めしない。)

法雲寺の大きな観音様の立像を(平成の建立)眺めつつ、やっとたどりつく正伝寺(正伝護国禅寺)。

臨済宗南禅寺派の禅宗のお寺で、創建は鎌倉時代にさかのぼるという。

伝・小堀遠州の「獅子の子渡し庭園」
この中央あたりに比叡山の借景があるというが、、、、、、残念ながら小雨もようでまったく見えない、、、
とても静か、、、
他にはだれもいないだろうと思ったらお一人参拝の方がおられた。

方丈の広縁の天井は伏見城の血天井といわれる。これも京都市内各所にある。

庭園の一画に「正伝寺」と刻んだ石が。なにか歴史的いわれがあるのだろうか。
本堂には狩野山楽の襖絵もある。

雨もぱらつくことだし、ここでしばしのんびりすごすのもまた善き哉。

これだけを行き帰りずっと歩いた。
ごほうびに?賀茂街道に出る直前にある干琥珀がおいしい霜月さんによって帰ろう。

ほんまにここの柚子蓼干琥珀は甘ったるくなくて、さわやかで美味しい。琥珀の中ではピカイチだと思う。
年末にはこれまた絶品の甘酒琥珀がでるので、今年は忘れずに買いにこなければ。

上賀茂神社の摂社だけれど、場所から言うとぎりぎり西賀茂かな、久我神社。
実はこの神社のことはまったく知らなかった。

武者小路千家の木津宗匠の献茶式にでかけて初めて知ったようなあんばい。

御祭神は賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)。その娘が賀茂御祖神社(下鴨神社)の御祭神・玉依媛なので、その子の賀茂別雷命(上賀茂神社)のおじいさんになるのね。
『山城国風土記』によるところ、もともと出雲の一族であったものを、神武天皇東征の折、八咫烏の姿で先導をした後、そのほうびとして山城に土地をたまわった、、、、という。
その子孫が賀茂氏、歴代上賀茂・下鴨の両神社の神職をつとめたという、、、いまでも賀茂氏の流れをくむ家は残っているそうで、京都ってこわい。

これはまったくの余談だが、献茶式でいただいた点心が、予約がないと買えない百万遍近くの中村屋の助六弁当であったのに感激!(きつねのお揚げの味が濃いのが私好み)

さて、ここから先日の神光院の続きなんだが、そこをさらに西へ、山の方へむかっていくとまず見えてくるのが大将軍神社。
桓武天皇が平安京を造った時に、王城鎮護のため京都の四方に「大将軍神社」を祀ったので、京都には他にも大将軍神社があるが、ここは北方に造られたもので西賀茂大将軍とよばれているそうだ。

人っ子ひとりいない鎮守の森にかこまれたひっそりとしたお社。御祭神は磐長媛とか。
美人の木花開耶のお姉さんで、天孫(ににぎの尊)に美しくないからといって送り返されたために人間に寿命ができてしまった、、、という神話ありますね。

外構に守られた檜皮葺の本殿は建築が天正年間、ここへの移築が寛永年間という賀茂一帯では一番古い社殿なのだそうだ。

ここからさらに西、のどかなヒマワリ畑もある田園風景。

こちら来迎山西方寺。(ちなみに西方寺は京都にいっぱいある)浄土宗のお寺で、六斎念仏の寺なんだそうだ。 五山送り火の船形万燈籠を管理するお寺。そうか、舟形はこのあたりなのか。

西方寺が管理する小谷墓地。
いや、いよいよ、だんだんひとけがなくなってきたわ。

墓地の前に広がる池には睡蓮。

ここの一角に先日お見せした蓮月さんのお墓があるのだ。

標識があるので、簡単にたどりつけるよ。
ヤブ蚊にかまれながら、、、

蓮月さんをしのんで手をあわせる。
あなたが短くない時間を住まいした岡崎から参りました。
この墓地のそばから裏道をとおって正伝寺に向かう道。

ここもだれにも会わずちょっとどきどき。
ぱっと開けた土地が見えたのでのぞいてみると、、、、ありゃ!これはどう見てもゴルフ場!
ちょっと雰囲気こわすな〜。

観光客ぎゅうぎゅうの嵐山よりよほど良い感じの竹林の径もあるよ。(お墓が苦手な人にはお勧めしない。)

法雲寺の大きな観音様の立像を(平成の建立)眺めつつ、やっとたどりつく正伝寺(正伝護国禅寺)。

臨済宗南禅寺派の禅宗のお寺で、創建は鎌倉時代にさかのぼるという。

伝・小堀遠州の「獅子の子渡し庭園」
この中央あたりに比叡山の借景があるというが、、、、、、残念ながら小雨もようでまったく見えない、、、
とても静か、、、
他にはだれもいないだろうと思ったらお一人参拝の方がおられた。

方丈の広縁の天井は伏見城の血天井といわれる。これも京都市内各所にある。

庭園の一画に「正伝寺」と刻んだ石が。なにか歴史的いわれがあるのだろうか。
本堂には狩野山楽の襖絵もある。

雨もぱらつくことだし、ここでしばしのんびりすごすのもまた善き哉。

これだけを行き帰りずっと歩いた。
ごほうびに?賀茂街道に出る直前にある干琥珀がおいしい霜月さんによって帰ろう。

ほんまにここの柚子蓼干琥珀は甘ったるくなくて、さわやかで美味しい。琥珀の中ではピカイチだと思う。
年末にはこれまた絶品の甘酒琥珀がでるので、今年は忘れずに買いにこなければ。
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● COMMENT ●
高兄様
さすがに円通寺は遠すぎますよ(^_^;
しかし人も車も少なくて、のどかなよいところでしたわ、西賀茂。
しかし人も車も少なくて、のどかなよいところでしたわ、西賀茂。
宗旦の長男のお墓
いつも楽しく拝見させていただいております。
このゴルフ場の片隅に宗旦さんの長男のお墓があるのでは?
いつか大徳寺に移さなければと・・・何かで拝見したことが
ありますが。
このゴルフ場の片隅に宗旦さんの長男のお墓があるのでは?
いつか大徳寺に移さなければと・・・何かで拝見したことが
ありますが。
カルムメゾン様
ほんとだ!
調べたら宗拙は最後正伝寺に寄宿した、と書いてありました。
となると墓所もここなんでしょうね。はっきりとはわかりませんでしたが、このゴルフ場の片隅とわ!
宗拙さんもビックリ!
調べたら宗拙は最後正伝寺に寄宿した、と書いてありました。
となると墓所もここなんでしょうね。はっきりとはわかりませんでしたが、このゴルフ場の片隅とわ!
宗拙さんもビックリ!
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おお、
やはり正伝寺まで行かれたんですね~
まさか、この後、圓通寺!?