四ッ頭茶礼〜建仁寺・西来院 - 2017.11.29 Wed

ここは祗園。
なにやら艶っぽい界隈でありますが、、、、
おお、そうだそうだ、顔見世の季節だ。南座は工事中のため、今年はロームシアター(京都会館、、と言いたい、、)開催だったな。
というような、花街に隣接した禅院になろうとは、一体誰が想像しただろう。特に開山の栄西禅師。
鴨東はもともとは洛外であったものをのちに花街が越してきてかくなることになったと聞いた。
茶の実もすっかりはじけている建仁寺の茶の木の生垣。
建仁寺では毎年四月、栄西忌に四頭茶会がおこなわれ、私も2回ほど行ったことがあるのだが、このたび塔頭の西来院にて、淡○社主催の「禅院茶礼茶会」=四頭茶会がおこなわれたので参加してきた。
ちなみに四頭の説明は前回行ったときの記事をご参考に。
西来院は普段は非公開、入ったことがなかったのでわくわく。作りは、並びの、なんだかしょっちゅう行っている両足院さんの相似形であった。
場所は西来院だが、四頭についてまずレクチャーしてくれたのが霊源院(甘茶の花の頃一般公開)のご住職だったし、四頭でうちのグループにお茶をいれてくれたのは両足院さんだったし、建仁寺の塔頭の若手住職総出、という感じであった。
ちなみにこれは数年前、参席したときの四頭説明図。
中国の禅宗寺院でおこなわれていた茶礼で栄西が伝えたとされるいにしえの喫茶法。客は4人の頭と連客それぞれ8名合計36人となる。
望んだわけではないけれど、受付で頭の一人の役を拝領。(なんで決めたのか不明、そんなに淡○社に貢献してないけど、、)
でも頭はけっこう役得もあるのだ。
本堂にはいると正面に茶を伝えた開山栄西禅師の頂相。建仁寺四頭では左右に竜虎の絵なのだが、ここではむかって左に鎌倉時代の中国へ留学していた龍山徳見禅師、彼は饅頭を日本に伝えた林淨因を日本につれて帰った方である。右には霊源院で修行していたゆかりの一休禅師。
林淨因のお寺が奈良にあるし(漢国神社)子孫が東京の和菓子屋塩瀬総本家、というのは知っていたが、もう一系統の子孫が横河電気というのは今回初めて知った!
本堂の天井の龍の絵を新しくしたときに足りなかった資金を、横河電気がぽんとだしてくいれたという逸話は初耳であった。おもしろいな〜。
まずはそれぞれ縁高にはいったサイコロ型のこんにゃくと饅頭をいただく。ちなみに饅頭はその塩瀬とゆかりのある塩芳軒さん(^-^)
4人の頭の席には座牌という紫の帛紗のようなものがおいてある。あらかじめ茶の入った天目茶碗を客が持ち、4人の給仕僧が浄瓶の口に茶筅をさしてあらわれ、湯をそそいで点ててくれる。
頭のうれしいところは、頭だけイケメンのお坊様に跪いてお茶をたててもらえること♪(/・ω・)/ ♪
連客は立ったまま点てる。
ちなみにいただいた天目茶碗は約400年前のもの。おそらく当時の大名も使ったであろう茶碗であった。おそれいる。
四頭茶礼がおわると別室にて、指物師・川本光春さんの副席へ。
なんでも大徳寺聚光院の古材がたくさん手に入ったので、これを使って香合やら,煙草盆やら、茶杓やらたくさんお造りになったよし、席中のお道具もほとんど全部ご自分の作品。物を作れる人ってうらやましい。
印象的だったのが香合。全体は顔見世の招きの形で、その下に三色の違う種類の木をつかって歌舞伎の定式幕を模しているもの。木の色の違いにおどろく。白樺の幹をそのまま使った水指もおもしろかった。あと、点出さんに知人の姿をおもいがけず見つけて、お互いに「あ〜〜っ!!」(^_^;
副席のあとの点心は霊源院へ移動。さきほどのレクチャーをしてくださったお坊様の自坊。
移動すがら茶碑の写真を撮っていると、これまた点心席のお手伝いに、別の知人をみつけて、これもびっくり!(茶界の狭さよ)
霊源院は先ほども書いたが、甘茶の花の季節だけ一般公開されるので行ったことがある。二畳の落ち着く小間の茶室があったり、本堂から入れる躙り口のある四畳半があったり、見所は多い。
各茶席にご住職が茶席のしつらいをしてくださっていて、これも楽しんだ。一休の遺偈がすごかったなあ。
五観の偈を唱和して、点心をいただく。禅院での茶会らしい雰囲気がよかった。
矢尾治さんのお精進。
胡麻をすりこんで、茄子をうかべた味噌汁が美味しかったな〜♪
一歩外に出れば観光客がうじゃうじゃの祗園花見小路であったが、境内は人もそれほど多くなく、紅葉を楽しんで帰ったのであった。
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