若狭・お水送り2018〜前編 - 2018.03.04 Sun
東大寺二月堂修二会はずっと追い求めるテーマ(というか単なる物好きなんだが)で、ここ20数年来毎年どこかの日に行っている。そして毎年何かしら新しい発見があるのでますますのめりこむのだが、ここ数年来、二月堂の若狭井にお水をおくる若狭のお水送りに行きたいな、、、とずっと願っていた。今年、曜日並びがよいので、思い切ってでかけることにしたのである。
ご存じのように、3月12日、修二会のクライマックスお水取りは、二月堂前の閼伽井屋の中にある若狭井から香水を汲み上げる絶対秘密の儀。その若狭井にわく香水はその10日前、3月2日に若狭の国の遠敷川(おにゅうがわ)の鵜の瀬からおくられてくるとされる。
修二会をはじめた実忠和尚が全国の神を請来したときに、釣りに夢中で遅れた若狭の国の遠敷明神がおわびにご本尊・十一面観音に聖水を送ることを約束、そして二月堂前の大岩をうがって白黒2匹の鵜とともに聖水が湧き出たという。これが若狭井である。
(ちなみに本堂の裏にも遠敷神社がある)
若狭の鵜の瀬には地下に水の道があって東大寺につながっていると信じられているが、現実的に考えれば鵜の瀬の水は日本海にそそぐだけである。しかし、そんな伝承が生まれた背景には、若狭の地理的歴史的条件がある、というのは民俗学者、歴史学者の研究テーマであるし、八百比丘尼伝説や、徐福伝説など不老不死の伝説がたくさん残るのも若狭で、それもまた実におもしろいのだ。
今回ガイド役をつとめてくれた方は、つねにコンパスを携帯し、神社がどちらの方向をむいているか意識してまわる、とおっしゃっていたが、なぜか若狭にはコンパスが狂う場所や時間がいろいろあるらしい。丹(に=水銀)の産地でもあることから地質学的にもおもしろい場所である。
若狭の国、福井県小浜、ここへ来たのは40年ぶりくらいだ。
当時もたくさん散在する寺にあちこち詣でたはずなのだが、とんと記憶がないところが悲しいところ。
まずは若狭彦・若狭姫の夫婦神の渡来からはじまる。
海からやってきたと思われるこの二神は唐人の姿をしていたと言われ、朝鮮半島・大陸にひらいたこの地には渡来人・海人(あま)族がたくさん来ていた歴史とかさなる。鵜の瀬に降臨した二神はのちに若狭彦神社、若狭姫神社へ鎮座された。
若狭姫神社
大きさや規模から言うとコチラの方が若狭彦神社よりりっぱ。門は真東を向き、春分秋分には鳥居越しに朝日のご来光をを拝めるらしい。
修二会に遅刻した遠敷明神ゆかりの遠敷神社はこの若狭姫神社の古称という。
本殿のそばにそびえる見事な千年杉。
境内は空気にも土にもなんとなく水の気配を感じる。湧き水は飲むことができるので、一口いただく。甘露。
若狭自体が水脈が豊富な場所であり、この季節は雪解け水もあいまって、よけいに水の気配を感じるのだろうか。
そして二月堂のご本尊、十一面観音はまさに水の性の仏様である。(左手に水瓶をお持ち)修二会において水が大きな役割をはたしているのもうべなるかな。
ついで若狭彦神社。
ここには二本の大きな杉の大木が参道をはさんで立っており、これが鳥居の役割をはたしている。現在の鳥居の原型はこういうものであったろうとのこと。
前方は拝殿かなにかの跡らしい。
本殿の屋根の上の千木と鰹木はそれぞれ男神、女神で違うそうだが、ここではなぜか若狭彦なのに女神仕様になっているそうだ。長い歴史の途中でまちがったのか、もともとここが若狭姫の方だったのか、まったくわからないというのもおもしろい。(姫の方が彦よりりっぱだったのはそれ?)
この境内には溶け残った雪がまだわだかまっており、あふれる地下水も量が多い。やはり水の国だ。
この平城京を中心とした五芒星は有名で、漫画「陰陽師」でもでてきていたのだが、まことに興味深い。
お水取りのはじまり遠敷明神こと若狭二神の神社〜平安京・比叡山〜平城京・東大寺〜吉野金峯山寺〜熊野本宮は、東経135度にみごとに一直線にならんでいるのだ。(参考→☆)
お水送りの水の流れはこの直線上の流れでもある。
この道は仏教や大陸の技術・文化・人の伝来の道でもあり、御食国(みけつくに・朝廷へ食材を献上する土地)の若狭から海産物が朝貢された道でもある。(特に塩、それから鯖!鯖街道の入り口だもんね!)その道が仮想の地下の水の道を生んだ、と考える学者も多い。
東大寺開山の良弁上人がこの鵜の瀬上流の土地出身であった、という伝説(?)は今回初めて知った。(鵜の瀬下根來に住んでいた子供の頃、鷲にさらわれ、杉の木《良弁杉って今も何代目かがある》にひっかかっていたところ、僧たちに助けられ、のちに東大寺開山した高僧になったという)
奈良と若狭のつながりはこんなところにも!
ついでに不老不死伝説の方も。
こちらは空印寺にある八百比丘尼入定の場所と言われる洞窟で、中へはいることができる。まっくらだが。
人魚の肉を食べたばかりに若い姿のまま年をとらず800年生きた少女は、全国津々浦々、橋をかけたり、寺を修復したり、椿を植えて行脚したという。そんな椿の末裔か、洞穴のそばにたくさん咲いていた。
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