二月堂修二会2024〜3月14日尻つけ松明〜満行下堂 - 2024.03.17 Sun
いよいよ満行の14日初夜上堂
いつもはゆっくり一本ずつ上がってくるお松明もこの日ばかりは10本一斉に上堂する。お尻に火がつきそうなくらい後がひかえているので<尻つけ松明>とも
これが一斉に火の粉をまき散らすとカメラのバルブオープンみたいな効果があるね。
開山堂の前で狙ってみたが、良弁杉が微妙に邪魔して8本しか見えない(^_^;
狙うなら四月堂の前あたりがよさげだ。
お松明のあと、ものすごい人混みがはけてから一度ゆっくり宿に帰って仮眠。これからは長い満行の夜になる。ちなみに閼伽井屋の飾られたばかりの青々とした榊も鹿様の餌食に、、、
21時頃ふたたび二月堂へ。外はシーンとしているが正面になる西の局は早くもぎゅうぎゅう。今年はお香水3度もいただいたし、達陀も正面から見たし、違った方向からも見たいので、反対側の東の局に入る。ここはまだ余裕。
声明を暗い局で聞く。今年はつごう5泊したので声明も聞けたが、今日がいよいよ最後だ。
達陀は裏から見るのも面白い。ちょうど東の局からは達陀松明点火が見えるのである。だから<つけんだりや〜><つけんだり〜>も良くきこえた。(松明は点火したか?点火した)火天と水天の後を鈴やら法螺貝を持った八天がついてまわっているのも見えたし、大導師が長い箒を持って火の粉を掃きまくるお姿も。
なにせ東は内陣との距離が近いのと、戸帳がないので松明の煙直撃、もう局中に煙充満状態、のど痛、、、
きらびやかで激しい達陀が終わると、その後の晨朝の法要は、急に小さくささやくような低い声になる。長い行法のおわりに名残を惜しんでいるかのよう。胸に響くものがあった。
そしてほぼすぐ下堂、最後の日はもう天狗を脅かす必要もないので<手水手水〜>の声もなく静か。
しばらくして改めて全員で上堂、結願上堂である。箱に入れた物を運んでいたが、おそらく牛玉杖にまきつける葛ではないかと。
午前2時前、破壇
うずたかくつまれた壇供も糊こぼし造花も荘厳具もなにもかも、内陣は練行衆、礼堂は堂童子、小綱、駈士、童子、仲間、が一斉に片付けはじめる。(見事な自己完結)行法のあと疲れも見せず、開白の時と同じように手や口に小さなライトをともして、ガタガタと、事務的言葉も飛び交い雑駁な感じ。開白の時よりなんとなく開放感があるな。箱に詰め詰め、どんどん運び出し、練行衆が涅槃講でふたたび内陣に入ったとき、あれよあれよと3〜4mはあろうかと思われる涅槃図(普段飾ってあるのかな)が掛けられ、荘厳され、見事な連携プレー。
ここでお先に南出仕口へ。
午前4時前、咒師が処世界をつれて飯道社(龍美堂の前)へいく咒師神所(しゅししんじょ)。
下からはうかがい知ることはできないが、護法諸神を供養するのだという。
写真によると五穀豆、注連縄、粥、幣などをお供えしているようだ。ちょっと呪術的。
その後、惣神所(そうのしんじょ)
練行衆全員で三社(興成社、飯道社、遠敷社)に無事満行の報告のお参りをするので、南出仕口に童子達が手松明に火をつけている。
ちょっとレンブラントの「夜警」を思い出して、この写真お気に入り。
先頭は大導師、後ろを振り返りちゃんとついてきているか何度も確認するのが作法なのだろうか。
これなにかに似てる、、、ああ、夜咄の「雁行」だ(^_^;
まずは二月堂下の芝生の中にある興成社へ。
ついで飯道社。
この写真なんども見たことがあったので、実物を拝見できてとてもうれしい。
最後に遠敷社。
若狭より香水をありがと〜、、、と言ってるかもよ。
午前5時前、まだ暗く空には星も見える中、いよいよ満行下堂。
これも静かに行われるが「満行おめでとうございます!」の声がかかる。写真がうまく撮れなかったが練行衆が手にしているのは2〜3本の牛玉杖に、牛玉箱(牛玉札が入っている)、数珠をはさんで葛で縛ったもの。額に満行の証の赤い牛玉宝印がおされているはずだが、これも暗くて見えず。
童子は行法の間良い音を聞かせ続けてくれた差懸を持つ。
(2本の動画をつないだので、ちょっとつなぎ目不自然なのはゆるして)
しずかに、参籠所に帰られてとうとう今年の修二会も終わった。
朝になったらまた最後のご挨拶あるので、それを見て帰ろう、、、、で、続く
明日でおしまい。
二月堂修二会2024〜12日・籠松明〜お水取り - 2024.03.15 Fri
お水取り(本当の意味でのお水取り=閼伽井屋若狭井から取水する)のある12日深夜(正しくは13日になるが)。
よって12日は修二会の中でも特別な日で、中でもひときわ大きい籠松明が注目の的だが、ここではその松明の反対側、上堂を待つ練行衆のお姿をお届けしよう。
結構レアな光景だと思うよ。
このように食堂の裏、登廊の下で練行衆は下の位から順番に上堂をお待ちなのであるが、しっかり先に上がったお松明も楽しんでおられるようだ。
順番にひとりずつ列は減っていく。一番下は処世界さんだが、このとき処世界さんはお堂で準備をしているのでまずは権処世界さん、中灯さんが先にあがり、いれかわりに処世界さんがいそしで降りてきて、すぐに上堂、けっこう体力的に大変な処世界さん。まだ20代前半のお若い練行衆さん、がんばってね、とつい親心?
籠松明の重さは約70Kg、この日のみ、お松明を持ってあがる童子さんは袖をまくりあげ、尻まくり。これもレア。そしてこれも12日のみ、聞くことができる言葉。
<かんまえた〜かんまえた〜○○さん(練行衆の役職)の童子 ○○さんの童子 △△丸!仲間(ちゅうげん)□丸!>
<おう!>
というのを是非聞いてね。(これは咒師さんのお松明)
松明がゆっくり登廊を登り始めると練行衆がお先にの挨拶をして「シ」という短い言葉を発してゆっくり登っていく。その後を仲間が続く。
松明そっちのけであったが、ちらっと振り返るとこんな景色。
ちょうど見えない角度の細殿からにゅっと大松明がでてくる瞬間はどきどきするね。
上臈二番目の大導師のお松明
やる気満々の童子さんがかっこいい。
最後の和上さんのお松明のときには参籠所の奥から娑婆古練の長老方もお松明をごらんになる。
私的にこれが今年の修二会のベストショット。
この特別な日は、局聴聞は修二会を支える講の人専用になっていて聴聞場所を指定される。お松明の時お隣にいはったのは江州一心講(松明をしばるくつわ葛を奉納)の方だった。
一般客は入れないので、局も最初はすかすかだったのが、終わる頃には関係ない人もどんどん入ってきて(監視する人がいない)ぎゅうぎゅう。
初夜から聴聞して、このたび苦節何年?!やっと過去帳<青衣の女人>を聞き取りましたぞ!
始まってから約20分前後で集中していると将軍頼朝右大将〜がきこえ、これにつづくパートで初めて声をおとしたところ!
小休止に外にでると、そこはもうお水取りの準備が。お水取り行列に供奉する東香水講のみなさんだと思う。そしてあの桶が、、、
2個x2の、汲み取った若狭井の水をいれる桶である。
お堂の中で走りの行法、そのあとについてくる香水賜り、今年は3日間つごう3回香水をいただいた。もう健康厄除け間違いなし!かな?
お水取り供奉のお松明に火をつける講の方々。
大きな蓮松明に先導され、咒師さんの洒水で行列は閼伽井屋に向かって出発。
堂童子、平練行衆(皆さん牛王杖と法螺貝を持ってる)とその童子、東香水講の一夜仲間達(行列を照らすという役割)がつきそう。
BGMが雅楽。あ〜懐かしい、4年ぶり!あれはコロナのはやり初めのころだった。
堂童子さんが持つのは水をくむのに使う桶だそうだ。
閼伽井屋の中にはいれるのは咒師、堂童子、閼伽桶をかつぐ庄駈士のみ、中でどのように水がくみ上げられるのかは秘中の秘なのだ。
桶は三往復する。
桶がお通りになるときだけ雅楽演奏、先導する大幣とずあえ(これは若宮おんまつりでもあるな)をもつのも講社の方々。
取水中、外で松明を掲げ持つ童子達。この日昼過ぎまで本降りの雨で、濡れた石畳に火が映えて美しい。
3回お水取りを無事終えてお堂に帰る水取衆ご一行。若狭から10日かけて届いた(と信じる)水、遠敷明神様、ちゃんと受けとらはりましたよ〜。
閼伽井屋の前、東香水講の提灯がともる。お疲れ様でした。
この後はこれも4年ぶりのきらびやかな火の宴?<達陀>を見て、粥食呪偈を初めてしっかり聴聞。
<夜明けんだりや〜(和上)><暗し(堂童子)>の掛け合いも聞いた。
これは後夜の開始だが練行衆がそろったか?の問いの堂司の、二回床をならしてどなるように「ん〜南北!(なんぼ、、ときこえる)」というのもしっかり聞いた。
満足。
下堂をお見送りしたときにはもう明け方の4時でありました。宿に帰って仮眠をとろう、、、
<おまけ①>
12日のスペシアルデーぶりは朝から。
東大寺本坊にて、別当(管長)橋村師に各講がご挨拶にみえる。
百人講(油量り・行法中の灯油を御奉仕)のご挨拶についていく。
なんでも百人講の歴史は少なくとも280年は遡れるのだが、、、
百人講の松石家。所蔵の油をいれていた甕を博物館に見てもらうと、安土桃山の頃のもの、と判明(画像の甕かどうかは不明)。だから歴史が一気に200年近く遡ったとのこと。(こちらにも4年ぶりに訪問)
<おまけ②>
日中上堂の時、この日だけ童子はみんなケズリカケ(きのこみたいなの)を持って上堂。私の位置からは見えなかったが、上堂後牛王箱に飾っていくそうで。
これはへぎでできていて火がつきやすく、達陀の松明につけられるもの。先だっての東大寺学園主催の茶会の床飾りにもなってなあ、、と思い出した。
東の茶道男子の茶事弥生編 - 2024.03.13 Wed
東の方、まだお若いが、いままで茶事200回以上をおひとりでこなすという茶道男子がいてる。その茶の湯の知識は流派を問わずすごく深くて広い。いつもお目にかかるたびに勉強させてもらっている。(善知識善知識(^_^;)
このたびその茶事に1年ぶりにお招きにあずかる。
(この飛び石に小石の茶室へ通じる小径もDIYのお作である)
事前に今年の速水流家元初釜で家元の軸(まくりの状態)を福引きであててしまった!というお話は聞いていた。(各派家元のまくりをあてるともれなく軸装のための費用がついてくるのだ(^_^;よっていいような、わるいような)
待合にかけられたのがその件のお軸、きれいに軸装されていた。
ふむふむ、内容がけっこう良い。これは軸装費いれても結果的によかったんじゃないかと思う。
一見円相に見えて実は鐶、というあたりがお茶味がある。速水流2代目宗拙の画讃を当代が写された物と聞く。
さるお屋敷からでた緑紋岩?の蹲居の水に春を感じながら席入り。
炭手前では種火の置き方が??と思っていたら、わざと胴炭と種火の間に隙間をもうけ、そこに管割管をいれる。ああ、これは火がつきやすいわ。教科書通りでなくてもよいのね。今まで無理矢理種火の上に管割管のせてたけれど。さすが茶事200回以上の手練れだわ。
赤楽の丸い香合が宗入。すごい。
そしてここにくる楽しみ(^_^;と言ってはいけないのだけれど、つい期待しちゃうお手製懐石タイム。
前回もいくつ鍋持ってんだ?と思うくらい多種の手の込んだ懐石をいただいた。お腹一杯になりすぎたので、今回はお腹すきすきで来たのだが、、、やっぱり今回もお腹一杯。(当初よりだいぶん量減らした、、、と聞いたが)
早くも春らしく合わせ味噌の汁には蕗とウド、春や。向付がミモザ和えになっているのが一手間。
私はアワビなんて自分で料理したことがない。なのでアワビの肝いり+湯葉しんじょう自作なんてびっくりだ。薄切りのアワビもまた美味しい。
3月は貝寄風だから、アワビだけでなく貝柱+たけのこの炊き込みご飯まで。せいぜい蛤くらいまでしか料理したことないわ私(^_^;
お酒もおしゃべりも回る回るの懐石タイム。
1年前ここで教えてもらった食材「ウルイ」、これは今では手に入る時期はうちの定番の懐石メニューになっている。
写真はないけれど鴨肉にわさびたっぷりつけて食べるの美味しい〜♪
八寸もお手間がかかっている。
ウドの味噌漬けに、私なら切ってだすだけ〜のカラスミを餅ではさむとか!
椿餅であるが肉桂の香りのするとらや製、今話題の「光る君へ」の源氏物語、蹴鞠の後で若いキラキラの公達たちが椿餅を食べる、、といったシーンの話にもなる。
後座の水指は備前、小さいながら四耳で紐が通せる穴があいている、おそらく実用されていた古いものだと思う。
関宗長(宗旦の塗師)の棗を濃茶器に。蓋裏に仙叟の花押。これもいい色だった。ここで博覧強記のご亭主、宗長棗と利休好棗の大きさ、比率の違いについて現物をだしてプチ講座、ありがたし。
双葉葵と間道の片身代わりの古い仕覆も見所、主茶碗の蕎麦も自分好みでうれしい。
北野天満宮鳥居古材の菓子器、スミレの花の煎餅がかわいい。まさに♪春の小川
お道具拝見の前に、ご連客さんと随流斎の花押の話をひとしきりしていて、たまたま偶然とは言え、茶桶薄器の蓋裏にうわさの随流斎の花押をみたときは鳥肌たちました。今回の茶事で一番萌えた瞬間かもしれない〜。
茶杓が速水流先代の襲名記念に作った茶杓100本(百楽)のうちの一、「可楽(たのしむべし)」。ご亭主はばりばりの裏千家だが、今回は速水流にはじまり速水流で締めましたね。
二月堂修二会2024〜食堂・湯屋周り - 2024.03.12 Tue
食堂〜湯屋周りも見所が多い。
たくさんの童子や小綱さん、駈士さん、院士さんなどが立ち働く姿を見るのが楽しい。
湯屋から汁をたっぷり入れた桶が担ぎ出されるところ。
このお二人が主に食事やお湯を運び込まれる。(庄駈士さん、後にお水取りの桶をかつぐ大役をされていることが判明)
汁鍋が食堂内に運び込まれる。中ではお腹をすかせた練行衆たちが。
ちなみに練行衆は一日一回の食事しかされないので、、、
このように食堂作法の時にはウキウキ♪の足取りになる。(そういう作法なんだろうと思うが本気でうれしそう(^_^;)
食堂には食堂作法があって、長い祈りの間おあずけとか、無言だとか、早食いせんとあかんとか、あんまりゆっくり食事を楽しむ雰囲気ではないそうだ。
これは順次食器を下げるところ。
これは何がはいってたんかな?
お湯の桶
湯屋前では残飯をいれた八寸を井戸水で洗う小綱?さん。
食器を全部引くタイミングを待つ童子さんたち。
今年も瞬間芸?、堂童子さんの「あらいくも」を三回トライしてやっと撮れた。
「洗い湯汲もう」の意味らしいが、これを合図に食器をあらうお湯の大桶が運び込まれるのである。
今回初めて<まんしょ>を撮影に成功。(といっても運び込みはのがし、運び出しだけ)
この破鍋=まんしょ、、はすでにその意味がわからなくなっているそうだが、決まりとして残る。
しかしあまりに無造作に持つな〜。
瞬間なのだが、このまんしょを食堂に運び込み、床にゴンっと落とさせておいたのが食器を引く合図になっているのだそうだ。
知らなかったらなんのことやらさっぱりの不思議な鍋である。
いつごろからあるんやろ、この鍋。
担当の童子さんがそれぞれ練行衆の器を下げていく。
生飯投げのあと鬼子母神さんの前で整列
参籠所へお帰りになる。
このあとほぼすぐ日中の法要で上堂される。食後すぐあの数取り懺悔なんかはしんどいやろなあ、、、やっぱり修二会は厳しい勤行やなあ、と思わずにはいられない。
勤行中には食堂前でそれぞれの童子さんが上堂のお松明を作る。そう、みんな手作りなんよ。
背景には二月堂、なんとなくほっとするなごむひととき。
日中の行法のあとは練行衆のみなさま、入浴タイムである。湯屋の前にならぶ草履。
三々五々入られるようで担当童子さんは湯上がりを待つ。
手ぬぐい、湯帷子などを受け取って、参籠所で初夜上堂までしばしお休みになる。
この食堂と湯屋の間の空間はほんわかしてとても好きだ。今年も立ち入り禁止のところが多いのが残念ではあるが。
二月堂修二会2024〜3月7日お松明から・連れ五体投地〜小観音後入 - 2024.03.11 Mon
修二会3月7日
上七日の最後の日、翌日から下七日が始まる。
なにが違うかというと上七日のご本尊は大観音、下七日のご本尊は小観音に変わる。
小観音は絶対秘仏(江戸時代の二月堂火災の時以外だれも見たことがない)、難波津に実忠和尚のもとめに応じて補陀洛山から来臨した生身の十一面観音である。それを祀るためにたてられたのが二月堂。とても大切なご本尊なので、入れ替わるときに手向山八幡宮の宮司さんが長刀もったお供を連れて上堂、ご本尊の場所におさまるまで(後入)警護するならわし。
(かつて小観音さんの厨子を盗んだ僧がいて、これを取り戻した人の子孫が手向山八幡宮宮司という)
残念ながら小観音さんが内陣の奥から礼堂にお出ましになる「小観音出御」は、お堂立入禁止のため拝めず。
いよいよ初夜上堂のお松明があがる。
登廊をゆっくり登ってくる練行衆の足下を照らす松明。
ありがたいことに今年も最前列かぶりつきでたっぷり火の粉をあびることができた。(時々服や帽子に穴があく、、)
お松明のあと、しばし宿で休憩、22時頃再び二月堂へ。西の局はけっこうたくさんの聴聞客がおられたが、座ることができた。(コロナ前は立ち見いっぱいのぎゅうぎゅうだったと記憶する)
礼堂の北西の端に小観音さんのお厨子がすでにお出ましだ。こんなにまじまじ小観音さんお厨子見たの初めてかも。
しばし聞き慣れてきた声明を楽しむ。
この日も<走り>があったので、5日に続き、また香水いただくことができた。(二回目〜)
(登廊を登るお松明とすでに上がったお松明の火の粉)
日付が変わる頃、いつもなら礼堂西、戸帳の前で五体投地が行われるのだが(BGMは南無観ね)この日だけは<連れ五体投地>といって、下座二人(処世界と権処世界か?)が内陣奥の格子に手をかけてぶらさがって足を打ち付けるという形。ドスン、ドスンと音がするので、あわてて東局へ走る。連れ五体人のシルエットだけが見えるが床が揺れるほどの音。写真で見たがこれはもうたいへん痛そう〜な五体だ。
0:50頃、平衆が4人内陣からおでまし、中くらいの松明(暁御輿松明)を先導に厨子を奉持、礼堂を反時計回りに回る。なので北のはしを向こうにいくのしか見られず。途中なんどか大導師の祈りあり。南から内陣へご本尊の場所におちつかれるそうだ。
これは今年初めて拝見することができた。
深夜の二月堂西局前。
さすがに静か。昼間あれだけ観光客や修学旅行生でごったがえしていたのがウソのようだ。
午前2時過ぎ、例の如く下堂をお見送りして宿へ帰る。
静まりかえる二月堂。
これ、本来真っ白のマスクでした(^_^;
聴聞でこんなに、、、灯油の煙ってすごい、、、コロナでなくてもマスク着用おすすめする。
今年もお松明のもえさしは拾うの困難で、四月堂の前で配ってくれたのをいただいた。この焼けた杉の香りがたまらん。