第二回開炉茶事〜正午 - 2017.11.20 Mon
今季二回目の開炉の茶事、このたびは正午にて。

(坪庭の千両が色づいてきた。ここまでくるとそろそろ野鳥がいつ丸坊主にしようかとタイミングをみはからっているのだ)
今回のお客様はみなさま手練れのお茶人さんばかり。ご自身で茶事もされればおよばれも多い。なかなか目も舌も肥えていらっしゃるので少々こわい。
(今期初火鉢)
お正客は庸軒流の方。
昨年お茶事にお招きくださったので、その御礼に。庸軒はいわずとしれた宗旦四天王の一人、我が家の近くの黑谷さん、西翁院にはその茶室、淀看の席がある。
(待合の陶俑さん、本日は銀杏の葉っぱ)
庸軒流のお点前はめったにみることができないので、興味津々であった。懐石は出し過ぎてはいけない、とか席中で客は帛紗を懐中しないが、帛紗ばさみにはかならず入れておくとか、質実剛健なイメージ。なかでも度肝をぬかれたのが茶巾の熱湯消毒であった。
(うちの紅葉は洛中最遅かもしれない、、、)
手にした茶巾にいきおいよく柄杓で熱湯をかける。茶巾を席中代えないので、まさに清潔にするための「熱湯消毒」であるそうだ。たしかに理にかなっている。
時にどろどろになった茶巾で、これで茶碗拭いていいのん?と思わないでもなかったから。
ただし、修練をつまないとやけどしそう。その茶巾を茶碗に入れるときにほどけるように投げ入れる感じがまた独特。
(丸葉ヒイラギが満開で、露地に出るととても佳い香りがする)
待合はお客様方お住まいの土地に所縁の酒井抱一、本席は啐啄斎の宗旦遺偈とした。宗旦忌も近い。
濃茶の茶碗が川上不白の箱なのだが、早くに父親如心斎を亡くした啐啄斎の後見になったのが如心斎一番弟子の不白であったのだ。
懐石は例によって写真を撮るひまもなく、、、
みなさま、懐石がお上手で美味しいのでわたしのナンチャッテ懐石はお恥ずかしいのだが。
桜の照葉は岡崎公園でいくらでもゲットできるのが、ここのいいところ。
これは朝の光の具合。時がうつるにつれ、影の位置も形も色も変わっていく。
前記事で自慢した、徐々にグレードアップしたふくべの炭斗。
織部は香合にしたので、灰器は古備前(伊部)。開炉に三べ(ふくべ・おりべ・いんべ)をだすのは千家系だけだというが。
(ちなみに前回の開炉の時には備前がなかったので、備前出身のワタクシが伊部のかわりに、、ということですませちゃった(^_^; )
お客様にお砂糖が健康の為によくない方がおられたので、若い茶友さんからおそわった干し柿の中にクリームチーズを仕込んだものを主菓子に。
これはほんまに美味しいので、干し柿の季節は普段でもつくって食べている。
(干菓子器に使った小引き出しのあるけんどん?)
濃茶の茶杓はいうまでもなく、9月の月釜、「菊慈童」のために入手した庸軒の「若水」。
庸軒が削り、数百年の時を経て、その流れを汲む方のお手に。
後炭もこなして、久々に輪胴をいれる。火のまわりが早いこと。やはり炉はいいね〜。
お干菓子は亀廣保さんのいちょう、ぎんなん、霜月さんの柿琥珀(先日の乙女から拝領)。
薄茶の茶杓は久田尋牛斎。なんとなれば庸軒は久田家出身なのだよ。
最後に、あの茶巾熱湯消毒がもう一度見たくて、お正客様にお点前所望。
こころよくお引き受けくださった。(おみ足がわるいので、椅子と建水台を特別に使用)
おお〜!!
やはり何度みても感動。しかもやけどもしない手練の技。一度席中でやってみようかな、これ。生兵法のナントやら、、になるかしら。
茶事がおひらきになるころにはあたりはもう日暮れ。日がおちるのがほんとうに早い。お気をつけておかえりを。一座建立、楽しゅうございました。
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● COMMENT ●
茶巾
山猫屋様
因幡にいまに残る茶道の方の志野流ですね。まだ拝見したことありませんが、いずれも古流なのでどこか似ているのかも知れません。今は香道ばかりでもうお茶はされてないのかなあ、志野流お家元は。
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似たような所作、志野流にもありますけど、ちょっと違います。
いつか庸軒流も拝見したいです!
懐紙の扱いやお茶をいただくときの挨拶も同じって言われましたし、
ほかに何が似てる点があるのか気になります♪