島原角屋〜秋期鑑賞会 - 2017.10.17 Tue
ご存じ、唯一島原に残る揚屋(料亭のようなもの、ちなみに輪違屋は置屋)建築の雄、角屋である。

なんとど迫力な総二階総格子!
400年の伝統に圧倒されるわ。
しかし、こんな夜の時間にこのあたりに来たのは初めてである。
今宵は秋の鑑賞会、太夫の舞と呈茶、一般公開の時には見る事ができなかった二階(これがまたすごいのだ)のガイド付き観賞。
もちろん現在は揚屋としての営業はなく、重要文化財として「角屋もてなしの文化美術館」となっているが、夜、格子の向こうに灯りがはいるとなんだか艶めいてみえるではないか。
まずは一階の大広間・松の間にて太夫の舞を観賞。
この扇の形の屏風留め、ちょっと萌える。
髪は島田髷、総重量いくらになるか見当も付かない簪、笄、櫛。
帯は前に「心」の字結び。蝋燭ではないが、夜にみるとなまめかしさアップだ。
舞は「茶音頭」
舞の中でお茶を点てる所作をするのだが、ちゃんと帛紗もつけて帛紗さばきもする。これが裏千家なのだ。島原は藪内と聞いていたがな。
ちなみに舞は角屋では京舞・篠塚流が仕切っている。
ここで舞を披露する人は、江戸初期に島原で活躍した流派の八千代太夫にあやかってその名をなのるのだそうだ。(だからこの方はほんとうの太夫さんではないと思う)
しかしまあ、絢爛豪華な衣裳。
舞妓さんなどとはまた違う華やかさ。ちなみに島原の太夫は当時の客筋、公家や皇族のもてなしもできる正五位の位をもっていたという。
松の間の前の臥龍の松。三代目らしい。
その奥に茶室あり。(ここだけはなかなかのぞけないらしい)
手前の茶室が曲木亭、その裏に藪内の清隠斎があるはず。
かつての揚屋建築にはかならず茶室がついていたのだそうだ。ここに集ったのは与謝蕪村などの当時の文化人たち。
松の間の床の間には岸駒の寒山拾得図。
ここも意匠がこらされた部屋なのだが、初めて二階へいって、こんなもんどころではない!とビックリしたのだ。残念ながら撮影はできなかったが。
(松の間の脇床の意匠)
襖が緞子張り(蝋燭の煤で真っ黒だが)の緞子の間、だまし絵みたいに御簾の襖絵に囲まれ一箇所だけほんものの御簾のかかる御簾の間(落掛が紫檀の曲木という贅沢さ!床の間の天井がカーブをえがいているのも斬新)、天井に扇面をちらした扇の間、天井、障子が檜垣紋でしかも障子の桟が削りだした曲線になっているのが印象的な檜垣の間、、、などいずれも夜見るのでさらに当時の雰囲気をよく再現していると思う。
(引き手はどこも蔦紋。角屋の紋が蔓三蔦紋)
中でも一番すごいな、と思ったのが青貝の間。
黒い漆喰(もとは浅葱色だったそうだが)にはめ込まれた吉祥紋の螺鈿、黒い漆塗の建具にもはめこまれる螺鈿。部屋の向きは南からの陽光をうけてさらに螺鈿が輝く設計だが、むしろ燈下にきらめく様の方が、妖しくて美しいかも知れない。対して天井は煤けた筵状、このコントラストがまたすばらしい。
二階は予約で見ることができるそうなので、百聞は一見にしかず、是非見に行ってほしいわ。
さて、二十八畳の網代の間でお呈茶。
お運びしてくれるのは袖につけた鈴の音も清々しく麗しい禿さんたち。
お隣に司太夫さんがお客さんとして来てはったので(もちろん普通のお着物姿)、太夫さんたちのお茶の流儀についてちょっとお伺いする。
呈茶は表千家。茶音頭の裏千家と、流儀の藪内と、呈茶の表千家が仲良くミックス(^_^;
お運びの禿さん。
これがその袖につけて,歩くたびにしゃらしゃら鳴る鈴。
だれがこんなカワイイ仕掛けを考えたのだろうね。
終了後は一階の調理場、配膳場、帳場などを見てまわる。
なにしろ料亭という扱いなので、料理や配膳は大切な仕事だったのだ。
こちらは3年前に撮った一般公開の時の写真がたくさんあるので、かるく撮影。
家紋・蔓三蔦紋の透かしのはいった衝立。
ここがかつて使用人にあふれ活気に満ちていた時代を想像する。
この蔓三蔦の暖簾は使用人の入り口に置かれた物、なぜか向こうの壁の上に広隆寺の牛祭のお面が、、??
来客用玄関の景色を楽しみながら、これにて夜の角屋においとましよう。
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